南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

長期化した日中戦争の真相

日中戦争に関するNHKスペシャルを観たら、無性にネタが打ちたくなった。思えばこのテーマ、昨年のゼミで、卒論にしたい課題として挙げている学生がいた。いま彼はこの番組を見ているだろうか。それとも、ゼミ転向を迫られて、テーマをも変更してしまっただろうか。昨年3月教授が突如病に倒れられてから、我々ゼミ生は別々の道を歩んでしまったので、彼の動向を知ることはない。
昨年の秋学期には、彼のレポートの発表があった。番組について述べる前に、そのときの内容を簡単にまとめてみる。彼のテーマは、「日中戦争における中国軍の戦略」と題し(無論これは仮題であるが)、日本の「速戦速決」作戦がなぜ成功せず、最終的に敗戦まで追い込まれることになったのか、対峙した中国軍の戦略から分析してみようというものだった。もともと軍事関係に関心があったらしい。テーマの選択は、同じゼミ生の中では、最も出来ていると思った。レポートでは、盧溝橋事件、即ち支那事変勃発当時、敵対状態にあった国民党と共産党それぞれの軍事力と戦略、そして抗日戦線に対する考え方の違いについて取り上げていた。対日持久戦論者である蒋介石は、

  1. 中国のおかれた国際的環境に照らした大戦略。即ち、日本軍の侵攻が周辺植民地の宗主国(欧米諸国)、を刺激し、日本を国際的に孤立させることが出来るというもの。この点は後にも述べる。
  2. 中国自体の地理的条件に基づく野戦戦略。即ち、中国の南北分断を避け、持久戦のための拠点移転の時間稼ぎに、日本軍の補給線を東西向きにすることである。

一方の共産党は、人民武装と社会主義組織の形成といった、直接抗日とは関係のない考え方をとった。人民武装により、日本軍を租界まで追撃し、さらに他の帝国主義まで上海から一掃するといった、国際関係まで逆に悪化しそうな戦略である。
このレポートのまとめでは、蒋介石の持久戦戦略は日本の補給線を東西に伸ばし、それによって反撃の力を蓄積する間が作られたことで、成功といえる。しかし、国共合作がもっと速やかに成立していれば、日中戦争は早期に決着していたのではないか。およそ、このようにまとめられている。
さて、彼のレポートを踏まえた上で、多少は関係のある今回の番組についてみてみよう。主題は、盧溝橋事件から南京陥落にいたるまでの歴史的検証と、日中戦争の本質である。が、NHKの思惑かどうか分からないが、実のところこれは南京大虐殺の検証に等しい。はじめはその内容に斬新な感をおぼえるが、最終的には南京大虐殺の悲劇に帰結しているからだ。けれど、この表裏別々のような2つのテーマは、実際には大体のところ一致している。この番組の重要な点は、3つある。

