南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

郡上みずの旅 1:美濃市・郡上八幡

《前置き》
夏休みに海外(恐らく台湾か、中国の名所)を計画しているので、GWはなるべく金のかからない鉄道を選んでみた。当初の計画では、伊勢・志摩(近鉄の2Day切符利用で太江寺の藤祭りがメイン)、吉野・高野山(3・3・Sun切符利用)、そして郡上八幡の三候補が挙がっていた。ただ、3日連続が取れないので高野山が切られ、伊勢志摩はあまり太江寺以外に観光モノがなく、名目上の計画を提示できないことから諦めた。実は、極秘で行きたいところがあったのだが、ここでも明かさないということで。

東海地区の3セクはまだ未開の線が残っている。第一愛環すらまだ済んでいないではないか。というのは置いといても、樽見長良川天浜線・神岡はボチボチ治めておきたいところ。上記の中で、郡上にYHのある長良川鉄道が選出された。

《主な行程》
名古屋→美濃市郡上八幡

《旅先の諸々》
さて、そろそろ出発しよう。中央線の某駅から乗車。高蔵寺までは、福知山線の事件を気にしてか、最徐行する快速電車。ところが対照的に高蔵寺〜多治見間は、脱線しそうなほど飛ばす。東海も怖いものだ。乗車駅の都合上、先頭に乗車した俺は、後方車両に比べて幾分乗車率が低めなのにもチェック済み。まぁこの先ずっと鈍行に付き合うので、脱線しなければ限りなく飛ばしてもらうほうが嬉しい。因みにこの場を借りてJR西日本の例の事故について述べさせていただくと、もしこの事故を契機に過密ダイヤはともかく、高速度快速の運行を見合わせたり廃したりするようなことがあれば、筆者は永遠にJR西日本を敬遠し、乗車を避けるであろう。即ち、私鉄との競合や広範囲の利用客確保から多少の撤退を考慮されるのは致し方ないが、郵政民営化の執行も間近であるから、民営のサービス精神を消し去らないように願う。その上で、事故の徹底した原因究明と内容の如何を問わぬ情報公開に努めていただきたいものである。というようなことは今考えたのであって、太多線の列車内では、「美濃太田から御嵩行きの○○がでる」という会話に、不審を感じていた。バスならあるかもしれないが、電車なら可児でせう。

美濃太田。北の外れに、JRと付いているのか否か分からないような、真新しいホームに降り立つと、一両列車有り。駅空間を眺めていると、駅員が出てきて、一日フリー切符を広告し始めた。中年男性が行く先を迷っていると、「とりあえず一日フリー切符をお買いになれば」と薦めている。HPには土日・休日のみとあったので、今日は使わずに3日利用する形で計画を立ててきたのだが、GW期間中は可だったらしい。それでも美濃市に途中下車しても1390円で、元値の1500円に達しないので、計画通り普通切符を買う。先頭の扉付近に立っていると、若い女性二人が戸口で戸惑っている。不思議に思って下を見ると、なんとこの真新しいホームに、羽蟻が群がっているのである。「羽蟻一匹でシロアリが何万?」とかいう広告を思い出し、なんと杜撰な建設だろうか、と恐ろしくなる。床が真っ黒になるほどの大群で、視覚障害者用ブロックとアスファルトの隙間から這い出しているようだ。彼女たちの顔が強張るのも無理はない。一方、自販機に来た中年女性は、ガシガシ何食わぬ顔で踏みつけていたが。

松井秀喜似の運転士による堅実な発進。富加で交代。サイドミラーを隠すような位置に俺が立っていたので、運転士の方には迷惑だったかもしれない。関では、先々月末の廃線時に来れなかった美濃町線終着点を垣間見ることができた。まだ1ヶ月しか経っていないので、線路や信号は除かれていない模様。長良川鉄道本社のある関駅では3分停車。ホームの端まで行けば、名鉄線合流の痕跡が確かめられたが、それよりも乗り遅れるのが怖かった。刃物会館前駅では、刃物会館を見つけられず謎のまま。

