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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ふるさと“上-京”の旅(2):高崎・上信線沿線(小幡・富岡・一ノ宮・下仁田)

水の城下町小幡

朝7時に吉野家がやってない?!

YHから徒歩3分で吉野家がある。朝はここで食えばいいと思って起きてスグ行ったら、なんとここ8時からしか開かない。ウッソだろ。朝飯に食いたい人どうするんだ。東京の真ん中で、まさかこんなバカがあるとは思わなかった。どう考えても間に合わないのでコンビニで弁当でも買おうと思ったが、お茶だけ買った。チェックアウトして浅草橋駅まで来たら、松屋が開いていたので豚飯を食う。卵が半生と言ってお膳ごと放棄して立ち去るリーマンがいて、これも唖然とした。朝飯に松屋を選ぶような人間だったら、文句言わずに食うべき。東京の日本人は変態だ。

今日は18切符を使わない

家族との交渉の結果、3回分しか使えない。今日は浅草橋から高崎まで片道1890円だから、本来の18切符だと使わないほうがいいのだが、今回はJR20周年記念であるから日あたり1600円でちょっと悔しい。高崎は関東の通勤圏〈近距離圏〉に入るかと思うと、これが微妙に抜けるので窓口で買わねばならない。このあと乗る快速は通勤タイプなんだがなぁ。

上野から上野へ

いよいよ、待ちに待ちに待った上州へ出発である。この昔から東北方面への玄関口である上野駅からってのがいいよな*1。8時39分、快速アーバン高崎行き乗車。熊谷付近まで座れず。並行する埼京線だか何だかを追い越し越され、わけがわからない。やはり路線本数が多いのも曲者だ。まぁ大宮までは物凄く飛ばすから快速の味がする。東日本はどことなく快速に快速の味がしないから、割と意外だった。
途中、一緒に立っていたラテン系の少年に、これは熊谷まで行くか、と片言の英語で問われたから、イエスと言っておいた。関東人じゃないので1割くらい自信がなかったが、まず間違いないと思った。外国人に何か聞かれることは、地元でもよくある。これは私の風貌か何かか。
快速だから仕方ないけれど、やはり座れてもボックスがいいというのは贅沢だろうか。やや大きな荷物を足元に置いては、居眠りがしづらい。途中から各停になって、乗降もまばらになってくる。ああ北関東に入ったなと感じる。

高崎駅で、だるまさんが、、、いないっ?!

これはすっげぇ期待していた俺がバカだった。高崎と言えば、達磨寺があって、そのシンボルたるだるまさんが大勢コンコースで出迎えてくれる絵を想像していた。改札口を出て真正面に、ようこそ、っとばかりに山のようにだるまが積まれているシーンを。
橋上駅の高崎駅改札を出、第一歩を踏み出した私の前には、ただの一つもダルマはなかった。西側の広場に出ても、だるまさんは居らず、代わりに桜祭りで呼ばれた大道芸人がいた。この芸人、まだ前哨戦なのか、受けが甘くってちょっとコケながら技を披露していた。
観音山行きバスがどこから出るのか、いまいち分かりづらかったので運行案内所で尋ねる。おばさん、親切に時刻表までくれた。

観音山で地元ガイドと観光政策論

桜祭りの最中だから、乗客は多い。市役所や病院の敷地内に停留所をおく、なかなか行き届いたサービスをするぐるりんバスである。
下車を観音山頂にしようか、白衣観音前にしようか迷っていた。山頂のほうが駅寄りで、滞在時間が少しでも長めにできる。ほとんどこの理由で山頂にした。でも11時5分に着いて、同26分には折り返しに乗らないといけない。短すぎる。
かなり小走りで美人な観音像の見える小高いところへ行って、望遠がないのはつらかったが写真を撮る。途中、だるまさんを山のように積んだ土産物店があったので、これもやはり逃さず収める。買わないのに写真だけ撮るのは気が引ける。っと勢いよく観光してきたら、まだまだ時間が余った。この余った時間を山頂からの眺望に費やしていたのが幸運だった。
そのガイドなる男性は、遠くの山々を見ている私に自然に近づいてきて、突然「高崎は軍都だった」などとのたまうものだから、これは聞き逃すわけには行くまい。彼はそのまま日本近代史をだだだっと語り始めてしまう。地形上の利点から軍都となったのかと問えば、高崎事件だとかやはり治安上の需要が大きいためであるという。さすが地元、だけではない、明治期ヲタクじゃないか。眺望の良いところでこんな話題を素直に聞く客は少なかろうから、私が気に入ってしまったのだろうか。随分口調が親しげになって、話も広範になる。私が政策学を専攻しているというと、どんな観光地がバックパッカーに向いているか、スペインなど海外の例や松山と広島の比較例なんか飛び出して、物凄い突っ込んだ議論になった。あと、こういう世代に多いのだが、やはり鉄道好きである。汽車旅、ローカル線、駅弁など、この辺も尽きない。しまいにはヒッチハイクまで飛び出すから、もう夢の世界だ。ただ地元を案内してくれるだけでなく、趣味や好きな話題で盛り上がるようなガイドさんも面白いと思った。予定のバスはもう行ってしまったが、切りのいいところで暇乞いをする。

