南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

郑州登封(Dengfeng)观星台

地球の歩き方」名所制覇の一環であり、天文ファンとして多少不便なところでも行っておきたかったので。端午節の3連休中日、即ち端午節当日なのであった。
33路で金明广场より郑开に乗車。無座なのはいつものことだが、近頃郑州側の終着点が少し変動している。まず相国寺発が郑州中心站から二马路に変わり、郑州駅へ行くのに便利なのはこの路線のみとなった。そのせいか混雑度アップ。一方二马路行きだった开封中心站発は新东站にシフトし、やや郊外向けになった郑开公交である。まぁ常に出入の際渋滞に悩まされていた旧市街の通行量を減らすのは、確かに市民と公交の双方に有益である。(一部北站に流れる車もあるようだ。)
さておき、二马路に到着後徒歩で中心站。窓口が一杯あってスムーズに切符を買うことができる。登封行きは30分毎に1本、地級市内としては流水でないし少なめに感ず。25元、何故少林寺と同じ価格かと思えば、高速大巴なのだ。超高級車。入ってきたバスは中距離路線に用いるとは思えないごっつさで、前後2箇所乗降口がある。座席は指定で、これも初。市南西部をうねったあと、郑少高速に入り1時間半で着く。途中乗降一切なし。
登封といえば少林寺に向かう際、途中停留で中岳庙に寄ったが、我らは参観しないで昼食をとったのを思い出す。が、ちっとも方角が分からない。今日の目的は观星台で、時間に余裕があれば探しに行こうと。
今日は試験日なのか、某中学から学生が噴出してくる。その群れに流され逆らい行きつ戻りつを繰り返して、ロータリー交差点東南部に郊外城乡行き(汝州もあり)汽车站を見つける。徐庄,大冶,卢店は登封域内だが、告成はない。徐庄が方向的に告成を介しそうである*1。登封市内にも何路線か市内公交がある。この一本でも告成まで延伸していないかと思ったがつかめない。一番の難所。というか、確実に直達があると思ってた。中途半端だな、たしかに。
長途ターミナルに戻って、凉粉を3元で食わされて(梁山のときと同じパターン)逆に元気が出た。方角的に正しいと思われる道をヒッチハイク開始。10kmと考えて、炎天下3時間、15時には着けるか。と、後方から徐庄バスが追ってきた。畜生め、しかしどこから出てきた? まぁまぁ。距離も距離だが、この道アップダウンが激しい。と感じ始めた1キロ程度で、タクシーが執拗に鼻を鳴らしてきた。無視りかけたが、この道甘くないし人民にハズレたことはない、と乗る。告成と告げただけで値は聞かない。高くても降りられないし、着いてから揉めたほうがよい。勿論メーターは倒してくれない。郑州価格と田舎度からして10〜15元かな。15以上だったら騒いでみる。どうせ拾われだし、善意も買って。
思ったとおり坂の多い道で、割と奇妙な地形である。快速で走らせながら、告成に何しにいくんだと聞くから、观星台と答える。たぶん発音悪かった。省道に出て下り坂の途中に茶色の景点標識が現れたので停めさせる。10元、文句なし。
景区と呼ばせるようになったのは最近なようで、只今整備工事中。で、一番目が飛び出たのが門票。むしろ無料ぐらいだと思っていたのに、40元。せめて20でしょ、20。想定外。少林寺を中心とする嵩山風景名勝区の一つとなったらしい。即ち20元ぐらいは御布施ですか。ちょっとごつい門票をもらった。(中岳庙へ行く気が失せた。)
观星台というのは地理的に多少高台になっているけども、おそらく名称としては建造物に由来するのだろう。元代に郭守敬のもとに築かれた、巨大な観測台がこの景点の中心である。しかし、观星台の歴史はそれだけにとどまらない。実はここには2つの観測機があり、周代の周公测景台がそれである。決して大きなものではないが、当時にして精巧である。整備の証しなのか、有難いことに説明書に英語と日本語があって、ぎこちないものの誤字は少ない上質。测景台と周公祠(火星台もそうだが、観測者を祀る祠がある。寺廟のほうが観光地化しやすいのだろうか)、石碑が数本。その後ろに前述の建造物があって、6〜7割は修復された部分だが、東側2箇所日本軍に砲撃されたといわれる弾痕がある。(观星台が堅固なのかもしれないが、レンガを数個抜いただけに見えるのは何故?)比較的保存状態のよい弾痕って何よ。ま、それはさておき、これは主に太陽を観測するものであって、真北に数十メートル影を測る細い計器が伸びている。周囲に日食観測機や日時計などの模型が置かれていて興味深い。東西壁際はまだ工事中。一休みして帰ろうと思ったら、40元の価値まだあり。
ここ告成は夏王朝の都があったとも推される地で、石器から土器、青銅器に至るまで数多く発掘される遺跡が豊富である。それらを展示した非常に真新しい資料館があった。まだまだ史学的な説明は多くなく、ただただ遺物を延々と陳列する程度だが、鎮内3,4箇所はある遺跡に関心が向けられ調査がなされていることだけでも、歴史研究が広範になってきた証しである。
発掘現場までは少し距離がある。鎮の南端に煉鉄炉跡みたいな遺跡があるらしいので行ってみる。が、町を南北に突き抜ける省道は交通量が激しい。相当騒音と排ガスにまみれ、オマケに乾燥して砂を浴びている悲惨なところだ。あっさり疲れて後ずさり。やはり余分に手を出してはならない。ジュースを飲みながら、徐庄線のバスを待つ。乗車率が非常に高くて、3本くらい見送った。10分に1本程度だがマイクロなので、間に合ってない。小銭は用意してあったけども、幾らかなと考えていると、2本目のバスだったか、乗客と乗務員との会話で2.5元と読んだ。
長途ターミナルに帰って、プラムを大量に買わされて袋が破れて惨めだったが、粽子*2はどこにも売ってなかった。本当に端午節か?復路も高速大巴を選ぶ。今度のは更に凄くて、寝台かと思ったら2階建て。いやこれも初めて。登封・新密の地形は非常に面白くて、国立公園かどこかを遊覧しているような車窓。1分違わず1時間半。特に後は問題なく帰宅して、晩飯にプラムを食いまくる。

(map:登封观星台)

*1:奇妙なのは、この徐庄(告成も含めて)、市南東部にあるのに、バスは站を出ると西方へ向かってしまう。不自然さが怖い。

*2:ちまき。端午節に食べる慣わしがある