南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

大統領制を見つめてみれば

Nanjai2004-05-01
 先稿に引き続き、米国の大統領について考える。先にも述べたように、大統領制を敷いている国にとって、国民の象徴である。国の統合、国民の団結の目標物だろう。アメリカは独立以来この大統領を欠いたことはない。南北戦争下においても、南北それぞれが各大統領を擁立して戦った。大統領に限らず、天皇、皇帝、国王などは国民の多数の象徴だ。支持する・しないに関らず、市民生活の一つの指針になるはずだ。宗教に教祖がいるのと同じだ。卒塔婆でも電信柱でも大黒柱でも、人々の心を支え、国の統合を支えるものはどこにでも必要だ。
 このたびイラク戦争において、アメリカを中心とする連合国軍は、第一に大量破壊兵器の発見と開発阻止、第二にフセイン大統領の追放と民主政権の樹立、第三にイラクに埋蔵された石油資源の独占を目的として、フセイン政権を打倒した。サダム・フセインは云うまでもなく、大統領であった。ということは、彼が善政を行わずとも、一定の人間は彼を支持し、元首として慕っていたはずだ。だからこそ今でも旧政権の復活を希求する集団が、連合国軍との抗争を続けているのだ。しかし、連合国軍には抵抗勢力しか見えていない。大統領を追放され、新たな政権が樹立されるまで、ある意味野放し状態に置かれたイラク国民の境遇を知りはしない。国が国として統合を図るためには、元首となる人間が必要であることは先に述べた。それは連合軍を形成する国のいずれもが知っているはずだ。ところが誰も、まず先にイラクの元首を決めようとはしない。これでは、いつまでも荒廃したままだ。自分たちの国が何によって統一を保たれ、崩壊を免れているか、まったく知らないのである。結:自分の持っているモノの意味も知らないのか、バカだ。【2004/04/06/PM】