臨時バスの運転手さんから「だんべえ」

さすが桜祭り開催中で、臨時バス(観音山発高崎駅行き)が出ていた。私が乗り込むと、外で一服していた運転手さんが運転台にあがりながら、「まだ桜は早いだんべえ、1週間くらい後だんべえ」とつぶやいた。キター、上州方言「だんべえ」のお出ましである。これが聞けるとは思わなかった。とても自然でやわらかい響きだ。

たかべん「だるま弁当」

高崎つったら、もう何を置いてもコレ。こんな上州満喫旅行をやらなくても、高崎通ったら弁当だけでも買うつもりだったくらいの、念願中の念願。さっきコンコースでだるまさんが迎えてくれなかったと記したが、代わりにだるま弁当が売られている。
昔は陶器だったという、プラスチック製の容器はだるまの形。これは食べた殻が貯金箱になる。中は、山菜やこんにゃくを中心としたヘルシーな群馬の味。これを高崎城址公園で桜を見ながら戴くなんて、最高でごわす。味が濃すぎず、素朴な家庭の味って言うのかな。空き容器は勿論、多少嵩張るけれども、大事に持って帰る。

上信電鉄の旅

群馬県を走る中小私鉄の一つ、上信電鉄。大都市圏には大手私鉄や中小私鉄がひしめいているけれども、群馬という、割と発展していない県に2つもの地方私鉄が走っていることに興味があった。その一方の上信線沿線には、愛用するHN南蛇井がある。南蛇井を使い始めて、群馬が好きになった。群馬に行ってみたいと思うようになった。上信線に乗り、南蛇井駅に下車する。それが叶えば、ふるさとに帰った気分というものだ。今回、下車だけはダイヤの都合上叶わなかった。
スタートは高崎駅。一日乗車券などはない。今日は途中下車が多いので、こういうのが欲しいところ。電車は観音山の南を回りこむようにして、南向きから西向きへと変わる。2両編成の列車はガチャガチャと大きな音を立て、近江鉄道を思い出す。学生溢れる地域の足、かと思えば、案外観光らしい人も乗っている。あいにくの曇天だが、右手に小高い山々、左手に田園地帯が広がる。

上州福島駅でレンタサイクル

電鉄のほぼ真ん中に位置する上州福島に最初の下車。ここは『鉄子の旅』など鉄道ライターで知られる横見氏が、日本国内全鉄道全駅乗下車の偉業を達成した駅でもある。まったくどんな経緯だったか知らないが、妙な駅をラストに選んだものだ。表は、私がプロフィール画像に上げている南蛇井駅とそっくりそのまま、駅名が違うだけ。画像では割愛したコカコーラの自販機も同じ。
上信線の主要駅には、観光用・生活用にレンタサイクルサービスがある。これは駅長さんに告げて、簡単な記帳をするだけで無料。これのおかげで、3km離れた小幡まで行けちゃうのだ。

水の城下町小幡

ゆるやかな上り坂が続くが、地図で見たほど距離はない。甘楽町役場を過ぎてほどなく、雄川堰に着いた。桜並木の遊歩道を抜けると、甘楽町歴史民俗資料館。小幡の歴史で特筆すべきなのは、徳川江戸時代に織田信長の次男信雄が小幡藩主として当地を支配したこと。尾張名古屋からこんなに離れても、織田氏の城下町なのである。観光雑誌などで見て、興味があった。また、「学問ノススメ」は福沢諭吉と当地出身の小幡篤次郎の共著で、次に訪れる富岡製糸工場など近代工業の礎が築かれた群馬らしい。
つぎに、資料館の周辺にある武家屋敷や旧家住宅を見て回ったのだけど、あんまり印象にない。2万石の小さな藩では、そう贅沢な家屋は造れないので、目だったものが残らない。
やはり日本名水100選でもある、雄川堰の桜を見物して過ごすのがベスト。通行する車をなるべく入らないように、水路と桜をマッチさせたアングルを、様々な角度から探して撮っていたら4枚にもなってしまった。露店で寂しく売っていた「焼きまんじゅう」を食べながら、静かに花見。この「焼きまんじゅう」、何気なく食ったのが実は上州名物だったとは前橋で知る。五平餅に近いんだけど、大きい割にふわふわで旨い。とかくタレが甘い。

ひとたびレンタルで富岡まで行ってくる奴があるか?

