南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

吉備路の旅 2:倉敷・吉備史跡群・復路

28日の記録を4月頃に書いたらしい。だいぶJR西日本が絶賛してあるので、まだ福知山事故が起きてなかった時分と見える。さて、あれから3ヶ月近くも経過した今日、北海道旅行も間近になったので、吉備路の方を完結させておこうと思う。

《主な移動行程》
岡山→倉敷→吉備路風土記の丘・吉備津神社→岡山(復路)

《印象に残ったこと、その他諸々》
 夜中のゴソゴソには参ったが、早寝が功を奏してしっかり眠れた。ところが、朝外を見ると、ひどい曇り空。これはまずいな、と思いつつ、朝食をとり、そのまま食堂でJR時刻表を借りてコーヒーを飲みながら計画修正。例のフランス人家族も今日の岡山観光の計画を立てていた。YH内にある観光案内図を使って、管理人さんが説明をする。その英語が大変上手かったので、わしも家族も感服していた。9時近くになってやっと構想がまとまり、荷物をまとめてシーツを畳み、玄関へ。管理人さんにお礼を言って、外へ出ると小雨が降っている。

 晴れ晴れとした気持ちで、盛況なアーケード街を歩くと、岡山駅ではさらに雨がひどくなっている。予定の電車まで多少時間があるので、路面電車で「水辺のももくん」なる銅像を眺めに行く。これは昨日岡山城を出た際、真っ暗だったので見に行くのを諦めた一件である。城下より一つ先の県庁通りで下車、傘もなく辛い雨の中相生橋まで歩き、遠めにももくんを眺める。全く虚しい。ところが駅のほうへ戻り始めた頃、小康状態になってきた。先の県庁通り駅で低床車MOMOが停車している。あっ、とホームへ渡ろうとしたが、信号は赤。電車は行ってしまった・・・。残念。そのまま西へ歩いて、国道53号まで出る。この辺は岡山市の中心繁華街で、ショッピングセンターやバスターミナルがあって、結構騒がしい。岡山駅では、お土産店を眺め、買う物をチェックしておいて、後で短時間で買うことにした。というのは、"ままかり"を今買うと暖かい電車の中などで悪くなってしまうし、行動中に邪魔くさい。

 天候が怪しいので、備中高梁まで行くのは諦め、高校の修学旅行で観れなかった倉敷の美観地区に立ち寄ることにした。10時半、およそ3年ぶりの倉敷駅。なんとなく記憶がある。あの時は表道を歩いてきたが、今日は一本裏の狭いアーケード街を縫って美観地区の北端へ。趣ある建物の土産店や焼き物専門店を覗きながら、散策。けっこう外国人観光客が多いものだ。途中、一軒の備前焼土産店で、350円の蛙を二個買った。留学生に渡すのにいいかと思った。何故か未だ一つだけ当人に渡せていないので、所在に困っている。

 アイビースクエア。修学旅行で泊まった旧紡績工場のホテル兼博物館だ。我々宮島へ向かうグループは早々に倉敷を出てしまうので、これらを見学している時間が無かった。わずかに一枚、アイビースクエアの立派な玄関先で撮った記念写真が残るのみである。改めて、その門を入り、赤レンガの重々しい空間を抜けて、北西側のミュージアム群へ。倉紡記念館とアイビー学館を見学。実に細かく倉敷紡績産業の変遷が展示されており、何故あのとき観て行かなかったかと悔やまれる。まぁ宮島はあれで随分楽しかったが。というようにゆっくりしていると、お昼が近づき空腹が増してきた。再び美観地区に戻り、幾つかの食堂を覗いてみるが、さすが時間帯だけに混んでいて、下手すると伯備線の電車を逃してしまう。仕方ないので、アーケード街の途中にあった肉屋さんでコロッケを購入して、少しお腹を満たしておく。これが安い割に、庶民的な味でとても旨い。時々あるんだな、こういうおやつ売ってる店が。

 13時前、総社に到着。ここで自転車をレンタルして、吉備路風土記の丘を含む史跡群を巡る。荒木レンタサイクル営業所でもらったマップと、昨日岡山城で手に入れた足守物語を参照して、まず宝福寺に向かったが徹底的に道に迷った。そこで、この地図に頼るのは危険だと悟り、さっきから目立っていたリブ21というスーパーの食堂で昼食にする。そして、三輪山古墳群の入り口に立ち寄った後は、極力吉備路自転車道という設定された道を辿るように心がけた。右にも左にも小高い山々が連なり、不思議にもここだけが古墳らしき丘を点在させながら開けていた。そんな刈り取り後の田んぼと軽い丘を縫うようにして、サイクリング道は続く。作山古墳で、やっと古墳らしい姿を見つけた。自転車を置いて、よじ登ってみる。眺めはそれほど良くないが、総社駅方面を望める。だが、先はまだ長い。郷土館や考古館の脇を抜けて、備中国分寺。見事な五重塔の他は、静かなお寺さんだ。年末で観光客も少なく、参拝者もほとんど通らない。こうもり塚古墳を通り過ぎたあたりで、再び雲行きが怪しくなり、備中国分尼寺跡とされる木々の茂った礎石群の中で雨宿り。この辺りは本当に史跡だらけで、あんまり人が歩いていないので、自転車さえなければ古代や中世の風景と変わりない。

