南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ドトーのドリルでぶっこんでやるぅ

〔後日注:これは南蛇井総本気が無知科学論講座と称していた時期、講義として書いたものである。趣旨としては概ね現行の「ほんねとーく」に繋がってゆくものと考えられるので同カテゴリに含める。〕


限界原形質分裂で、脳内が完璧に破壊されてしまった南蛇井は昨日、とりあえず帰宅してからは破滅しておいた。しかし思考回路は、アルバイト中は機能していたんだ。だから今から泣く子も黙る南蛇井のドトー流T.M.レボルーションコンサートin名古屋atセンチュリーホール評って奴を開催する。(拍手)

コンサートは、南蛇井様の最も尊敬するサンデーフォーク様様が企画・設営指示・運営指示そして南蛇井の操作を行う。だから俺は最も尊敬するサンデーフォーク様に蹴っ飛ばされたり怒鳴られたり、こき使われたり青痣を作ったりしてコンサートの下地の下地を補っているわけだ。あ、ちなみになんで尊敬するサンデーフォーク様なのかと言うと、上記のように危機的な扱いをするけれども、一仕事終わって帰るときになると、なんかすごく親しみある人生経験たっぷりな会話ができることが多いからだ。サンデーは他のアルバイト先と違って不思議なほどこのギャップが感じられる。仕事のときは激しいほどプロの技術に集中して専念して、一方でフリーになると例え下っ端のバイトでも深夜なんかは送ってくれるし、非常に親しみがもてる。ま、前提はこのくらいにしておいて、問題はコンサートホールで、ギターとドラムと何や勘やががなりだす辺りからだ。

南蛇井はモギリが済むと、観衆が暴徒となって舞台に駆け上がったりアーティストに掴みかかったりする危険を防ぐ為に、舞台や花道の周囲にプラスティックの柵を持ってしゃがまされる。南蛇井は下手花道前に設置された。実を言うと、クラシックじゃなくて、ロックとかポップとか現代風のジャかましい音楽のコンサートには、アルバイトでなくとも行ったことがない。さっきのサンデーフォークとの関わりは、皆コンサート後の撤去作業なのだ。会場の98%は女性。年代層は明らかにバラバラで、ギャルから主婦まで、たしかにウギャーとやりそうな連中がひしめいている。そして、このスタッフの多くが男性だということを意識してか否か、上半身を脱いでいるギャルが目立つんである。つぅか、脱ぐんなら見せブラ着用を頼みます。フツーの下着じゃこっちも目の保養になりゃしない。もっとも水着らしいものはいたんだけど。最近は見せパンと言うものがあるそうで、パンチラや痴漢対策、さらにはエロ雑誌の街角取材なんかに応じやすいようにしているらしい。そのくらいの準備の意気込みがあるんなら、見せブラも用意してくれんかな。

さて、本題。っていうか、本題でも何でもとにかくやかましいだけで、声はしょぼいは歌詞はへぼいは、これならまだ中日・阪神戦で応援合唱聞いてたほうが余程マシ。阪神ファンは怖いけど、騒々しさは変わらない。そこで南蛇井、暇つぶしに危険思想にふけっていた。まず振動がすごい。金玉にズ根ズ根と感じられる。しゃがむのがつらいので、胡座をかいてプラ柵を握っているのだが、もう男性器を通りこして膀胱を突く感じだ。4時半に夕飯を取らされたがほとんど食えなかったので、振動が空腹を助長する。男根が震えてハーレム状態の会場で、射精を促す。ということは、会場の大半を占める女子ドモは、まさに子宮直撃ってやつだ。連中は皆席を立ってリズムに乗って跳ねている。跳ねていれば、振動は感じないのかと言えば、それは逆だ。無知科学論的に言えば、地面に着地する勢いが振動の上向きの力と強く反応して、座しているよりさらに突き上げを感じるはずだ。下手すれば、騎乗位のセックスより激しい官能に浸れるはずだ。自分の大好きなアーティストの前で、玩具のバイブや下手な男根の動きより何倍も強い刺激を膣に感じるなら、彼氏は要らない。どうりでカップルで来ている率は極めて低いわけだ。ファンクラブなんてのは、どうせ彼氏やセフレを失って、性的刺激を別の形で求める集まりだろう。もぅその悦にいった顔はたまらない。ちょっとそこのAV借りてみている君、コンサートのバイトしないか?