ゆっくりしていたら、福島まで下って電車に乗って富岡で降りて製糸工場まで歩くのは不可能な時間になってしまった。そこで、この小幡から直接富岡市まで行ってしまおう。ただし、自転車は借りた駅でしか返却できないので、工場を見たら福島駅まで戻らないといけないが。
これが、意外と長かった。まだ着かない、まだ着かないの不安の道のり。隣町くらいでこんな距離があるか。
世界遺産登録へ期待が高まる富岡製糸工場。宣伝が盛んなのか、物凄い団体客の人出である。写真を撮ろうにも人しか入らない。おまけに外観はだだっ広くて、レンガ造りのほかは殺風景なのだから、撮る価値がない。展示室はゆっくり観る余裕がないし、団体へのガイドさんにくっ付いて外観説明を盗み聞きながら、ざっと一周して終わり。頑張ってたどり着いた割には萎えたなぁ。これは計画から100パーセントはずさないつもりだったのだが、結果的にはハズレ。
ところで、出発前夜、予約しようとした旅館が満室だったのは、どうもこの富岡見学客が多いせいではないかと気づいた。この見学客の規模に驚くまで、その謎に気づかなかった。

電車に間に合えUターン

小幡で思いついた行動だから、上州福島を発する電車の時刻は推定でしかない。福島駅から真南へ向かったので、西から戻るとどこで駅に入るか分からん。あてずっぽうで狭い路地に迷い込んだり、頼りになるのは踏切だったり。まぁよくも間に合ったものだ。駅長さんに自転車を返したとき、踏切がなって電車が入線してきた。そこで急いでカメラを取り出し、駅長さんを脇目に、フラッシュ焚いて一枚。電車が停まってから、ホームに渡って乗車。動態電車を十分接近させて撮るのは大変難しい。フラッシュは運転士さんにマズイかなと思ったが、曇天なので致し方ない。この写真、ヘッドにマンナンライフの広告があって、いかにも上信電鉄らしい一品だなとは思うが、うえは敢えて小幡の画像で。

貫前神社

写真を撮る暇があったら、切符を買っておけ。しかも乗車口にある整理券は出なかった。おかげで、乗車証明もなく少々疑われながら運賃を支払った上州一ノ宮駅。一ノ宮というからには、その地域を代表する宮がある。けれど計画では、一ノ宮駅→宮がある、ではない。先に貫前神社があって、一ノ宮駅下車なのだ。でなければ、敢えて下車などしない。
この貫前神社というのは、松本清張の小説『東経139度線』における主人公吉良栄助殺害現場である。マイナーすぎるネタですか。東経139度線上に、鹿ト・亀ト神事を行う神社が散在していて、貫前もその一つだという説を軸にして話が展開している。小説に出てくる場面を、そのままリアルな場所で確認してみるのも、いくつかの旅で試みている。
お宮さんに着く前に雨が降り出した。天候を見極め、ギリギリで降らなさそうな日を選んできたのだから、今まで降らなかったほうが幸いである。雨にぬれて滑りそうな石段を登る。左手は、

横に急な勾配の舗装された車道がついている。先頭のベンツはその12,3度はありそうな一車線の急坂を慎重に登って行った。

実際その道を登ってくる車もある。ほとんど石段と平行状態だから、恐ろしく急である。

登りきったところが丘陵の峰になる。石段の下から目測すると40メートルはありそうである。(略)社殿には、鳥居の石段とそれに沿った急勾配の車道を登りきった峰から谷の中ほどに降りて達しなければならない。そこにも石段がある。その石段を降りると朱塗りの楼門・回廊が木立を背景にして真正面に見下ろせる。社殿が綾女谷という渓間に深く隠れているような感じで、境内を上り下りして社頭に達する『下り参道』という珍しい形式である。社殿は総漆塗の極彩色で、上州の「日光」の称がある。が日光よりは旧く、徳川初期の様式で、久能山東照宮や富士浅間神社などとともに日光東照宮の美術建造物を生む行程の建物であった。

まるまる引用で十分説明してくれてしまった。雨が降っていたのは階段昇降の間だけ。散歩中の男性以外は人影なし。記帳をして丁寧に参拝し、境内をゆっくり回って静かなときを過ごす。
さぁて、問題は殺害現場(実際は過失自死に見せかけてあるのだが)の検証である。まず、最初の石段を登りきった峰に戻る。