美濃市駅着。関程度なら、自転車で多少気合を入れれば行けるが、美濃市となるとなかなか難しい。和紙の生産で知られる美濃市を、長良川鉄道の沿線の一コマとして歩いてみようと思ったので、昨日突如加えられた。尤も、市街地内では、和紙よりも「うだつの上がる町並み」をアピールしている。美濃の和紙を本格的に扱う〔和紙の里〕は、幾分山奥なので行けず。この先鉄道の主要駅がほとんどそうであったが、美濃市駅は古めかしい趣のある木造の駅舎。長良川に向かってしばらく歩くと、名鉄美濃町線旧美濃駅資料館がある。美濃町線がその名のとおり美濃まで通っていた頃の、終着駅だ。チョロQは置いといて、瀬戸線の旧尾張瀬戸駅を思わせるような構造の駅舎を内外から眺め、公開されている510系に乗車。ここに展示されている写真の多くが、岐阜市内線揖斐線のものなので、もはや名鉄のどこにも見ることのできない軌道線電車たちが、まるで岐阜市内ではまだ生きているかのように公開されていて、不思議な時間の流れを感じた。
朝食が早かったので、うだつの町並みに入ると空腹を感じてきた。柏餅を食べながら町並みを眺める。馬をつなぐ石を弄ってみたりしながら町並みを歩いていくと、小学校の遠足らしいものに出くわしたので、接触を避けるべく小倉公園へ。桜はもう残っていなかったが、この地で江戸期に農民の苦情をまとめたり、学問を通して改革をした功労者の碑が立てられていた。小倉山を西から廻り込むように長良川の辺に出る。鉄道の開通前、この地の交易の主軸を成した、長良川の湊と灯台の跡が残っていた。近くには、近代つり橋としては日本最古の美濃橋が長良川を跨いでいる。釣り人がチラホラ。曾代用水が長良川と並行するように流れている。俺の長良川との旅は、こんな風景から始まった。
もう一度うだつの町並みに戻り、改めて屋根を眺めながら、梅山駅へ。武儀高校の向かいに、越美乳業というのがあった。そうそう、長良川鉄道は越美南線というのです。九頭竜線越美北線、この二つがつながる前に国電から整理されてしまった模様。ともかくあのふるさと牛乳は美味しそうだったので、旅の中で飲もうと決めた。各地にある地元牛乳を飲むのは、密かな楽しみ。

美濃市散策でほどよくお腹が空いて、川沿いの新緑を観ながら昼食。それにしても長良川鉄道というのは、半在(犯罪?)とか美濃白鳥(身代取り?)とか物騒な駅名がございますな。一方でみなみ子宝温泉という縁起のいい温泉駅(新設)もあったり、母野とはまた心が包み込まれるような駅名ですな。車窓とともに昼食・転寝をするのは、大変幸福であります。

郡上八幡、12:41着。時刻表には12:54とあったが、これは発車時刻で、41分に到着して13分停車しているのだ。それでも結局南蛇井が駅を出たのは、12:54分頃でした(笑。実は自宅に散策マップ(冊子)を忘れてきたので、同駅で探していたのと、鉄道資料館を覗いていたのです。八幡市街地と駅は幾分離れているので、20分ほどダラダラ歩った。冊子も忘れてくるくらいだから、かなり無計画で行き当たりばったりの旅だ。したがって、アイフルじゃないが無駄にお金を使いかねない。歩きながら、見学するミューゼウムを選択する。どこも結構入館料が高め。観光繁華街に着く頃、5つばかり選び終えた。さすが観光の町だけあって、賑わいがすごい。すごいのはいいのだが、せっかく町並みがよくてちょっとお店なんか覗いたりできるような親しみやすい雰囲気なのに、歴史ある町並みによくある欠点として、生活道と主要道がごっちゃになっているのが残念。つまり、ギリギリすれ違えるような狭い道を、車がどんどん行きかう。国道以外には、これしか貫通道路がないからだ。よって、観光客はおろか、住民もが側溝にも立ってられないほど道を避けなければならない。これは有松で、だいぶ改善されたが、見かけたことがある。大切な観光資源として、半年くらい前だろうか、きれいに整備された跡が見られる郡上八幡の、今後の課題だろう。水路の流れる小さな路地にさえ、車が進入してくるのにはかなり閉口した。

