南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

河村たかし出馬の意義

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 現地の声を正確に聞くことが難しい筆者は、只今思考中であるので、日中問題に関しては2,3日以内に爆発させる予定である。本稿では、投票日を1週間弱のちに控えた名古屋市長選について改めて考えてみる。筆者は現時点では、たとえばピナツボ火山が噴火して気象変動でも発生したり、明日にでも中国が日本三大都市に核ミサイルを発射したりしない限り、松原現市長を支持する。しかしそれは単なる反共の精神に過ぎず、公平に政策を読み取り、選挙戦全体(出馬表明を含む)を展望するならば、大きく態度も変わるかもしれない。選挙とは、各々の意見を表現する場であるが、すべてが反映されるわけではないことは誰もが承知である。それは、個人の意思が非常に多様で一つとしてコピーが存在し得ないからである。したがって、投票行為には一定の妥協が生じる。妥協したくないものは大抵棄権に走る。筆者とて妥協は望まないが、まだ学生の身分であり、被選挙権を付されない立場である以上、最大限の意思表示として反共を投じるに過ぎないのである。
 現在、大同小異といわれている政治政党。国政を眺めると、マニフェスト提示や党内改革を推進して、漸く個々の政党が独自性を見出し始めたようにも感じられる。多数派形成のために複数政党が合同する連立の性質は致し方ないが、一方で合併という形で完全一党化を目指す傾向も出てきた。一種の二大政党制の方向だと批判する声もあるが、相反する2者、あるいは3,4者の政界が形成されつつある。ところが、地方自治体はどうか。本稿における名古屋市を取ってみても、明らかに民主党から出馬した河村たかし氏に対して、地方としてはどこの政治団体に所属するか分からないような松原氏と、民主党内で支持争いをしなければならないような政党間不透明。結局どこの地方自治体においても、「自民・民主・公明が連名で支持する現職」というお決まりの候補者が多くの票を集めることになる。民主党の幹事長も務めた経験のある河村氏ですら、民主の支援を独占できないという事態は、おそらくホリエモン流に言えば、「想定の範囲内だが、悪い方向の想定内」だったのではないか。共産党と市民団体の支援で松原氏に対立する榑松候補は、公約ビラでさりげなくこの点を指摘している。
結:総理を諦めたのではなく、地方自治選にメスを入れる実験だった。【2005/04/19/PM】