南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

洛阳(Luoyang)編1:往路,王城公园,洛阳博物馆,老城区

まえがき

洛阳にまえがきをつけるほどのこともないか。河南省の中でも、中国六大古都でなくとも一度は訪れておかねばならない唯一の都市である。そういうところは常に漠然としたプランをもっていながら、いざ行くとなると案外めぐる順序が定まらなかったりして苦労するものである。今回は、先の安阳-南阳編で突発的な発想から大きなリンク移動をして疲弊した反省から、三门峡とのリンク企画で今度こそ成功させようと考えていた。ところが、この日程配分(洛阳3日、三门峡2日)で移動日をはさむのにとても苦心して、日程内での観光地配分にまで手が回らなかったきらいがある。先述のように漠然と、洛阳を見る、というイメージだけで出かけたことが敗因の一つではないかと思われる。
タイトルが洛阳-三门峡編でなく、洛阳のみでつくられていることからも分かるように、このプランは成功しなかった。初日の夜から体調不良が原因で、洛阳3日間で切り上げざるを得なくなったのである。旅は緊張感をも伴ううえ、三门峡には洛阳からの疲労も蓄積されてくるため、旅行を楽しめない且つ病悪化の恐れを考慮して英断した。これを幸いなことに三门峡は市区を外した新たな方向性を見出し、単独ですばらしい結果を生み出してくれるのだが、それについては10月31日〜11月2日の三门峡編を参照いただくこととする。
それでは全3日(と、ちょっと)の旅に入ることにしよう。まず前日。今回は、初めて有座の列車を確保する。何せ开封始発(西安行き)の列車だから、この時期でも前日に買っても席があるのだ。开封で唯一、西方へ向かう際の100%座席が保障された切符が買える列車である。まぁいろいろ列車を試してみたい人には、2回も乗れば別を欲しくなる贅沢が襲うだろう。そんな話は旅遊集の後ろのほうを少し探してみるといい。とにかく、河大南门对面の火车票代售所で朝起きてすぐ(といっても9時半ごろ)求める。席のある列車を優先して探すなら、午前といったら一も二もなくK617しかなかろう。それはいいのだが、代售所は出張所だから販売手数料5元を取る。これは一律ではなく、地级市をまたぐ切符にのみ徴収するもので、列車の種別などは関係ない。つまり兰考では取られなくて、中牟では取られることになる。乗車距離が短ければ短いほど、列車の質が低いほど*1、この5元は重みをもってくる。洛阳までは27元だが、ここで買うと32元になる。ちょっとウザッたく感じた。ちなみにこの5元は彩票(ロト)として発行され、硬貨で削って何が当たるのやら。切符の購入証明にはなるな。この後は、なるべく火车站に出向いて買っている。公交往復2元のほうが安いからだが、長蛇の列に並ぶ手間を要す。〔列車情報:K617次、开封06:55発-洛阳09:27着、硬座27元〕
この日は、終日郑州で遊び、明日の昼飯用におにぎりを買っている。旅行の前日に郑州とは、また大胆なものであるが。