それでも、〔やなか水のこみち〕には比較的車が入ってこなくて、静かで子供たちが戯れている。この涼しげな一角にある〔やなか三館〕共通券を求める。茶器と茶室に水琴窟を誂えたさらに静かな斉藤美術館。先回東北旅行で親しんだ宮沢賢治の童話を思わせるような微笑ましい絵画や、小枝などで作った作品を展示する、水野政雄アートギャラリー遊童館奥美濃の民芸を古い家屋で展示する、おもだか家民芸館。民芸館には、長良川の清水を思わせるような、白金色のハッカ飴が売られていた。遊童館に入場する際、水野政雄が描いたポスターをお土産に渡された。只今自室の壁に貼るところである。

次は八幡山に登り八幡城天守から市街を眺め渡そう、と行くところだが、八幡にはもう一つ大切な観光ネタがある。それはレストランや食堂の店先ウィンドウに提示されている、あの食品サンプル。八幡町出身の岩崎という方が設立したのが発祥なのだ。いまや郡上八幡を代表する地場産業でもあるそうだ。蝋細工から化学素材へと変化し、芸術性も帯びてきた。そんな食品サンプルの製作過程などを体感できるお店、さんぷる工房。実際に天ぷらを作る体験ができるほか、奥でフルーツパフェの製作過程を見学できる(「ここでも包丁を使って調理してるんだ」という言葉が印象的)。表でも、こぼれかけて停止しているラーメンや焼そば、生々しい牛肉塊など普段ケースの中で触れることのできないサンプル達に手を伸ばすことができる。今にも食べたくなるようなケーキのマグネットがお土産に売られている。まさに、日本固有の芸術だと思った。

さて、面白い寄り道の後は、約80mほどの山を登って、さらに八幡城の4階まで上がる。郡上八幡市街で最も高いビルディングは、「はちしん(八幡信用金庫?)」であった。城に上がらなくても、市内のどこからでも目立つ。八幡は大体3つの区域に分かれていて、長良川の支流吉田川の左岸に位置する南町(さっき歩いてきたところ)、古い町並みの残る右岸の北町、そして城の東側に位置する比較的新しい住宅地だ。其々標高500m程度の山々に囲まれながら、八幡町における大事なパーツを担っている。近代以降に再建された城としては、最も古いとされる八幡城を下り、若干閉館時間を心配していた〔郡上八幡博覧館〕へ。夏の有名な長良川飛込みや、郡上踊りなど水と共存する郷土文化を紹介。映像など眺めながら、17時ギリギリまで滞在して、出る際にふとお土産コーナーを見ると、ふるさと牛乳があった。残念、閉館してしまった。

ので、同館の裏にある水場で、郡上の水を味わう。かつて名古屋の水が日本で二番目に美味しいといわれた時期があった。今、名古屋水はカルキドリンクだ。やはり天然水に最低限度の消毒をしただけの郡上の水は、一味違った。そのまま庶民の町を歩き、古い町並みと水のかかわりを横目に、広くて狭い八幡を散策。しながら、夕飯を食べる店を探す。今夜のYHは夕飯が出ないので、選択権を得ると同時に、明日朝までもたせる量を取らねばならない。麺類は避けて、大盛のご飯をバリバリ食べたい気分。そんな店を探しながら、さっきの〔やなか水のこみち〕に戻ったり、宗祇水に行ったり、小学生・中学生の日常なんか眺めながら、とにかく狭くてマイナーな裏道を歩き回った。最後に漸く旧八幡町庁舎の裏にある、水路で一服。飛び込みで知られる新橋を渡って、先に目をつけていた一軒の料理屋に入る。

