南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

キリスト教概論レポート【秋学期末レポートスペシャル】

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 我々が生きる中で、大切な人を失ったとき、特に恋愛などその人と深い関わりを持ちながらも、別れてしまうと強い自責を感じる。自分がこの関係の中で、何を得て、この先に生かしてゆけばよいのか、掴めない。私がこうした場面に陥ったとき、講義にて考えさせられた。(04/10/25参照)
 イエスは、罪人とされた女性や貧者、病人、徴税人らと交わることで、律法学者やファリサイ派から、罪人として危険視されていた。彼は、律法と宗教の指導者の権威を認めず、どんな人々にも神の赦しは下ると説いた。しかし、一方でその律法学者達と、激論以外にも交わった。彼は、こうした人々との交流によって、自らを形成し存在させていたのではないか。これはカリスマ性を目指す以上に、自己の傷を自覚し、罪人とされる人々の中で、自分も罪人とされながら生きることで、自分も他人も傷つけない生き方を模索していたと思われる。さらに、神の存在を彼自身の言動で示しつつも、いかに人間性をもって生きるか、を説こうとした。罪人の如何を問わず、自己の身体や性格における不自由さを認め、いかに克服し変わろうと試みるか、を人々と接しながら説き、イエス自身も努力していた。
 イエスと接した誰もが、上記のことを理解したとは思えない。しかし、単に理想的過ぎる生き方とも言えない。ここで、盲人がイエスの手によって見えるようになった、という奇跡のエピソードを挙げてみる。実際の事象とする説もあるが、これは一種の暗示だと思われる。「みえるようになった」のは、盲人の自己そのものであり、自己の背負った傷ではないか。身分や権威の下にある信仰ではなく、自己を見つめ理性における信仰を確立した。盲人が、救いを求めようと試み、自らの負うものが罪ではなく、人と関わることで解消される傷であると認めることができた瞬間が奇跡である。即ち、奇跡はイエスの偉大さよりは、奇跡によって癒された人々の意志が、隠喩法として用いられたのである。
 イエスが、死の直前まで数多くの人々と交わったのは、彼がまだ過程であったことを示す。過程であるにも関わらず、その自己確立の変遷を一つ一つ言葉にしていった。それが民衆の心の真髄を突き、彼らの生き方に摩擦と変化を起こして、信仰の形となった。イエスの生き方の過程を、当時の人々と摩擦させ、双方に何らかの変化を与える中でキリスト教が生まれていったと考えられる。【2005/04/07/PM】