南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

第二圏域への転落(世弥)−後章

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 前章にて、新しい中世の優等生であると述べた第一圏域だが、各圏域との交流の難しさのほかにファクターが無いわけではない。寧ろ、どんな国家も全くの中立を貫くことが出来ず、常に何らかの攻撃の的になるものだ。それを同書においては、オウム真理教アルカイダなどの、国内外における組織として挙げている。これらは、新しい中世における環境の中では、国家でなくとも国家と同等の主権単位であり、他には例えば多国籍企業やNPO法人などがある。こうした組織が、国家と等しい主権を持つこと自体が新しい中世の特徴なのだが、同時に一国家と同レベルの武力行使を遂行した場合、9.11のような「新しい戦争」が起こる。また、第一圏域が究めたとされる自由主義的民主制だが、これを逆手に利用して合法的に政権を奪取するナチスのようなファクターも現れかねない。
 ところで、昨年の夏季集中講義で受講した「日本政治論」では、1990年代前半の政党混乱時代を学んだ(04年8月16日稿参照)。末期の95年には周知の地下鉄サリン事件がおきている。政治の不安定化で、国民の間に政治的信頼が薄れ、それに代替する影響力を求めようとした結果ではないか。尤も同組織は、90年代初めに、選挙で多数の候補者を出し、合法的な権力奪取を試みたことがある。それすらも超えた暴力まで発展させた背景には、自社さ連立政権のような混迷きわまる政治があった。
 ただし、これは勿論自由主義的民主制の崩壊ではない。が、腐敗という形が何も招かないというのは楽観過ぎる。グローバル化社会の中で、市場経済は競争を激化させ、常に切磋琢磨する機会を与えられているが、自由主義的民主制は一度ほぼ確立させてしまうと、そこに安住し二度と崩されないものと思い込んでしまう。国民は投票に行かず、言論や信条の自由が如何なるものかを意識する者はかなり少ない。それが腐敗の要因であり、第一圏域の死角でもあるといえる。もし、日本に中国という第二圏域の国家が存在せず、自由主義的民主制の恩恵あるいは欠陥を常に意識する機会を与えられていなければ、間違いなく第一圏域と第二圏域を彷徨う国家に成り下がっていたことだろう。第一圏域に達した国家は、循環のように第二圏域へ後退する可能性又は宿命を帯びているようにも思える。
結:新しい中世は一方通行ではない。【2005/07/13/PM】