南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封禹王台公园(1次)

参考

景色が素晴らしく、閑静な環境に恵まれた開封城壁外れの東南部は、昔から人々が遠足をするのに最適な場所になっている。禹王台は正にこの地にある。言い伝えでは、春秋時代に目が不自由な晋国の楽師、師曠はときどきここで楽器の演奏をする「吹台」があった。明の嘉靖2年(1521年)、治水に功績を立てた大禹を記念するため、禹王台に改名された。唐の天宝3年(744年)、李白杜甫、高適曾らはかつてここで集って、酒を飲んだりして人口を膾炙する詩文を残した。

本文

この公園を訪れたのは、後にも先にもこの桜の時期の2回だけである*1。上の紹介文にもあるように、遠足気分で入ったものだから古吹台の禹王廟をあんまり真面目に見ていないけれども、見たまんまを描写する手でいこう。禹王台景区は陇海铁路の南側に位置し、火车站や河南大学からは12路、龙亭公园や鼓楼からは15路でアクセスできる。いずれも禹王台公园で降りればいいのだが、停留所から入場ゲートまでがやや分かりにくい。バスを降りた南側の付近に、車一台通れるか否かぐらいの、自転車やバイクなどが出入りする路地を探そう。これを入って鉄道の高架をくぐると園の西口がある。どうしても迷った場合は、バス通りを東へしばらく行くと、長距離バスも多く通る大きな鉄道ガードがある。これをくぐった先*2が東門(正門)である。ゆくゆくは住宅地の中に孤立している繁塔を吸収合併して複合景区となり、もう少し分かりやすい通用門ができることだろう。西門から繁塔までは徒歩5分以内である*3
开封大学の学生から前日に、正門で8時半(だったけな、結構休日にしては早かった記憶がある)に集合とお知らせがあった。自由来園とはいえ、学校が切符を配布するようだから、授業並みに早く集合するのらしい。私も頑張って起きて、平日のように鸡蛋灌饼を頬張りながら教室とは逆方向の苹果园バス停へ向かう。園内に飲食店などがないため、各自食うものを持参したほうがいい、と通告されていたのだが、部屋にあった果物を2,3個ばかし包んだだけ。まぁアイスや焼きモロコシくらいあるだろうと。鸡蛋灌饼の待ち時間がやや長かったので遅刻の恐れが出てきたが、一行も集合時刻に遅れる可能性のあることが分かって安心しつつ、徒歩で向かった千葉さんが先に着いたことを確認する任務をうけた。この点に関して苹果园は臨機応変で、老校区の学生も集まりやすい同停留所は3本のバス路線のほかに三輪タクシーがほぼ常時滞留している。鼓楼や火车站までの複数客を狙うのだ。時間が差し迫ったとき、特に今回は12路しか乗れないので、タイミングよくバスの来ない場合は使える存在だ。それでもケチの方が勝って、数分でバスは来た。先ほどアクセスについて、禹王台停留所からの経路を詳述したけれども、今回は正門と予め指定されているので、12路(火车站方向)で同停留所下車だと行き過ぎである。ひとつ手前の侯庄桥で降りるのがベスト。この辺は工場が多く、朝方は降車客に混じることができる。進行方向にしばらく歩くと、大きな鉄道高架。端折って正門に着きホッとするも、誰一人馴染みの顔がない。5分ほどして集合時間を過ぎたところで、やや焦って連絡すると、学生たちはどっちが正門か分かってないから、と。あのなぁ。幸い年間パスを持っていた私は、一足先に入場して公園を突っ切り、西門でご対面。おかげで園内の地理が「事前に」少しつかめた。千葉さんも始めからこちらに着いていたので助かる。
我々留学生の分もチケットは用意されていたのかと思いきや、なぜか足りなかった。国家生命に関わる事でなければ、周到でなくともよいのである。最近は西門からでも年票を刷卡できるようになっていた。磁気カードを採用しているのに、正門以外はアナログにカードチェックを行う景点は少なくない。ちなみに、この禹王台公园は铁塔などと同様、単独で年間(あるいは月間)パスを発行している。そうそう、基本事項、入場料1人10元。市民公園なら無料化してもいい。