初の有座列車で洛阳へ

たとえ席があっても、7時発の列車は少々早い。夏だからお目覚めはいいものの、ちょっと贅沢を言いたくもなるのである。夏季なので十分公交は動いているが、時間を考えるとタクシーを使いたくなるけれども、記録には公交となっているから解放路に出て3路だと思う。こんな途中駅の始発なのに、K617には長蛇の列があった。洛阳、西安行きの旅行列車でもある同車は、家族旅行の装い客が目立つ。中国初めての席あり列車とはなったが、有するというだけで確保したとは決まってない。すなわち、人民が先に占有していた場合、退けられるかどうか不安であった。始発だから、早めに行って席に着けばよい。途中乗車で席が取れることなどまず有り得ない(寝台は可能)が、そんなときよりはまだマシだ。
そうそう、もう一つ初めてのことがあった。开封火车站の候车厅に入ることだ。中国鉄路デビューは安阳−南阳間で、开封にはまだ乗降経験どころか通過もなかった。学校の体育館のような、ガラーンと大きな箱である。入って左手に、それこそ体育館の緞帳のように清明上河図が掲げられ、同側面が改札となっている。4コーナーほど改札口があって、上に電光掲示がついているが、これの正常な点灯は結構稀である。大抵は列車番号を記した立て札がたつ。进站口の空間を挟んで、左手は各列車表示の下から並んだ改札待ちの客が、右手はまだ改札表示がなく待機場所の定まらない人々が溜まっている。清明上河図の裏側に、软座,动车组候车厅がひっそりと設けられている。今回乗るK617は、进站口と反対側の壁際である。开封の改札はとってもルーズで、打孔されることは滅多にない。
さて、切符には、「加1车下029号」と記されている。始めの「加」の字が気になるが、増結車両だと分かる。時期的混雑を鑑みたものか、郑州以降の乗車を考慮して开封乗車専用車両として設けたものか、定かではない。つぎに「下」の字。これは、二階建て列車の上段か下段かを表すものである。乗車口は中段であるため、その付近の10席余は「中」と記載されるものと思われ。この「加」と「下」が同時に付いた切符は、なかなか特殊なほうであろう。初有座としては戸惑うけれども。
頑張って早めに席へ着いたら、先客はなかったものの、家族と連席で座りたいから換わってくれと言われた。これくらいは仕方ないと応じるが、なんかもたもたしている。席は代わっても良いが、切符は交換してはいけないとか、意外と律儀で面倒なのである。さらに別の客も参入してきて、私は3つぐらいの席を転々としかねない展開になりかけた。さすがにもういいいから座らせろと内心焦り始めたところ、漸くはじめの方とだけ成立して着席。切符の席とはちょうど背凭れを挟んで反対に当たる、通路側である。こんな揉め事を終えても、まだ列車は動いていない。予定時刻を20分過ぎて発車。このときはイライラしたが、次第に当たり前と感じるようになる。猛打を食らった帰路の話は後ほど。
先の鉄路デビューでは連結部しか知らなかったので、客車を詳述してみよう。『地球の歩き方』などで、「中国の列車の硬座は日本人のお尻には硬すぎる」と評されているが、近年は改善されてきているのか、乗り鉄ほどの人間には忍耐力が備わっているのか、案外臀部そのものに苦痛はない。シートは柔らかいし、小奇麗なシーツがかかっていて洒落たもんである。難点はといえば、ちょっと直角すぎることで、リクライニングできないにしてももう少し傾斜が欲しい。たぶん硬座の疲労はこれから来るのであろう。座板の幅はまぁ十分だと思った。JRでもわずかに残されている在来線の一部車両のように、窓辺から小さなテーブルが突き出ている。これにアルミのトレーが載っていて、乗客はこれに菓子や瓜子、落花生のクズを捨てる。時折、主要駅到着前に乗務員が回収に来るし、個人でゴミ箱へ持参してもいい。客車内は全面禁煙であるが、コッソリ吸う分には咎められないので極たまに香ることがある*2。その他車内では公共の良俗に大幅に反しなければ何でも起こりうる。中年男性が斜め向かいで自分で腹に注射を差しているのが目に余る。血を見るのではないにしろ、他人には不快であることに変わりないのだが。二つの家庭に挟まれて、徐々に占有率を落としながら列車に揺られてゆく。窓際ではないものの、望める車窓は新鮮。しかし、意外と3時間も長いものである。
結局20分遅れの発車が、まったく短縮の努力もなく遅れたまま洛阳に到着。中国人の友人にメールで不平を言うと、「仕方がない、慣れなさい」と返ってきた。洛阳では切符は回収されないで、使用済み切符確保第一号となった(ゎ-ぃ)。白を基調としたコンクリ色の強い駅である。洛阳の字が繁体字なところにやや印象が残る。掲げる駅名が簡体字繁体字かで、駅へのインパクトが結構変わってくる。西安や北京、上海のように簡・繁の差がない場合は仕方ないが。広場より一段高くなったコンコースの縁で、地図売り婆がチラチラしている。2,3比べさせてもらって、一番安っぽいペラペラのを2元で買う。この婆がいっぱい居るところは競争があるから安い。仕切り屋みたいなのに追い立てられている婆を見かけたこともある。
駅から街のほうを望んで左手に長途バスターミナル、右脇に市バスターミナル、真正面向かいに宾馆の集まりがある。そして、一眼感動!洛阳にはトロリーバスが走っている。駅前に停留所と架線を見つけ、真っ先にチェックしにいく。買ったばかりの地図にも101,102,103と3本の电车路線が記されている。おっしゃー。乗らずば帰れまい。
が、ペットボトルのお茶*3を買って、最初に乗ったのはトロリーではなかった。先述の通り、碌に各日程のプランも組んでなかったので、まず老城へ行こうと思ったのだ。ぼんやり乗ってたらいつのまにか終点の西关に着いていた。ここは老城の西口であり、洛阳市内交通の要所の一つでもある。もう昼まで長くないので先に王城公园と博物馆を見てくることに変更して、幸いこの西关を基点とする101トロリー路線を見つけ、王城公园へ。西关へはまた後で来ます。