この車道は、嶺について東側の丘陵の端を曲り、再び急勾配を北側に降る。丘陵上の道の西側は鬱蒼とした杉、松、樅、欅、樫、檍、それに榊が密生している。道の東側は切り立った断崖で石段のあるところと同じ高さの約40メートルである。

この小説は、大体昭和30年〜40年くらいを背景にして書かれているから、現在とはかなり時が離れている。嶺に沿って東へ進むと、両脇に住宅が数軒あり、完全に西側が鬱蒼とした森ではない。地形上は、まずまず合っている。しばらくして左へカーブし、坂を下る。そして、いわゆる崖下の県道?に合流する形になっている。主人公吉良のベンツは、このカーブ坂を高速で飛ばして、曲がる途中にあった乗用車に気づいてハンドルを切った際に誤って崖を転落した。ただ、小説の中では、このカーブ道路は一車線ということになっている。だからカーブの陰に隠れていた車を避けようとして、避け切れなかったのだ。ところが、現在この道は片側一車線の、幅広い道路である。たとえ高級車が飛ばしても、駐車を避けることはまず可能。この点を疑って、最初社殿の脇にある細い急坂を下ってみたのだが、これは神社の敷地内に迷い込んでしまった。確かに車一台ギリギリの道で、飛ばすどころじゃないのだが、さすがに雰囲気が合わないかなぁ。道なりに辿れば、前者のほうが合っている。当時と変わったのか、私の読み違いなのか、分からない。
もう一度坂を下りきって、県道を駅方面に向かう。
駅長さんと若い娘が戯れている。どの駅も、地元に溶け込んだ、いい駅員さんがいて好感。

南蛇井駅

ダイヤの関係上下車できなかったのが残念な、ハンドルネームの南蛇井である。アナウンスのイントネーションが「なん」じゃなくて、「じゃい」にアクセントをおくところが印象的だった。元祖はそういうものなんだな。まぁ私は「何じゃい?」から取ったのだから、違って当然なのかもしれない。とにかく、故郷についたぞ、という実感は湧く。
貨物列車脱線事故の影響で、先日まで同駅から下仁田まで代行バスとなっていたが、今日から平常運行。ある意味惜しいんだよね。

夕暮れ時の下仁田

ほの暗くなった終着駅下仁田。数十年前にタイムスリップしたような、風情漂う駅舎と、落ち着いた駅前。そして、暮れなずむ下仁田メインストリートの美しさ。思っていたより道が狭くて、屋根が頭を突き合せている感じ。これは、良い。映画の撮影なんか是非是非推薦。町全体がそっと「お帰りなさい」と迎えてくれたような、和やかな気分。

下仁田館にて

18時ちょうど、宿へ。まだ団体客も到着しておらず、一番乗り。だからって、玄関無灯はないでしょ。真っ暗は吃驚した。お部屋を案内されて、これが私一人分の部屋かと思ったとき、また申し訳ないと思った。決して広いわけじゃないが、4500円で泊まるにはやはりアレだ。
昔からある山間のお宿、という風格の、木造で部屋はすべて襖一つで仕切られ、年季の入った廊下でつながっている。夕飯を18時半にして、先に入浴を勧められた。浴室もとかく設備は古いが、一番風呂で素朴なところが休まる。今までYHを転々とする旅ばかりだったから、女将さんに尽くされると不思議な気持ちになる。「お布団は自分で敷けたら、敷いてください」というから承諾。YHでは極当然のことなので、セルフに慣れてしまっている。「敷けたら」の敷が「し」でなく「す」に近い音なのが、とても耳に残っている。「だんべえ」のように、東北と関東の境を思わせるような、言葉なのかもしれない。
「今日は団体さんがいるので特別」ということで、刺身までつけていただいた。大どんぶりにそぼろご飯と、一皿おかずにお吸い物。お造り?を入れなくとも、こんなご馳走はYH1050円でもなかなか食べられない。一風呂浴びて、よく腹が空いていたので最高に美味しかった。
昨日買ったパイプチョコをつまみながらテレビを観て、寝る。ハリーポッターを初めて完観する。エマの胸が可愛いので、これで抜く(笑。
ちなみに、例の団体さんは二階にて大音響でカラオケをやりだしたので、テレビの音量を上げざるを得なかった。くつろぐ時間ではあったが、テレビの音量で凌げる上、安く泊まっている身なので低頭。
つづく

*1:ところで小見出しのジョークは分かるよね。読みが違うよ