南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

目に見えない束縛−日本文化論

 数ヶ月ぶりでございます。南蛇井総本家は開設から早や2年目を迎え、春も酣、桜も咲き誇り、新緑青々、私も卒論や将来に青々となってまいりました。今年からは、南蛇井総本家の中央集権化が進み、各サービスに点在しております南蛇井製作のページが、当本家に全て集約されつつあります。最大の難関事業、『凶刃的狂言』の過去記事移転は、現在2004年分が完了し、当家のK.K.過去記事コーナーにて、閲覧可能となっております。本年5月以降の『凶刃的狂言』は本コーナー「ほんねとーく」にて引き続き更新されるものと思われます(未定)。今後とも、、、何となく堅苦しくなってきたので止めよう。
 実は堅苦しくすることが狙いなのであって、上記の内容なんかはどうでもいい。「ご挨拶」とか、「前置き」とか、「開式の辞」とか、そう無理やり人間は拘束されたがる。個人は原則自由で、法によって以外拘束されはしない。
 などと語り、筆者の関心を惹いたのが、上記にある日本文化論とかいう講義で、私は単位稼ぎのために、未登録で聞きに行った。我が大学に近接する県大の教授で、本学には非常勤で現れるらしいH氏は、その語り口からして旨みをもっている。ところが、昨日拝聴した結果、あまりにも勿体ないというか情けなかったので、数ヶ月ぶりにここに駄文を打ち込む引き金となった。そんなに長くはならないと思うので、久々にざっと読み流して欲しい。
 まず、講義のはじめにプリントが流れた。枚数が足りないとかで、追加印刷に時間を要したが、それは筆者のような流民がおるからだ。このプリントは、というかレジュメ、というか彼曰くは自分自身の覚書だと称するものは、彼は講義が早口で、講義メモを取りたい学生が付いていけず、聞き落としの惨事とそれによる教授非難が発生したこれまでの講義を踏まえて製作されたのだということだ。このときは、まぁ勝手に作るが良かろう、と感じた。自分自身のメモだと言いながら、自分でも後で読んで分からないだろうというくらいだから、初めて手にする学生が復習のみに用いようとするのは無理がある。どのくらい教材の足しになるか分かったもんじゃない。止めたくなれば、いつでも止めるが良かろう、と思った。つまり多少は評価、あるいは黙認した形だ。
 それで、初回だから講義の進め方は当然として、まず触りの部分をやる。これは要点だけ書くと、第一に、日本人は近代以降に作られ洗脳された日本への回帰、ナショナルアイデンティティに無意識に束縛されているということ。春に桜を見て、「日本人は桜が好きだ」と言い、桜嗜好から外国人を排斥し、また桜を好まぬ日本人を排除する。日本国史は平安貴族や武士道だと教えられ、それを当然と思って生きている。日本で生まれたから、日本人としてのアイデンティティを持たねばならぬのではなく、ナショナルアイデンティティは選択肢の一つとして自由であるものだという。
 第二に、先ほど触れたように、社会的束縛の話。性差とか公私の問題。自由だけれども、場を考えた行動が望まれるし、決して排除はされないという確信があっても、自らの首を敢えて絞めて行動する文化。ま、こっちは抽象的にまとめてみたけれど、その辺の例示は女装の自由とか、教授会に頭髪を脱色して出席するとか、こぅ品性は兎も角としてその実践力は感じられた。
 彼は講義中、ジュースも飲むし、座ったまま弁舌するし、PC使用は禁ずるし、期末試験は1ヶ月前に問題を提示し、答案を試験日に持参して終了という奇法を用いるのらしい。そして、それを俺の勝手だと言う。だからこそ、敢えて言わねばならん。
 プリントを作るな!
 彼の最大の欠点は、プリントに拘束されたがることだ。学生の要望だと断っておきながら、明らかに束縛を求めている。美味い例示を出しながらも、話が逸れたと言ってはレジュメの箇所を探る。聞いているほうがかなりイライラする。せっかく生まれた波を、昇りきる前にバッサリ切ってしまう感じだ。しかも、プリントは無理やり沿ってるようでいて、実は内容の半分ほども言及していない。この程度なら、堅苦しい眠たい話を長々としていただいたほうが余程スッキリする。
 大体、学生の苦情などでプリントを提供する行為が軟弱だ。早口で流していく講義なら、それ相応の聴き方があり、単位取得とか研究の為などに拘っているような学生には刺激を与えて思考転換させるほどの勢いがなくてはならん。教授会に脱色していこう、「と試みた程度」の限界がここで見え透いている。
 『学生に何かを伝えている』という建前は十分に発揮されている。講義ってそんなものでいいのじゃないか?伝えられた奴は単位を取って、伝わらなかった奴は落ちる。本来大学的学問って真意はそこにあるんじゃないかと思う。
座って講義をしようが何を飲もうが(酒類は禁止されているが)、そんなことは勝手を主張するまでもなく、他愛ない。そんなことで、多少建前に接近して矛を振り回したような気になるな。もっと自己流でやれ。黙って俺について来い、ってな。
他人への親切のつもりが、実は自分を甘やかしたり自由を失わせたりして、本来の面白さを損なう。そして、今回に限っては、本講義自体が説得力を持たない。