王城公园

西关から王城公园にかけての中州中路は街路樹がしっかり茂っていて、直射日光を遮ってくれる。それでいて薄暗さに負けていないのが良いところである。パンタグラフなどが木々に当たってパシパシと音を立てる。市の主要道路にして交通量は道幅に相応しているため、トロリーバスも弾き出されないですみそうだ。停留所では本線と停留線とに分かれていて、トロリー同士追越ができる。また洛阳のバス停は、路線ごとに停車位置が明瞭にずれているのが目に付く。だいたい、道路にバス停留用の余裕がある中国の都市は珍しい。
さて、九朝古都の発端、東周の都跡地に位置する王城公园は、いまや半分以上が遊園地である。古風なつくりでピッチリ閉じられた門は、入場無料で拍子抜けした。市民公園の様相を呈する当園が世に知られているのは、史跡というよりは、会場となる牡丹祭りの影響ではないか。園内南部には牡丹園が広がり、旬でない木々が私を迎えた。公園らしい緑の中に点在する危なげな遊具たちに、随分と期待はずれの思いで時計回りにぐるりと園内をまわる。池だと思ったのは園内を貫くように流れる涧河であった。そうして公園の西側に達すると、都城跡の匂いがし始めた。周代王城跡とそれを模した建造物がある。中には入れないが、一周壁面に故事が描かれている。その周りに回廊と歩道があって、人々が思い思いに過ごしている。私も写生をする者などに混じって、早くも昼飯。11時だけど、朝早かったから。入口正面の大きな建物には、骨董家具の展示場があって、外国人でも手の出しがたい恐ろしい額のついた品々を冷やかして公園をあとにする。

洛阳博物馆

王城公园の東隣、広い通りを一本挟んで博物館がある。守衛のところに售票处があるが、門前付近を舗装修繕工事中のため、暫時無料にしているらしかった。エントランスが天国のように涼しく、熱中症になりかかった私は暫く座り込んでいる。そんな具合だから、洛阳の各代に分類展示された収蔵品の数々を、丹念に見てまわる気力は乏しかった。それでも、明日明後日で幾つか廻る観光地の大まかな歴史と、各代の洛阳都城位置をつかむのに役立った。特に白马寺付近の漢魏都城跡は、時間があったら近づけるといい。そして唐三彩はやっぱり綺麗だな。
外に出るともうバテてしまい、2元アイスを齧りながらバスを待つ。初日に主要スポットを巡らないでよかった。そういうところは配慮して計画している。

