南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

春学期末課題のテーマを模索中

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 試験や最終課題の準備に追われているはずが、実のところ試験はさておき、ゼミの各講義でのまとめがまだ完了しておらず今期最終課題に手をつけることも侭ならない状態である。しばらく台湾論より身を引き、中国語検定試験への対策に徹していたせいか、卒論のテーマともなるはずである当課題に、レポートへの搭乗権を付与するわけにも行かぬという難しい状況にある。ともかくも、本日中に「第二圏域への転落」と「ロシアの大国化とその脅威」という、先週以前のゼミテーマをまとめてここに付することから始めることになろう。
 さて、今期レポートを如何なるテーマにするにしても、それが台湾論から大幅に逸れる物であってはならない。従って候補に挙がっているのは、「なぜ今、台湾を考えねばならないか」というものである。筆者がこれを中心とするあらゆる愛国論を唱えるとき、常に思うものがある。それは、森首相が嘗て行った『神の国』発言である。さらには、決して止める事のない小泉総理の靖国公式参拝。太平洋戦争当時、父親の出征を見送り日本国旗を振りつづけ、駄菓子屋で買った軍艦や零戦で遊んだ少年達。そう、戦中教育を幼稚園や小学校低・中学年で受けてきた世代だ。最も意識しないまま戦争を受け入れていく時期。そして、意識せぬまま、深い心中に愛国意識を据え付けている世代。彼らは同時に、疎開や空襲の悲惨さは知っているかもしれないが、戦闘を実体験しない。人を殺さないで、戦争の美しい部分だけを知っている世代。しかも彼らは実体験のないまま、戦後の平和教育を受けた。あの、「あたらしいけんぽうのはなし」を読んでも、実感が湧かなかったことだろう。
 そんな彼らが、今度は無理やり平和を押し付けられた形で、戦後日本を築いていく。激動の経済成長とIT革命を経験し、自己責任と競争主義が叫ばれる中、今や政界の要所に立ち、新しい日本のポリシーを建設しようとしている。歪んだ戦後理解をした彼らは、中韓の補償請求に屈し、一方で国内の異国人に圧制を課し、正当な主張もできぬまま弱者を押さえ込むという醜い姿に徹してきた。今、よしりんの戦争論や歴史教科書研究などに触発され、歪んだ形で爆発させようとしている。太平洋戦争を公正な形で理解・反省し、彼らに納得させることができれば、日本の未来は明るいであろう。
結:日本を思う。故に台湾あり。【2005/07/11/PM】