南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

関・松阪散策&愛と涙の道版

鉄道の旅フォルダ公開シリーズNo.10(「関・松阪史跡巡りを名目上として、南勢町で貴女に会いたかった」版)
これはちょっと恥ずかしい話なので、あんまり話さないほうがいいかもしれないのだけど、フォルダは公平に公開しようと思い、載せた。しかも、鉄道的には記録が不十分で現在のダイヤを参考に補足してみたが、どう考えても当時のものとは思えない。余計なことをしているので、帰宅が12時近くと相当遅い。一体どう弁解したのかな?関で山の中を彷徨ってたとでも言ったのかな。まぁとりあえず本編に入ろう。
前半は関西線の関と紀勢線の松阪に途中下車して歩いてみようという企画。後半は遠恋で別れそうになっていた彼女に会いに行こうとして失敗したヘタレ話。という風に分割できる。

前編

名古屋    07:32発

亀山     08:51着
       09:04発

関      09:10着
亀山から一駅入るので、関西線の定番ダイヤでいく。たった一駅なので9時には着いてしまう。早い早い。
関は、その名の通り関所のあった宿場町。駅前は旧東海道国道1号線。旧道はさらに北へ5−10分歩くとある。この道の途中でプリンシェイクを一個見つけている。行った当時は三重県関町だったが、現在は亀山市に編入されている。街道は、古い町並みを良く残しており、車どおりもさほど多くないので歩きやすい。平日だったせいか、あまり散策者はいなかったなぁ。宿場の中ほどから西の端まで歩くと、再び国道に出てしまう。
そこで、さらに北の山っぽいところへ入っていく。途中の開けたところに、SLがぽつねんと置かれていた。一応屋根をかけてあるが、場所は公園というほど整備されているわけでもなく、空き地のほうが相応しい。だから気味が悪かった。だが、この直後、もっと気味の悪いものを見ることになる。このSLも含めて、おそらく関ロッジの主の趣味であると思うが、それにしてもデカイ趣味である。観音山の登山口にそのロッジはあるのだが、その庭というか空いたスペースにモノホンの列車が数両置いてあるのである。新幹線、特急列車など2,3両はあったか。木々が覆いかぶさって廃車同然に置かれているので、なんだか寒気がする。鉄道の車庫とか検車工場にあるのなら、まだ分かる。個人の趣味で、こんな管理をしていいものか。最初見たら吃驚するぜ、誰でも。ホントぎょっとした。
それらの列車の屋根を時折振り返って眺めつつ、観音山の急登に入る。山の中はとても涼しい。が、誰にも出くわさないのは少々寂しい。山頂には祠があって、西側がよく開けていた。この後、山の西側をぽつぽつ歩きながら休憩をして楽に過ごす。
国道沿いには道の駅「関宿」がある。ここでトイレ休憩などしていると、電車の時間になる。
関      12:29発

亀山     12:35着
       12:51発

津      13:11着
       13:19発
(快速みえ利用)      
松阪 13:33着
ダイヤの記録が残っていなかったのは、ちょうどここの区間である。それらしいものを使ってつないでみたが、亀山・津間の普通列車は現在休日ダイヤ(しかも日付限定)になっており、当時と一致しない。
今回は、お昼にお弁当を持ってきていたので、車内で食べてついでにお昼寝をする。(お握りの一つは観音山で食べた気もするのだが)
【松阪城周辺】
松阪では観光案内図を一枚ゲットして、城跡に向かう。なんか本居宣長記念館の周りなどは工事をやっていた記憶がある。松阪城址は何もない。城東側のいわゆる町屋などがあった地区を歩いてみる。風景はある程度思い浮かぶのだけど、言葉にならないなぁ。まだこのときは結構余裕があった。

