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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

第二次许昌1日目:张潘镇

河南旅游集

これは本来许昌の予定ではなく、许昌経由で南阳に向かおうとしていたところ、许昌行き高级车でK先輩*1と遭遇してしまったのが始まりである。まぁ徒然にでてきてしまっていたから、帰ってから思えば随分と身のためであった。
さて、方便面を食ってから出発してきていた私であったが、彼らに同行してまずブランチ?に焼面を食べる。駅前エリアのSCにあるフードコートで、なんかイオンを思い出したり。なかなか河南では見られない綺麗で干净。この辺は本当に许昌やるなぁ、と思う。
小火车站より201路(许昌南東方面郊外行)バスに乗車。张潘镇の中心部付近で下車、3.5元。ここからは基本的に徒歩で、点在する史跡を探すことになる。下車間もなく、张潘镇人民政府(跡地?)内に「汉愍帝陵(献帝墓)」を見る。砲台のような、高い方墳といえる。正面(西側)に石碑と階段がついている。これでもまだ優質なほうだそうで、逆に興味が沸いてきたり。北側以外ぐるりと廻って観察。形だけは明らかな、4Aどころではない许昌县人民政府整備レベルの古跡である。
さて、次の目的地までは数キロあるらしいのだが、学生が郷里の友人を呼び、バイクで送るという。せっかく帰郷したんだから遊べばと思うのだが、結局乗せてもらうことに。歩けば1時間前後、バイクで数分間、たしかに炎天下だけどこういう楽な法はない。省道上に景点指示板がある。なんだ、割とメジャじゃないの。という省道からやや奥まったところに、近年整備されたらしくきれいな、これも高台がある。その名も、毓秀台。道教寺院である。一通り碑文を読んだが、今一印象に残らない。台の背後に土盛りがあって、これが都城だというので、碑を探しまわったが見つからない。省道に面した入口まで戻って、道の反対側に石碑を見つける。土盛りなどではなく、もっと明瞭な壁が残されていた。東は省道沿いに暫く続く模様。県管理にしては上等である。
西へ少し戻った段庄まで又も送ってもらって、そこで一旦学生らと別れる。北へ1kmほど踏み入ると张公祠(張飛の祠)。薄暗い門をくぐって入る。門の上は日本寺院の鐘台のようである。一声かけると男性が本堂を開けてくれる。向かって正面に張飛、左に関羽、右手に孔明だったけな。滅多に人の来る所ではないが、割とよい人形保存であるよ。他の堂は開けてもらえないので、タシーロして写真を撮る。本堂が無料なだけでも珍しいという。不味マズな水を飲みながら一服し、再び省道に帰る。空腹を感じるが、水分のないものをほしいとは思わない。
また学生らに合流し、毓秀台も越えて更に東へ。一部のバスが終点にもなっている焦庄?で別れる。コーラ一本買って飲み飲み、庄の关帝庙を参拝。国中どこにでもある关帝庙だが、三国志ツアーで訪れる关帝庙は特別な趣向を感じる。そこまでは私には解せない。まァまァ。
その脇道をしばらく北へ進む。脇道といっても、日本で言えば市道・町道くらいの重要な道であるが。この辺まで来ると、小さな土盛りでも、あれかあれかと期待と焦燥に襲われるが、実際そう簡単なものではない。集落に入り、幾つかの麦畑に少しでも怪しげな物体あらば踏み入り、その結果は一般の故人墓であった。村民の貴重な収入源を僅かならず踏みつけてしまったのは申し訳ないが、そのおかげで一人民の目に留まり随分と助けていただいた。徐晃の方角を教わり、これを漸く探し当てる。ちなみにこの目標物も畑の真ん中にあった。ほとんど目印のない田園地帯では、史的価値よりも道しるべや方角しるべとして役立つので、村民は割と知っているし、それなりに保存されているようだ。やや場が狭いが、しばし写真を撮る。
1つが定まると、大体方角が読めるらしい。時間迫る中、最後の一件を探し始める。その道すがら、畑で農薬を散布している男性*2に声をかけられる。我々が日本人と見るや話が弾むが、政治的な話にも気軽に及ぶところをみると、许昌はわりと改革開放の恩恵を下部まで受けられているのだなと感じる。河南の中でも優等生であるとよく思うが、実際そうらしい。ともかく、それは旅先の乐趣にしておこう、となれば話は簡単であるが、彼は我々を追ってきた。そして三輪の荷台に我々を載せ、史跡へと連れて行った。高速道路の北側一集落にある、この郄虑墓(標石が見つからず真偽不明)はかなりこんもりと高い土山であった。数人の人民が口を揃えて言うのだから、信じてよいのだろう。
焦氏はさらに焦庄の入口、即ち关帝庙のところまで我々を送り、バスの前で硬い握手をして別れる。高金額を要求されると終始にらんでいた先輩は、お礼に日本のタバコを手渡す。日本人と知り合い、世話できたのが相当嬉しかったのだろう。今私の手元には彼の電話番号が残されている。先輩は経験上結構疑うが、今のところ私には旅先のハズレは一回もない。むしろハズレを考えようで受け入れているのかもしれないが。だから今回も特に不安はなかった。
ぎゅうぎゅうづめのバスで市区に戻り、学生と再会して一休み。晩飯について少し相談して、再び2人で店を探す。ビール1,2本と四川菜のつまみさえあれば良い我々にとって许昌は本当に都合が悪い。マックばかりが目立ってしまうほど、许昌は敷居の低い手ごろな店が少ない。結局表に「四川」のついている店に入ったところ、砂鍋のような特異な料理を出す店で、すっかり萎えてしまった。延々とナスを突きながらビールなんて、夏にもこの疲労にも見合わない。
汽车站の招待所に一人20元のダブルで泊まって一日終了。宿泊には身分証が必要であると初めて知らされる。(市区は必須、県城レベルは不一定)
つづく

(map:许昌张潘镇段庄付近)

*1:许昌が実家の学生を通訳にして、郊外のマイナーな史跡を巡る予定の。

*2:後で名を焦さんと知る