南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

本日提出したレポート(私のアメリカ論)のメイン部分を抜粋

Nanjai2004-07-09
 アメリカが歴史をかけて形成し継承してきた自由と民主主義の文化は、9.11(米国中枢同時多発テロ)を機に、世界宗教と化し始めている。イスラム原理主義勢力による攻撃は、人々の死だけでなく、アメリカの自由と民主主義を拡大する上での大きな損傷となった。アフガニスタンやイラクへの侵攻は、ベトナム戦争や湾岸戦争の時期とさほど変わりはない。しかし、それを達成していく容貌には、他国家にたいして自由と民主主義の社会を成立させるのみの力は感じさせない。なんとしてでも塗り替えていく、その国の政権を崩壊させてでも達成していくといった、強圧性がはっきりと見て取れる。
 たとえば、かつての日本も米国の統治によって、戦前の軍国主義政権から日本国民を解放され、自由と民主主義を保障する現行憲法を提示される。そのかわりに現在まで、同盟国としての立場を取らされることになるのだが。しかしアメリカは、天皇の戦争責任は問うことはあったが、天皇制そのものを廃止させることはなかった。今のイラクを見れば、国家の中心に立っていたフセイン大統領が法廷に立つという有様である。
 戦後、イラクは一つの柱を失った。国の柱は一つでなくてはならない。そしてその柱はどの国にも存在する。共和制国家なら大統領、王国なら国王、社会主義国にも国家主席や第一書記、国防委員長などが国を統括している。議院内閣制国家などは一見、権力が散在しているようだが、そういった国に限って君主制を「象徴」の名目で残している場合が多い。未だに立憲君主制を採用する国もある。
【中略】
 アメリカは元首に大統領を置いているが、その他に偉大なる国家の象徴、即ちもはや宗教的な意味合いをもった自由と民主主義の文化がある。それがアメリカという国家を統一していることを自覚しているならば、イラクへの政策は、名ばかりの自主復興であり、日本のような再起は不能にするための戦争であったといえる。国家統一の象徴までも奪う、すなわち自由や民主主義を国家の制度として捉えるのではなく、もはや人類が必然的に持つべき精神であるかのように、塗り替えていく。文化、精神。それが他世界に流布されていくとき、それは宗教ではないだろうか。
結:これが教授様に通じるでしょうかね。【2004/07/09/PM】