南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

映画の予告

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 最近新聞の投稿欄を読んで感じたことを記しておく。その投稿は、映画館で、子供に過激な爆発音の多い映画の予告編を見せるのは、悪影響でありかわいそうだという内容のものである。楽しみにしている映画の前に、そのような残酷な映像を見せるのは、確かに親子共々不本意であることは理解できる。筆者も時折映画館に出かけるが、こうした場面は必ず出会う。しかし、映像はともかくとして、いきなり目的の映画に入られるよりは、予告があったほうがよい。というのは、海外映画の場合、吹き替え版でなければ字幕がつく。この字幕というのは、読めなければストーリーがわからないわけで、極めて重要な代物である。本命の映画が始まる前にこの字幕が読めるように、自分の見易い状態を確定する。それは決まっている座席の範囲内でもよいし、開いているなら他の席のほうがいいかもしれない。長編だと最初はよくても、時間がたつに連れて眼や肩が痛くなることもある。こうした場合を想定した準備をする為に、予告編があるのだと考える。という平穏な考察とともに、映画館というのは商売であるから、宣伝は当然である。其れをやめろというなら、営業妨害であり、観客も観客なりに時間の使い方を考えろ、という意見がある。家庭でも手軽に見られるようになった映画であるから、広告が嫌ならそちらを選択していただきたい。映画館とは集団で見るものであり、嫌なものは早送りなどというわけには行かない。何なら見る前に、この予告はやる・やらないの多数決をとるか?過激な映画も作品のうちである。予告なんぞで選別をされては堪らない。結:選択をするのは客本人である。【2004/01/28/PM】