 雨がやむと、少し欲が出て自転車道を逸れて矢喰宮方面へ行ってみようという気になったが、残念なことにそっちへ行くにはきつい坂道が待っていた。諦めて自転車道を進む。脇を通るとただの小山にしか見えない、造山古墳と千足装飾古墳。見学用の入り口が見当たらぬので、結局サイクリング通過。岡山ジャンクションまで、物凄い東風に煽られながらひたすら扱ぐ。ここまでは、足守物語に記載された「史跡の道コース」を辿ったことになる。意外に風がきつくて、思うように進めない。さっきも言ったように左右が山なので風の通り道になるようだ。足守プラザなんて到底行けないが、備中高松城址をちょっと加えたかったので、吉備路サイクリングの本命、吉備津神社へ行く前に何とか立ち寄ってみた。城址までは民家の間を走る細い道に、自転車道の案内が適宜付けられている。秀吉の智謀による高松城水攻め。その築城跡が、自害した毛利方城主の首塚と歌碑とともに残されている。見学や観光というと大変聞こえがいいが、実際は殺風景で誰も居ない史跡公園の、吹きさらしで寒くてたまらない中に佇んでいる南蛇井なのだ。年末だから仕方ない。

 さらに年末を思い知らされたのは、吉備津神社だ。さっきの自転車道に戻らず、国道をJR吉備線沿いに神社へ向かう。確かに全国的に知られる神社だけあって、付近の交通量は多く、駐車場には参拝者らしき車と人で溢れている。ところが、参道では、地元の中学生らしき大勢が清掃中。境内には参拝者がまばら。社務所では御祓い、御神籤などの準備に大忙しの巫女さん達。一応賽銭を投じ、お参りしたけれど、随分場違いな観光者だったに違いない。それでもせっかく来たのだから、ということで、境内を一通り歩いて見て回った。おやつが食べたかったので、お土産店を覗いたが、店じまいの最中だったので失礼した。どぅせ黍団子しかなかったが。公道と自転車道を交互に走るようにして、吉備津彦神社へ。というか、こちらが備前一宮として知られるほうだったか。だが、こちらは大掃除の姿も見られず、散歩中の年配者と出くわしただけだ。寒くはあるが、気兼ねなく随分ゆっくりと境内を眺められる。それでも社務所付近はしっかりと新年用の準備がなされていた。

 備前一宮駅真ん前のウエド営業所で自転車を返却し、お疲れ様、間もなく電車来ますから気をつけて、と言われた。17時、ほぼ日の暮れた吉備線電車に乗車。再び岡山駅に帰還。わずか8分の乗換時間で改札を出、決めておいた物を買って姫路行き普通列車に駆け込む。岡山⇔姫路は山陽線でも本数が少ないので、かなりの混雑度。往路を赤穂線、帰路で山陽本線を選んだ理由には、瀬戸がある。愛知の瀬戸が尾張を付けざるを得ない由縁だが、ちょっと駅を見てみたかった。でも、さすがに午後6時だからかなり暗いし、混雑していて外が見にくい。行きにすればよかったかの?

 姫路で乗り換える新快速が播州赤穂発なので、普通列車を終点姫路まで乗らずに網干で下車。というのは、姫路駅で大量の人間が新快速に乗車するとき、席を確保しそこなう恐れがあるためで、網干から乗って楽に行こうということだ。ついでに網干のコンビニで夕飯を買う。夕飯は琵琶湖畔付近で、頂いた。さて、網干からは悠々と座って米原まで一直線。名古屋には23時前に到着いたしましたとさ。

《後記》
 お土産には、後楽園名物黍団子、ご飯に載せると美味しいままかり、そして作州の黒豆を買ってまいりましたら、お土産魔に封ぜられました。備前焼の蛙さんは文中で述べたとおり一匹は渡せないで、我が家に居ります。北海道のお土産と一緒に渡そうかと思案中。そして、年明けて1月の末にはユースホステル会員登録をいたしました。岡山・吉備路の旅は、天候が怪しくはあったけれども、年末の制限をぬって面白く廻ることができた。それはYHの一泊によるおかげだと言うこともできるでせう。