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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

三门峡編3:渑池(Mianchi)仰韶村文化遗址

河南旅游集

一夜明けて

せんべいのように乾いてしまった白吉馍で軽く腹を満たして、宿を出る。明るくなって改めて見る駅前は、大部分が空き地であった。駅と宿屋街の間に空白がある感じだ。ここまで小駅になると、もはやコンコース的高台もなく、車数台分ほどのスペースが柵で囲われているだけだ。あらためて、とんでもないところに降り立ったなと思う。8時半?に切符売り場が開く。こんな駅でも30人ぐらい並ぶ。結構後方が押してきてウザかったが、端数の2元を要求されたくらいで問題なく買える。停車する列車数は灵宝の半分ほどなので、逆に選ぶ手間が要らない。また一つ中鉄マスターのランクが上がった気分である。とりあえず帰路は確保された。〔列車情報:K246次、渑池17:06発、开封20:38着*1

仰韶(Yangshao)村を探す

县城の中心は駅よりも西にあって、火车站は町外れにあたる。駅前の通りは宿街に過ぎないのだった。一応駅前まで路線バスが来ているが、どこへ行くかも分からないし、自分の足で進んでいこう。ふたたび坂を登って住宅地を闇雲に北へ歩くと、国道に出た。仰韶村ではなく、仰韶镇(乡)がそこに現れた。大きな酒造工場があって、これ以上北へは進めない感じだ。しばらく立ち往生し、往来する長中距離バスの中に仰韶方面がないか目を凝らす。諦めて、工場西方のややしっかりした道をまた北進する。この道は城乡バスが走っている。工場が途切れると、集落、田園、集落、の順にゆるやかに登っていく。今回の旅は市区をまったく介さないので地図を買えない。これが最大の欠点であった。函谷关のような大きな公園ならまだしも、今日のは簡単に見つかるとも思えない。11月だというのに陽射しもあって、疲労を誘う。のどかな田園風景であったが、視線は常に小高い丘などに走って、少しでも遺跡らしいものを見落とさないように心がけていた。高速道路を高架橋で越えて、十分4,5kmは行ったと思うのだけれど、全然それらしいものに行き当たらない。真新しく整備されたどんぐり広場みたいな公園だとか、小さな祠みたいな廟だとか、紛らわしいものは目に付くのだが。高速道路まで一旦戻ってその周囲に重点を置いてみることもあった。昼前ぐらいにさすがにバテて、城乡公交の停留所(仰韶苏门という)に腰掛けて待ちつつ、石随さんに位置を示すような資料がないか電話で聞いてみる。なんとも藁をもつかむような情けない話であり、分からない、と返答されても無理もない。「まぁ頑張ります」とお礼を述べておく。この路線バスの終点は渑池汽车站で、行き着けば何か手がかりでもあるだろうし、なくても振り出し。S字型にくねった道の陰からバスが出てきて、乗り込み1.5元。アクセルひと踏み、惰性でコロコロッと坂を滑ってゆく。この道を行き詰まりと見切ったのは正解であった。

国道310号と高速道入口

先の国道に出てから西へ西へ意外と長い。火车站が東の外れなら、汽车站は西の外れといったところだ。これは戻るの大変だな、と冷や汗かきながら終着してしまう。县の汽车站らしくガラーンとした待合室に、古ぼけた観光案内地図が掛かっている。絵地図なので距離も方角もあんまり正確ではないが、一応遺址は描かれてあった。さぁて、どう探したものか。4,5人乗りの幌掛け三輪が溜まっているが、これをチャーターするのもどうかと。先の城乡バス沿線に2本ほど北方向へ太い道があったので、いずれかに賭けてみる。国道沿いにしばらくは市街まったくなしの工場と原っぱが続く。その途中にある一本目は切り捨て。ツイている日ほど偶然は正解するもので、ほどなく旅游景点を指示する茶色の看板が頭上にかかる。仰韶村は次の幹線道を左に折れて?km*2と表されている。初めて見つけた路上の手がかりである。朝の白吉馍エネルギーが底を尽きつつあるが、目標めざして歩け歩け。
沿道左手に渑池县博物馆があった。たとえ方向がわかっても距離的にも歩いてたどり着けるレベルじゃないし、地元の博物館なら仰韶村に関する詳しい資料もあることだろう。いっそ遗址探しなど諦めて、博物館で話のネタにしようと血迷った瞬間もあった。行けるところまで行こうと割り切ったのは、後から考えれば正しい判断だった。
博物館付近から县城街区は始まる。国道上における県内最大の交差点らしい、指示板の左折地点。バイクタクシーが一円に屯している。これをまた暑い中北へ北へ上っていくと、なんと高速道路のインターチェンジに当たった。その先、一般歩行者は進めない。裏道も横道も分からない。西脇に汽车站があり、高速路線のバスが停留している。これは困った。呆気なく行き止まりだ。喉と腹を癒すべく、冷えた冰红茶を買ってガブガブ。

