南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

アメリカ反知性主義

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 文化的な発言も少々多くなってきた今日この頃。『アメリカの反知性主義』という本がある。もともとはアメリカで出版された書で、R.ホーフスタッター(Richard Hofstadter)著、英語名『Anti-intellectualism in American Life』である。米国内では非常なベストセラーであるという。この度この本を読んだ某日本人が、日本の多くの人々にも内容を知って欲しいと翻訳し、日本で発売された。そのことについて1週間ほど前のラジオ番組で、訳者が紹介していたのを私が真面目に聴いていたのであった。この書籍の或る紹介文の一部を挙げておく。≪1952年、マッカーシー旋風の吹き荒れるなかで行なわれた大統領選挙は、「知性」と「俗物」が対立する図式となった。そして後者、すなわちアイゼンハワー=ニクソン・コンビが圧勝し、知識人も批判派も「アメリカ社会が知識人を否認した」ことを理解した――「知識人階級と大衆のあいだに巨大で不健全な断絶があることが明白になった」(『タイム』)、「知識人は今後、所得税から真珠湾攻撃まで、あらゆることの罪を背負わされるだろう」(シュレジンジャー二世)。さらにこのムードはアメリカ社会のすべての分野に広がり、「反知性的」という表現はアメリカ人が自己評価に使うもっとも重要な形容詞となった。≫歴史家ホーフスタッター氏は、この政治的・知的事件に触発され、「反知性主義」をキーワードにアメリカ史を検証していく。そして、知識人とは何か、知識人は民主主義の実現に貢献する力になれるのかを問いつづける。私は未だこの本を読んでいないので、詳しいことを断言できないが、ベストセラーになるほど米国人は自国の民主主義のあり方に関心を持っているのかと、改めて感心させられる。世の中には、「民意を反映させよ」という声がある。しかし、日本人は民意というものを国民感情だと捉えている。「拉致被害者はかわいそうだ」とか、「狂人殺傷はただの非道」だとか、「北朝鮮はならず者国家」など、これらのどこが知性的民意か。〔民意は純粋であれ〕とは言え、知的感性なくしてそのまま政治へと反映されることがどれほど危険か。まさに、日本人の必読書と言えるかもしれない。結:先ずは私が読む。日本国民は全員読め(原文で)。【2004/02/08/PM】