南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

活動報復

1.ゼミの予習(中国の三位一体体制、すなわち共産党・国家・人民解放軍の緊密な連携による政治運営)。連携というか、細胞分裂した程度じゃないかと。自民党・霞ヶ関・自衛隊を緊密な関係にしても、やはり何か足りない。そう、四位一体で靖国神社を加えねば。
日本では四位一体という言葉が使える。なぜなら、自民党は「政党」で、霞ヶ関は「官僚機関」で、自衛隊は「国防組織」で、靖国神社は「宗教団体」だ。ところが、中国では党がすなわち国家であり、党が人民解放軍を組織し、毛沢東語録等による一種の宗教で統率している。すべて党が魂で、それが三位一体のひとつを成しているというのは不自然だ。魂すなわち全ての根源が軍や国家と同列に並び、対等に連携しているというのは全く矛盾である。
という論の展開はすぐに誰かが見破らねばならないよ。どこで間違えたのかというと、『党がすなわち国家であり』との文言だ。レポートには「国家」の説明が欠けているため、党=国家じゃないの?という質問がしたくなる。でも、ちがう。党は、党であり、国家機関はまたそれだ。党、国家機関、軍を三角形に書いてみて、真ん中(重心か?)に軸があるとする。まず、その回転する筈の機械に燃料が不要であるとする。電気とかガスとか愛液とかがいらないわけだ。私も忘れたのだが、何か緻密な仕組みがあって、歯車の連携だけで永遠に動力を生み出し続ける仕組みがあるのを見たことがある。そういうものだ。党が国家機関をプッシュして国家機関は軍をプッシュする。党は軍や機関に人材を送り、逆に党が政権から脱落しないための体制を維持させる。
しかしながら、この例は稀であって、太平洋プレートと日本海プレートが互いに押し合っている均衡時間や原発が大暴発を起こして1国の電力供給を一網打尽にしてしまうよりは耐久性があるけれども、危機管理体制を整えておくに越したことはない。実は三位一体ができてから危機管理体制ができたのでなく、三位一体など念頭にないうちに危機管理体制だけ出来ていたのだ。それが共産主義イデオロギーだ。つまり、このエネルギーはアラビア半島ペルシャ湾から採掘して加工しなくとも、小高い丘に登ればプロペラを回転させるほど豊富にこの世に存在し、いつでも油をさし(反日感情?)小指の先で一押し回転をスムーズに安定させてくれるのである。魂という伝統的な表現を用いずとも、この神のようなエネルギーによって三位一体のみならず、毛沢東思想という宗教概念なども簡単に転がせるのだ。
2.自レポートのまとめ直し
今日中に1章は終わらせねば時間がないかもよ。それと、最重要書籍は県図書館にも市図書館にも所蔵されていないことが分かった。これで来週月曜まで得られないことが確定。うわー
3.凶刃的狂言の総本家移行作業を開始。2004年1月分に関しては、総本家でも閲覧できるようになりました。
なんだか、午後2時半からずーーーーとここに座っていて、エコノミークラス症候群になってきたぞ。