救世主出現

もはや料金所突破か。躊躇しながら、先の交差点と高速入口とを往来していると、オートバイのおじさんが声をかけてきた。先から不審な私に気づいていたらしい。どこへ行くんだと聞くから、呆れられてもともとだ、と遺跡へ行きたいと告白する。すると、仰韶村へはバスなどの公共交通が通っていないから、そんな風では行けんわ、といい、連れてってやるから後ろに乗れと言う。50元くらいだというのを耳にしたが聞き取れなかった。まぁ私の会う河南人に性悪は居ないというのが持論だから、人柄も良さそうだし乗ってしまう。風を切りながら、自分が日本人で开封に留学していることなどを話す。初見では外国人だとは思わなかったようである。が、数日前にも韓国人を案内したというから、迷った観光客を拾うのが上手いのかもしれない。省道を東へ入り、ゆるい左カーブを曲がって高速を跨ぐ。方向的には合ってたんだなと悦に入るのは早かった。未舗装のボコボコ道を上下して、谷を二つほど越えただろうか。途中、女子中生?2人と行き違って、このようにバスが通ってないから歩くかバイクで通りに出ないといけないんだよ、とおじさんは言う。距離より地理が行く手を阻んでいたことに、今の今まで知らなかったのであった。橋などもないから、谷を底まで落ちてまた同じ分登る。道端での立ち話も含めて、15〜20分ほど乗っていただろうか。

仰韶村文化遗址見学

午前中行き詰ったときは全く垣間見えもしなかった、目前に不思議な光景が広がった。三陸海岸のように入り組んだ台地の上に、自分は立っていた。さっきまでいたところとは完全に切り離された別世界にいるようであった。もちろんバイクや自家用車があれば出入りは訳ないのだが、陸の孤島に立った気分である。遺跡のある半島型台地の最も高そうなところに、神殿のような公園が見えた。おじさんは敢えて降ろしてくれなかったが、指差して何やら言ったので景区の一部ではあろうと思う。ネット画像にあるような記念碑でも建っているのだろう。前後して、これもバイクに乗ったままだが坂道なので徐行体勢で、削れた地層部分を指す。あとで地層観察館を見学して分かったが、焦土などの色の変化が見られるのだった。この村落全体が遺跡なのだ。神殿公園?からわずかに下って、左手に村落、右手に観察小屋があった。こっちにも大きな石碑があったと思う。長さ30m前後、高さ2〜3mのむき出しになった地層をそのまま回廊型の建物で覆ったのが観察小屋兼陳列館。碑を眺めて感慨に耽っていると、おじさんは村落から解説員の女性を呼んできた。タイムリーに訪れた30代ぐらいの教員らしいカップルとともに、彼女の解説を聞き参観する。立派な観光地の解説員に比べたら、臨時即席な極普通の田舎の姉さんに過ぎないけれども、その口舌は柔らかくて何か魅了されるものがあった。火を用いた痕跡、表面化した穀類粒や手製の道具などを、発掘状態そのままに公開された地層から手にとるように見ることができる。また地殻変動なのか、全体の模様が大きくうねったり断絶したりしている部分もあり、興味深い。出土品の陳列ケースも丹念に見る私に、皆が丁寧に注釈を入れてくれてとても楽しかった。参観料は解説つきで30元。小屋の真上の台地は畑になっているが、ここに地表に出た土器片が散乱している。記念に持ってけ、と抱えきれないほど拾ってくれる。些細なものでも現地での研究に役立てるべきであり、考古学を齧った事のある私には受け入れがたい行為だが、好意も酌んで数個帯走。最後に台地の風景を心に刻む。

帰路

火车站前まで送ってもらって、50元手渡す。駅まで送ってやったんだから、チップとして?もう10元くれないかと言い寄る。ほらあの青っぽい紙幣だよ、と私が知らないとでもいうように示しながら強請るところも面白かったが、お断り。彼も無理にとは言わず、大きいのしかなかったら要らない、1枚あったらくれって。実際あったんだけど、これもあげると所持金が5元くらいになっちゃうのでさすがに渡せなかった。かたく握手をして別れ。ありがとうございました。
列車まで40分くらいあったと思う。飯の時間でもないので、八百屋でミカンを2元買って勢いよく2,3個食べたら、ばっちぃ手だったうえ激しい空腹のため、即お腹をこわした。改札の恐れがある20分前にトイレに駆け込んだので、結構冷や冷やした。再発が怖かったが、一回出すと以後何も起こらなかった。ちなみに便所は駅ななめ右向かいで5角。
列車はほぼ定刻どおりに出て、割と空いている。進行方向へ1両空席を探したが、便所帰りにどやされるのが嫌で、もう少しやり過ごすことにした。喫煙者などから「席あいてるよ、なんで立ってるの?」と何度も言われたけれど、乗降口で車窓を愉しむ。郑州で相当数減ったので改めて1両見回って着席。座って困るのは、疲れが眠りを誘うことで乗り過ごしが怖い。何とか眠りこけないように努力しながら开封まで。10分遅れで到着してタクシーで帰寮し、カップめんを食べて就寝。

後記

持ち帰った土器片は、真偽両方あったが石随さんにとても喜ばれた。とても自力で行けるようなところではなかっただけに、幸運にも出会えた河南人の好意に改めて感謝したい。

(map:渑池仰韶村文化遗址)

*1:7月21日洛阳帰りの列車と同车次。

*2:確かな数値は記憶がないが、行きは歩いて帰りはタクシーにでもと試算したくらいだから6-7kmと思われ。