後編

松阪     15:36発

鳥羽(JR) 16:12着
  (近鉄) 16:35発

志摩磯部   17:00着
ここまではとっても順調だった。鳥羽での乗換時間がやや長い。別々の鉄道会社だけども、ここから先は近鉄しかないのだからもう少し繋ぎ良くして欲しい。志摩磯部までは370円。
しかしまぁ、17時から新たなイベントが始まるってのもおかしな話だわな。とにかく、駅から徒歩3分くらいの磯部バスセンターへ向かう。かつてスペイン村へ家族で行ったときこの駅で降りたので、何となく雰囲気を思い出した。しかし、このバスセンターで最大の元凶を起こしてしまう。乗る予定のバスは17時14分発で、確か五ヶ所(南勢町の中心部)経由の伊勢市駅行きだったと思う。彼女は五ヶ所バス停で待っていてくれる手筈だった。ところが私は、あろうことか、バスの行き先に疑いを持った。ちゃんと時刻表はネットで見てきているにもかかわらず、現場では不安になるアレだ。それで焦ってセンターの時刻表を見たせいか、バスがもう行ってしまったのだと断定した。それで、右も左も分からない南勢の地に向かって歩き出してしまったのである。バスでの所要時間は20分。落ち着いて考えれば、歩いても相当の時間がかかることは分かる。しかし、このときは焦っていたというしかない。そしてさらなる追い討ちは、次の停留所が見えかかった頃、起きた。家で確認したとおりの、落ち着いて待っていれば何の問題もなかった筈のそのバスが、脇を追い抜いていったのである。もう少し遅かったなら、次の停留所で捕まえていたかもしれない。なんとも時の運というのは非情だと思う。あまりに自分が情けなかった。人を待たせておいて、これはない。
それからは、いうまでもなく、汗と涙と脚への激痛の道のりであった。アップダウンの激しい国道を、早足か駆けるかして、必死で五ヶ所へ向かった。待っていてくれることをひたすら信じて。時には追い越していく車に手を挙げたことも。マジでヒッチハイクと思ったか、減速してくれた車もあった。結局根は上げなかったが。因みにこの途中、神津佐というところでプリンシェイクを発見している。せめてもの情け。
そうして五ヶ所小学校前まで漸くたどり着いたときには、6時半が迫っていた。本日最終の磯部バスセンター行きが五ヶ所から出る時間であり、これが彼女と過ごせるタイムリミットなのだ。もぅ諦めるしかなかった。しばらく下って、サークルケイの前で力尽きた。ゴメン。
小学校前から最終バスに乗る。バスはわき道から出てきたので、吃驚した。乗る人が居ないと見落とされる気がしたので、手を挙げた。バスには地元の高校生らしいのが2,3人乗っていたが、神津佐まででほぼ降りていった。運転手さんは私をチラとみて、「バスセンターまでだな?」と確認してきた。私は返答し、その後しばし雑談になった。地元の話が垣間聞けた。私は彼に、彼女に会いに行ったのだと告白した(恥。
【南勢町五ヶ所浦地区五ヶ所小学校バス停まで走り、
 18:45磯部バスセンター行き三重交通バスに乗車→19:02着】
志摩磯部   19:06発

鳥羽(近鉄) 19:32着
  (JR) 20:09発

亀山     21:47着
       22:14発

名古屋    23:23着
帰りも亀山経由かよ。遅い時間だから快速みえがなかったのか。亀山では30分近く待っている。この長い帰路は、連絡なしに待ちぼうけを食わせてしまった彼女への居た堪れない気持ちで、相当苦しかったに違いない。
こうして思い出しながら書いていくと、再び涙がでてくる。まったく莫迦なことをしたものだ。本当にすまない気持ちで一杯。関・松阪は、関西線紀勢線での普段通過しがちな駅をポロリと降りて散策してみた企画で、それなりに面白かった。
JRは青春18切符を使用、近鉄は鳥羽⇔志摩磯部往復740円、三重交通バスの五ヶ所小→磯部BCが480円。お土産 志摩磯部から370円の近鉄切符(鳥羽駅はJRと近鉄のコンコースが一部兼用になっているため)。松阪や関で、何か特産品を買って置けばよかった。鉄道記録は、近鉄志摩線初乗車。