こんだけ早くに集合しといて、解散はかなりルーズであり、12時ごろ「正しい」正門に集まれない人は一報するようにとだけ指示を出す。たぶん「集合」とは我々部外者のためだけにあったのだろう。自前で入場して集合もさせられるのに、来賓なのだ。別に文句を言うわけではない。
西門に若干薄暗さを感じさせるほど、木々がこんもりと茂っている。大きな弧の橋を渡って、古吹台。歩いているときは分からなかったが、改めて全体図を見ると堀が一周している。記憶に基づけば、環濠内に小山は2つあって、北の大きいほうが廟のある古吹台である*4。何だか古墳に似た形だと今思った。「古吹臺」の山門前で写真を撮りあう。急な階段の上は、黄河治水に功績のある禹王が祀られている。郑州黄河旅游区にも巨大な像のある禹王。禹王の禹yuは河南の「豫yu」につながる(自説)ほど、偉大な存在である。決して曇っているわけでもないのに、雨天時のような湿っぽい薄暗さの廟内。これもyu雨だからかもしれない(謎。正面が禹王像なのは間違いないが、向かって右手にも塑像の建物があったから、これが三贤祠(李白杜甫,高适の3詩人を祀ったもの)かもしれない。かくも乙女らが騒がしいと、写真は撮らんでも眼に焼き付ける余裕さえない。ご利益でもあるのか、池に大量の角銭が沈んでいた。
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桜、桜、、、の前に、順路上ひとつ。孫中山の像と辛亥革命烈士陵园がある。烈士陵园は園外だと思っていたが、中山像が広い敷地にどっしり座っているので心はここにあるのだろう。尤も、若い人々には近現代史も形骸化しているので、ほとんど眼を向けていなかった。寧ろ抗日史的観点から、あまりマジに近寄ろうとしなかった我々が考えすぎなくらいである。南京でもなければ危険な視線もないということだ。
後方に列車の通過する音が響く、中日友好樱花园。ここに植わっているのはほとんどが地元の山桜系で、背丈が低く花がやや大きい。枝を引き寄せてポーズをとったりできる。が、残念ながら1週ほど早すぎた。桜と一緒に記念撮影、ならいいが、一輪一枝アップで収めたい方には咲いたものを探すのに一苦労。これは次回再来せねばならない。正門よりのほうに、开封市と姉妹都市提携している埼玉県戸田市から送られた、ソメイヨシノが幾本か植わっている。この乾燥気味な環境によく耐えて頑張っている。桜自体は多いが、この僅かなソメイヨシノが友好櫻園を代表しているのは重い。園路を挟んで南側にも花園があって、真ん中にヴィーナスが立っている。事前に突っ切ってきたときは、中学の遠足みたいなのがぞろぞろいた。
では、ちょっと遊ぼう。園内は、春祭りということもあって出し物がいっぱいだ。ちょうど春節期に行った濮阳のような。やはり園路には食い物屋がいくつも出ている。特に綿あめは特大サイズで、人の頭を軽く超える。蛇山の南側には、射的やらもぐら叩きやら輪投げやら仮設の電動遊具やらが集まって、猛烈ににぎわっている。蛇山へはこちら側から吊り橋が架かって、頂まで危うい道がついている。お祭りなので、もともとノリは良くないけれど、これらの遊びにも付き合う。さすがに仮設遊具は容易に事故が発生しそうなので、諦めさせる。これも時期的なものか、猛獣を操る曲芸団も来ている。かなり動物虐待に等しい扱いを見て、愉しむより心を痛めた。
まぁそんな感じで、一度正門に集合したのにまだ遊び足りなくて再度東西往復した結果、持っていた果実は食べなかったけれど随分空腹を覚えるまでになった。一度目の集合で帰られた千葉さんは正しい判断である。ようよう正門を出て、路面の荒れたバス通りを歩いて火车站に向かう。解放路沿いの飯屋で炒面を食べて、皆さんと別れて行事終了。花見とは、どこでも疲れるものである。

(画像は2017年撮影)
(map:开封禹王台公园)

*1:2009年記述時点。のちに2017年11月再訪

*2:大きく左へカーブしている

*3:胡同に迷わなければ

*4:南のは蛇山と名づけられている