悦にいるだけじゃなくて、もはやプライベート感を失った奴もいる。さっき見せブラの話を出したが、跳ねているうちにホントに遣っている気分になるらしい。ブラのワイヤが落ちてきても全然気づかない。おっしゃ、もっと落ちろ、ぃヶぃヶ、などと心の中で叫んでいると、惜しいところでリズムが落ち着いてしまった。畜生。スタッフ流セクハラは未完遂に終わったところで、サンデーのスタッフに姿勢を咎められ蹴っ飛ばされる。ここで、仕事意識復古。

まぁ当人たちは性欲感より、単にアソコに刺激が欲しいだけだろうけども、あれだけうっせぇ音楽聞かせたら妊娠中はもとより思春期とか生理中とかの女性的機能が壊れちまうんじゃないかとやや心配にもなる。大和撫子型嗜好。

という風に、正論ならぬ性論に耽っていた南蛇井に一度危機的状況が訪れた。それは、下手花道にボーカルの野郎が踊り出てきて、それを追っかけ飛び掛るように南蛇井の握る柵に連中が押しかかってきたときだ。もう中学生ぐらいの母親やってそうなオバサン豚が柵なんか攀じ登ってくる。ありえねー。まさに性欲じゃなくて熱狂を実感した。こんなことが2回くらいあった。その瞬間から、俺は「演出」というものが怖くなった。どこに棒を振ってくるか、それが読めない演出を俺は恐れた。

そのボーカルの野郎がアンコールの前にちっと雑談をやる。もちろんこれも演出だ。何でも大阪の興行が終わってから、1週間ほどマレーシアに行って来たの、ブルネイやサハ州じゃなくてサラワク州を知らない奴は勉強しろだの調子の出ないこと冗談交じりにしゃべっていたが、結局何が言いたいんだかってのは、「マレーシアのジャングルしかないような自然の中で生きてる人々がいて、それはあまり良くない環境の中で懸命に生きてる。ところが自分は人のために何かできてるんだろうか。愛・地球博なんてやってるけれどあれは本当の環境の為じゃない。自分は環境とか人間にたいして充分に何か伝えれたり、人のためになっているだろうか。無力を感じる。」

なるほどね。俺はそいつに対して、多少なりとも答えてやりたかった。アーティストという奴は、兎に角一生懸命に自分の技を極めている。それはボイスであったり、リズムであったり、演奏であったり、アクションであったりする。それ相応の技術がなけりゃ、今の貴殿のファンがないわけだからわずかでも極めようと努力してるんだろう。それに、先述のサンデーフォークが様々な演出をする。音響であったり、照明であったり、舞台設定であったり。これでXができる。次に、ファンの連中が貴殿の一声一声、あるいは一音一音に何らかの反応をしてくれる。上半身脱いだり、激しく跳ねたり、言葉に詰まった(ように見せかける)君に励ましの言葉を掛けたり、演出に応じるわけだ。これでY(効果)ができる。貴殿の求める力というか、自分の成した何かとは、このXとYの掛け算でできたZなんだと俺は思うのだ。じゃぁ、このZ(ここでは結果と名づける)を誰が見るのか。誰が体感しているのか。

それは、この南蛇井様だ。南蛇井は演出に対して何ら助言も制作もしていない。また観衆と一緒に演出に反応することは、仕事上禁止されている。つまりZのできる過程に参加することができないのだ。だから、演出を恐れ、効果を監視している思考可能なロボットが貴殿の「何か」を見届けることができる。

南蛇井、上等!