昼寝

博物館を出てしまうと、この1時〜2時台という最も気温の高い時間帯にお外にいるのはしんどい。火车站に戻って、市北部方面に向かうバスに乗り、そのまま転寝。洛阳市区を大きく捉えるため、と勝手に銘打って、実は一休みするためだったりする。北部は3日目に古墓博物館で行くので、何だったら西方にしておけば良かったと思う。陇海铁路を跨いで、やや幅の広い道をどんどん登っていく。洛阳は、河南省では珍しく地形に左右される都市だ。真っ平らな平原に東西南北どこまでも市域を広げられる町と違って、洛阳の四方、特に北は直近から山がちな地形になっている。それでも、北方は市域拡張の伸びが大きいほう(南が最大?)であるところが、この町の活力を表すのかもしれない。省警校でいい加減降りて、同じ路線に乗らないように工夫しつつ戻る。結局ここでも炎天下でバスを待つ羽目になった。纱厂东路で乗り継いで老城区へ。

老城区前半

洛阳市内で、城壁がしっかり残っているのはこの老城だけである。たぶん开封と同様、明清代のものと思われる。地図に大抵描かれている隋唐代城壁は影も形もない。老城は、ちょうど隋唐城内の王宮等があった辺りに位置する。真ん中を東西に中州东路が貫いているが、老城の魅力*4はその1本南、西大街*5にある。中州东路の入口が西关なら、西大街のそれは丽京门である。
ここへ来て初めて、外国人観光客の姿をまとまって見かけた。特に門の西、马路街から湧き出してくるところをみると、こちらにホテルでもあるのかな? 护城河の小橋。さして大きくないが、厳めしい城門。門を穿つように構える回族の飯屋があり、晩飯はここに決めた。くぐって直ぐに、巨大な極彩色の建物と広場(駐車場?)が出現する。博物館か何かになっていればいいが、実は高級レストランか劇場に過ぎなかったりする。しかも、此れのために狭き丽京门を車が出入するのだったら、かなり観光の妨げになると思う。さておき、その先が身も心も愉しませる旧市街。食い物、土産物、衣類に生活用品と、覗くだけ眺めるだけでも充分楽しい。书店街や御街よりも生活感があって、相国寺商场よりも道に余裕を持ったストリートが开封にもあるといいなと時折思う。あれじゃ、どうしても景点めぐりになりがちだもの。南北の軸、南大街も道幅こそ広がるが、回族系の店が増えて活気がある。また露店も豊富。

明堂遗址

老城西半分を見たところで、老城付近のスポットにも足を伸ばしてみようと考える。中州路を西へ戻って定鼎路から北へ。この辺は、もう夕方に近かったが、真昼間でも日の光が入らないだろう鬱蒼とした街路樹である。それがちょうど日当たりのいい境目に出たところに、この明堂遺祉はあるはず。だったけれど、地図が示す場所には道路の建設中か改修中か、瓦礫の山と化した工事現場があった。唐宫东路の姿はなくて、交差点が丁字になっている。前後してもそれらしいものはないので諦める。進路を南にとれば洛阳都城博物馆があったようだが、いずれにしても時間が遅い。
老城に戻るバスを探して、西关を通過し、新街も過ぎたところで降車。途中の青年广场附近は百貨店もあって、若者がよく降りる。

老城区後半

护城河の畔で一服。ボツボツ宿のことが脳裏をよぎる。东大街に進入。こちらのほうが洛阳老城の観光臭くない街並み。門の近くに鼓楼があるが、九朝古都の威厳を誇張しない質素な感がある。東西でこうも差があるのかと思うほど、こっちは静けさと庶民の生活感が溢れている。また、招待所などの安宿もこちらに集中している。たぶん、ツアーなどでも、西大街しか歩く時間を設けないのだろう。そして、リービ英雄さんが書いているのはこちらの洛阳の顔。
空腹が激しくなってきたので、そのまま西大街も突っ切って、目をつけておいた丽京门のイスラム食堂で烩面。いつも开封で行く兰州拉面に空気が似ていて落ち着く。3.5元は安い。护城河岸の公園で、夕風を浴びながら満腹を癒す。