メニュー表を見て、冷や汗ダラダラ。というのは、この店に入った切欠は、店先の山菜づくし定食ってのが気に入って、飯をたくさん食べれると直感したからだ。しかも表には「郷土料理」とある。これも気に入った。ところが、値段はそこには書いてなかった。恐るべし。メニューの平均値は1500円。鮎料理や飛騨牛のメニューがズラリ。山菜づくしも確かにあったが、びっくりな値段。出されたお茶や手拭も手をつけずに、手に汗握っていると、見かねたらしくご主人が、「値段が合わなかったかな。無理してもらってもアレだから、手ごろな処を他に探してもらったほうがいいかも知れない」と仰って下さった。大変申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちと複雑に入り混じりながら、店を出ることとなった。このネタは大変家庭で話題となり、武勇伝にまでされてしまった出来事である。値段が高すぎて注文せずに店を出るなんて。いい度胸だこと。しかしながら、店の方には非常に申し訳ないと思ってますので、ここで広告しておきます。当店は、八幡町の吉田川右岸、新橋と宮瀬橋の間である肴町にあります。〔郷土料理の大八〕といって、一見暗そうな居酒屋っぽい趣きをしていますが、確かに郷土感があふれる内装が凝らしてあります。一度何方かお試しください。

そんな訳で、結局HPで出発前に調べていったそば屋さん大和屋に入る。そして、これも予め考えておいた、同店お勧めの天然芋かけそば(1100円)を頂く。なんか平均1500円の店を諦めた割には、高価な値段のお蕎麦である。まぁ、何事も失敗はあるし、経験になるし、何より思い出になるさ。それに、この山芋とろろ蕎麦は、とろろ分が非常に多くて、絶品。店内で一カップルが、映画『サトラレ』の話をしていたので、なんだか身近に感じた。ここ郡上は同映画のロケ地なんである。俺も出発前に父親から聞いた。帰ってから、またDVDを観ようかと思っている。店主は多少横柄だったけど、蕎麦は非常に美味しかったので、満足。後はお風呂には入れればなおいいのだが、今夜のホステルは寺なので風呂は無い気配。チェックイン前に、どっかの銭湯を探すか、と思いつつ、宗祇水を再び通って、YHに向かう途中、370円の共同湯を発見。ネットで予習済みだが、確認。

チェックインすると、先ほどの共同湯の入浴券を渡される。これで370円が浮いて、夕飯と入浴を合わせて1100円で済んだ計算になった。万歳。部屋は、4人。後で揃ったときに聞いたんだが、俺だけが鉄道で、3人は出身はばらばらだが、全員ツーリングだった。一人は東京から来てこの先紀伊半島を廻るという大計画、二人目は大阪から来て飛騨高山を廻って明日帰る。三人目は、静岡の浜北市から、郡上を通過地点にして北陸の実家に帰るんだそうだ。熱湯のような共同湯で汗を流して、涼しい外に出たとたんfrom東京のライダーに声かけられて二人でYHに帰る。彼は、俺がGWなのに一泊で名古屋に帰ることを惜しんでいたけど、夏の海外のためには仕方ない。ツーリングの方々は、夕方到着して観光するので、しばらく戻ってこないため揃うのが遅くなる。

まずは自分の住む地域の話題。次に趣味と来る。ところが、俺以外はツーリングだから、話がそっちに持ってかれやすい。俺は大学や万博の話をするけれど、うらやましい、で片付けられかねない。浜北の人はタメだったが、残りはおそらく年上だろう。一時は、明日のルート計画で地図に没頭されちまって、自由気ままで長良川鉄道の時刻表すら持ってない俺は浮いてしまった。それでも、皆で布団を敷いて、横になると、しばし地方言葉の話や俺も加われるような旅の話になって、同室のメンバーがこれだけ和気藹々と話し合えるYHは、これが初めてである。とにかく、ツーリングだろうが鉄道趣味だろうが、同じ屋根の下で通じるものがあるんだ、と実感。

大変長々と、ゆっくりゆったり長良川の流れに沿って語ってまいりましたが、本日はこれで、お休みなさいませ。

つづく