南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

“天才”のための市場をつくろう

中国はまだ爺婆の漫才・コントが主流で、若手の活躍が乏しく思える。まだまだ学歴社会、いい大学を出ていい企業に入って金を稼いで親の夢見たようないい暮らしをする、させる。そんな一本道から外れた奴は一生農村に留まるか、都会の片隅で3K労働に従事して社会から見捨てられる。さもなくば裏社会、闇社会に生きる。あるいは政府に媚売ってごく僅かな特権階級に座ってもいい。才能を幼い頃から国家主導の英才教育で鍛え上げられ、大スターになる者もいるが、もっと普通の暮らしの中で培われてきた人それぞれの面白さを活かせる場所って、まだなかなか無いんだよね。国よりももっと小さな単位で、個人を見ていく必要がある。わざわざ政府の力、国家権力を弱めなくても、民主の正義に淘汰される必要も無く、逆にそれを踏まえたうえで十分やれることなんじゃないのかな。そういうのも中国独自性を高める一つの方向性じゃないかと思う。たとえば省単位、県単位。俺は特に市や県放送局の独自性をもっと高めてもいいと思う。連続ドラマの再放送ばっかりで、色気が無い。もっと地域に密着した放送内容を考えたらどうよ。そのほうがスポンサーもつくよ、たぶん。いい番組を企画すればするほど、出演を希望する人材も集まったりするんじゃないの。局が自らスカウトしてもいいし、スカウト専門の会社が出現してもいい。民放じゃないから、さほど広範囲で視聴できるわけじゃないけど、本来それが目的ではない。中央へ行くこと、広い世界で活躍することが目当てじゃなくて、あくまでも個人の持てる能力、才能を活かせる場所、とくにこれまで一般的に社会で評価されてこなかった天性の才能を、もっと小さな単位から引き抜き養う環境を作ったらどうよ、ということ。私自身そんな才能を見抜く力を持ち合わせているわけじゃないけど、これまで中国人と会ってきて、ここにいて学力競争だけさせておくのはちょっと惜しいなという人間もいた。私は神様じゃないし社会的影響力もまったく無い人間だから、彼らの今選んでいる人生をかえることはできない。世の中の人生に対する考え方の流れが変わってくるまで待つか、草の根から起こしていくか。
下手に待っていると、経済成長の動向や格差政策に対する不満などから、市民の欲求が悪い方向へ発散される時期が早々に来てしまうかもしれない。娯楽の充実、とくにエリート主導の娯楽からの脱却こそ、格差緩和の一方向になるのではないか。これはまた一つ、芸能分野における台湾・香港依存症を回避することにもなる。経済・娯楽2分野における台湾依存状況からの脱却は、諸外国の台湾に固執する中国政府への揶揄のネタをひとつ消し去ることもできる。この両岸問題に関する点は以前にも述べたと思う。
格差問題は地域的、すなわち沿岸部は比較的豊かで、内陸部は比較的遅れているといった見方が主流だが、もう一つ同じ都市の中でも持てる者と持てざる者の差が激しいと言われる。たしかに、この河南开封は全国でもかなり低い経済状況にある都市だが、それでも上海並みに高級自動車を乗りまわし、西郊外の高級住宅に住む者が結構居る。貧しくある原因は個人、自己責任とされるようになってきたのかもしれない。だからこそ個人の力、それも学力や機転能力、商売力じゃなくて、もっと新しい能力に着眼されてもいい。
同時に、これは人間を見てその長所を生かしていくわけだから、カウンセリングの効力も出てくる。日本よりもソフト面のケアが乏しい中国では、反乱回避に効果覿面だと思う。もちろん才能を見抜かれた者だけでなく、彼らによって笑顔を引き出された視聴者にも心理的影響を与え、生活に新たな豊かさをもたらすだろう。
もっと人間を見てほしい。もっと人間を活かしてほしい。もっと素直に笑ってほしい。それは体制が変わらなくても十分できることである。そして逆に、体制を維持するためにも効果的である。