南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ラサ暴動について、中国国内で吸収できるものを列記・考察

しかし、何ですかね、やはり日本本土よりは現場に近い位置に居住している身として、ラサには言及するべきですかね。最初に事件に気づいたのは16日、はてな質問(アンケート)にて。今月に入ってテレビのチャンネルが総変わりしたので、近頃点けなくなっていたから時事には疎い。その後1週、CCTV1、CCTV新聞を集中的に再放送まで観て、おそらく中国側主体で伝えるところの真相は感じ取った。最も簡便に要約すると、「不法分子が残忍な手段で無実の人民を殺した(時事ドットコム引用)」で、公開される映像にも表現の工夫が見られる。要するに、傀儡である自治政府のもとで形成された機関や街を破壊、放火する映像が圧倒的に多い。銀行、学校、通信会社、街頭広告など。残虐な破壊による、分離不支持市民の悲劇。漢族、チベット族ともに悲劇を共有する姿。投石で負傷した解放軍兵士の故事。火災現場から救出された感動的故事。それから、四川や青海、甘粛などへ波及した事件にはめったに言及しない。これらはニュース上でも映像なし。「国内テロ」を正当な手段で鎮圧した「成功例」となるのだろう。
日本のヤフーから飛び飛びに関連記事を拾って外の匂いを嗅いでしまうと、ついつい懐疑・批判的な国内報道検証になりがちだな。しかし、実のところ、人権問題というのは今回の事件より若干外部にあるのじゃないか? 包括的に考えると1つの問題だが、ラサ暴動で改めて浮上する話ではない。報道における表現上の問題があるにせよ、ラサの場合(他の波及事件を含まない)ではまずテロであって、北京五輪の足を引くだの、反政府独立運動の存在を示すだの意図がある。それを中央政府が鎮圧したという点にさほど騒ぐことではないと思った。平和的なデモに、あれだけの市街戦と略奪破壊は信じがたい。事件そのものに関しては、中国側に一定の支持があるべきでないの、日本も含めて。
我々留学生も外国人であるから、少なからずチベットには関心があって、旅行の辺と関連付けてラオシーに尋ねたりするのだが、事件前と事件後で確実に変化があるなと思うことがある。以前は、中国は広大で多様な生活風俗があって、特に西北方面には行くといいなどと話していた。今は、辺境来訪、特にチベットに対する不安を隠さない。さらに、新疆・西蔵は絶対非分離を強調しながらも、どこか敵視を匂わせる表現に変わった。やはり知識分子といえども、国家を背負っているのだな、党員でなくとも。この一種の言論主張における報国意識というのは、日本人の学ぶべきところでもある。
交流する中国人学生にも、台湾と西蔵を匂わせて提起してみる。と、台湾は難しい問題だが、チベットは既に行政権を掌握しているから別問題だという。彼は毎週軍事教練を受けており、政治に関心の有無なく国家を背負っている。台湾の総統選、ラサ事件と意識させられるものが大きかろう。追及を避けたがるので、本気にはならないかもしれない。
まだまだ後を引く情報が流れると思われるので、特に国外モノを中心に収集して、後日総合的な「とーく」を仕上げたい。