宿探し

市内交通の便からすれば、この西关を目印に宿をとるのがいい。白马寺,龙门石窟,关林はここを軸にバスが出ている。でも敢えて火车站を選んだのは、釣られやすいから。渋滞があったからか、駅に着いたときはもうかなり暗かった。手始めにバス停付近でオバサンに釣られて、値段表だけ見に行く。案の定結構な額だ。これは一応宾馆の名をとっているから、50元越えは仕方ない。辺りを一周したあと、次に金谷园路へ入って、今度は招待所と称するところへ連れられた。部屋*6を見せられて承知して、身分証を出せと言われてパスポートを見るや、これも案の定相手の目の色が変わった。さぁここからが緊張のしどころ。附いてこいと言われて、入口の何だか手ごわそうなオッサンに手引きするとまさに隣の宾馆に入った。金を出しそうな客にあうと、こうやって連携プレーで宾馆に引き渡すのだ。とくに都市部では、外国人を招待所に泊めてはいけないという条例がある。滅多に来ないのに、警察のガサ入れが怖いのも口実になって、なかなか成功するらしい。さほど悪質ではなかったが、安阳で一度これに遭っている。フロントのお姉さんに一言入れてから、私に値段表を提示。ざっと見て、最安が50元、勧められる辺りが80元。一泊ならいいが連泊では応じられない。ましてや招待所で既に20元で頷いている。ここは安易に負けてはいけない。オッサンは推奨100元で来て、次に、まぁ部屋を見ようといくつか見せられて、じゃあこれで80元だ、いいだろうと来た。しかし、20元で納得した以上、招待所に帰せと繰り返す。まぁ落ち着けと言わんばかりに、エントランスのソファで抱き込みながら「なぁなぁ説得」にかかってきた。髭面といい酒臭い息といい、半端ではない。「外国人は招待所に泊まれないんだ。」「じゃぁ外で寝る。駅の待合室で寝る。」これは効いたね、ヘッヘッへ。「じゃぁ幾らなら、ここでも良いんだ?」「一泊40元。」安阳より上げるわけにはいかないというのが基準。勿論オッサンは怒った。匙を投げた。最低でも50なんだから、それより下げられたらメンツも何も丸つぶれなのだ。フロントの姉さんにも説明つけないといけないし。一応謝りながらも、連泊なんだから単価を下げて欲しいと頼む。さすがそこは説得のプロ、今度はフロントを説き伏せて、空調なしで良いなら一番奥の安い部屋にしろ、と呆れかえったように成立させてくれた。本当に3階ぐらいの廊下の一番奥の部屋で、大きな換気扇風機が吊られている。
こうして一泊40元2晩の宿を勝ち取り、牛乳と水(歯磨き用)を買ってベッドにつくや否や悲劇は始まった。あの制御できない下痢に始まり、歯まで痛み出した。シーツを汚し、トイレを往復した。あの液体下痢は一度かかったら3日は治らない。どこで拾ったものか見当がつかないが、初日から大きな不安を抱えてしまった。
つづく

(map:洛阳市(王城公园))

老城(→)

*1:すなわち空调の有無や種別の優劣によって

*2:これが長途バスだと、近頃は車掌にでかい声で注意されるようになった。

*3:店頭の「菊香清茶」が目を引いたので。

*4:城内北半分は歩いていないので分からない。

*5:都市計画の面からも、自動車交通用道路と観光・生活用道路を分離したことは、評価に値する。関連項として、汝州温泉編汝州市もご参照あれ。

*6:結構目が廻るほど奥にあった