  1. 日中間の攻防の国際的位置づけ
  2. 上海攻防戦での日本軍兵士の心理
  3. 現地軍と本土参謀の戦略の不一致

これらを一つずつ、詳しくみていこう。
盧溝橋事件を契機に始まった日中間の攻防は、満州国のソ連からの防衛軍備を対中戦に割くのは避けるべしという、日本軍の思惑から南部への集中が進んだ。軍閥との対立が済んだ蒋介石率いる国民党軍は、本格的に抗日戦に乗り出してきた。国民党軍はドイツおよびソ連からの密かな武器供与と、軍事戦略の教授を受けて上海地域の防衛を固めた。租界の居留日本人を守るためと称し、上海地区の兵力を増強した日本軍に対して、地形を利用した国民党軍の戦略が勝ったため、上陸まもない日本軍は苦戦した。このため、日本は「速戦速決」から、蘇州=嘉興ラインを引いて上海陥落のみをひとまずの目標とした。蒋介石はたえず国際社会に打診して、上海攻防戦を租界に駐留する他の列強諸国が注目するような戦略を講じた。経済制裁の発動を求め、日本の孤立化に働きかけた。一方の日本は、アメリカ中立法の適用によって工業製品供与が停止されるのを恐れ、この攻防戦を国際法上の戦争とすることを回避し続けた。蒋介石の尽力もむなしく、上海陥落から南京陥落にいたるまで、支那事変は戦争として認められることなく、国際社会からの正式な中国救援は避けられ続けた。すなわち、南京大虐殺が起きたとき、この攻防戦は事変の一環に過ぎず、南京市内で中国軍兵士を捕捉しても、捕虜として扱う必要がなかった。というより、捕虜として扱えば、戦争と認めたことになるため、寧ろできなかったのである。さらに、掃蕩を恐れた中国軍正規兵は、便衣に着替えて民間人に紛れたため、難民区を含むすべての南京市民を、見境なく掃蕩することになった。この虐殺の報道をとおして、漸く国際社会の日本軍に対する認識が変化し、対日強硬が進んでいく。
上海死守を続けた蒋介石は、ドイツ専門家に戦略を授けられた精鋭軍を攻防戦で失い、日本軍に敗北した。一方日本も勝って上海を陥落させはしたが、その精鋭軍を相当疲弊させていた。しかし、指揮部は敗走する中国軍の追撃を命じた。番組では幾人かの石川県出身の当時の兵士に取材し、いつ終わるともしれない戦線への不満、苛立ちを記録している。増強兵力はいつ来るのか、といった不信感も募らせていた。しかし、本土では新たな戦略として、ラインを越えた南京進撃が奏上される。疲弊した兵士は、さらなる戦線に駆り出され、南京へ入城する頃には敵愾心と一種の無力感とに圧倒されていたのではなかろうか。これも南京虐殺の一つの後押しになったように思われる。
現地での疲弊する戦力とは裏腹に、陸軍参謀は上海から西へ西へと戦線拡大を進める。しかし、本来陸軍や政治家は戦線不拡大を主張していたのであり、拡大を進言してきたのは現地の司令官であった。これは満州事変における関東軍のやり方と同じであり、現地で行動を起こし、本土政府が追認するという形式になっていく。この現地と本土の不一致を埋め合わせたのが、軍部の若手グループである。これは、以前にアジア政治論の講義で興味深かった内容をまとめたトークに記したことであるが、明治維新に形成された軍部は薩長土肥といった幕末の有力者によって構成されていた。しかし、近代化によって陸軍大学校を出た若手軍人が成長し、やがて政界などで力をつけてくる。それがちょうど開戦の頃に重なるのである。すなわち、幕末型軍人のカリスマ性が衰えたとき、軍部内でその権力闘争が発生する。二二六事件などはその一端である。現地の指揮官もそれなりの経験を積んだ人物であるとはいえ、幕末以来の重鎮ではないから当然若手の人間である。権力闘争で古手を圧した新興軍人が、戦線拡大論を天皇に上奏する。軍部の新旧権力転換期と、上海攻防戦が重なったわけである。
私のこれまでの知識も交えて、この番組を読み解いたところでかなりの分量を用いてしまった。3つの重要項目を書くだけで随分と復習になったので、考えをまとめる余力がないが、なるべく簡潔に記してみよう。
まず、南京大虐殺には国際法上の問題で批判が出来ないということだ。たとえば、戦闘員、非戦闘員の区別なく殺害したという点を批判しようとしても、虐殺が報じられるまでこの攻防戦が正式に戦争として認められていないから、そのような指摘をされても無意味だ。ハーグ国際法とかいうのが、戦争のほかに、戦闘とか武力蜂起などのような場合においても、この区別が適用されるとのだと規定しているのなら別だが。この点については、自分でも調べてみる必要があるだろう。
また、中国軍正規兵が南京陥落時に便衣に着替えて民間人に紛れたという点。いったい便衣を何処から入手したのか。南京は当時の首都であるから衣料店は数多くあろうが、それにしても死守を命じられた正規兵の数である。さらに、指揮管理部は日本軍の入城をまえに逃走している。混乱に乗じて民間人から強奪したのであろうか。すると、大虐殺の惨劇にはこうした事態をも含んでいると考えられなくもない。これは推察である。
細かな部分については、如何様にも指摘することが出来る。しかし、虐殺の有る無しは転換することはできないであろう。日中双方からの証言のみならず、上記3点のような歴史的プロセスが存在するからである。


はじめの同学のレポートについて、文章そのままの無断転用はないが、内容的に引用した部分があるので、注釈として付けられていた文献を記しておく。
『中国革命と対日抗戦』汲古書院 今井駿 1997.6