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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

市バス交通の改革10年間に着眼

さて、勿論私はシミュレーション目的ではない。そういうものにも関心がないとは言えないが、遊びに来ているのではない。交通に関する資料施設として、もはやここくらいしか頼れるところがなくなって来ている。
センターの名の通り、入って右手3分の2以上は図書資料コーナーである。中でも最も手前の棚は、名古屋市交通局の統計資料等が配架されている。昭和30年代後半から毎年、交通局が運行する各モードの利用状況やシステム計画、改善方針などを述べた資料が、2年ごとにファイル化されている。これを無作為に引き出して目を通してみる。古いものは紙面が赤茶けて、文字もグラフも手書きといった、当時の几帳面さが滲み出る記録である。利用概況では、市電、市バス、地下鉄の順に略歴から当時の現況までが述べられている。やはりかつては市電第一だったのだ。その市電も、自動車の増加を受けて円滑な運行が難しくなり、「随時整理されてゆくべきだ」との方針が目に付く。今でこそ世界各都市で路面電車を見直す動きがみられるが、当時は淘汰されるのが当然と考えられていたのだ。
一方の市バスはといえば、これも交通渋滞の影響こそ受けれど、着実に系統数を伸ばしている。この系統という言葉が難解で、単純に路線数を数えるのか、今現在名市交で使われているような名駅系統〜番といった一つのまとまりを表すのか、今ひとつ分からない*1。私が今回資料センターを訪れたのは、次の2件を調べるためである。1つは、系統の明瞭化についてである。路線番号を乱雑に1〜100も200も並べると、利用者が混濁してしまう。名駅系統、金山系統といったように発着点を基準にグループ化して表示することで、利用者により分かりやすくするシステムは、いつごろから採用されたのか。そして如何なる切欠や要望を受けたからなのか。さらに、分かりやすさ以外にもっと数値的・学術的・論理的な根拠が存在しないか。
2つには、地下鉄と市バスのリンケージである。主要駅にバスターミナルを設け、市中心部への直行型市バスから、地下鉄を幹線に市バスを枝葉にといった分業に切り替わってきたのはいつごろからか。またその効果も詳しく知りたい。
上2点について、その変化が現れてきた時期はほぼ判明した。すなわち市電が全廃された昭和50年から10年間の間で毎年検討され、平成元年までに本格始動しているということだ。正確には市電は昭和49年に最終的に整理されている。その頃から、バスターミナルの増設が検討されている。市電は地上の交通であり、市バスと同じ平面で乗り継ぎを行う。市電と市バスを集約した乗り継ぎ施設は、2モード分の土地が必要になり難しい。ところが地下鉄や既成の国電と接続させる場合、駅の上や脇に市バスだけの空間を設ければよい。つまり市電と市バスは共存・分業しづらいが、地下鉄と市バスは容易くなる。昭和50年までは、市民に親しまれてきた市電も、3モードを同時に抱えながら効果的なネットワークを構想する交通局にとっては目の上のたんこぶだったのかもしれない。
一方で昭和50年代には系統数が180以上に達していた市バスは、54年の資料を見る限り、100号線や150号線といった表記があることから、番号羅列だったらしいことが分かる。そんななか、同年ごろから「稠密にめぐらされた系統」に対する疑問の語句が見られるようになった。これまで地下鉄の建設や地域の要望に応じて、系統の新設や経路の修正を行ってきたが、全市的な系統整理の必要性を唱える文面が紙上に現れてきている。そして、昭和58年ごろ、新たな市バス系統に関する指針が示され、停留所間の距離など仔細に定められた。この指針にかなり興味深い変化をみることができる。が、ちょっと今の記憶では文章化しづらいので、再訪に期待。これは通いになりそうだ。

*1:これを書きながら、系統数イコール路線数で良いと閃いた。すなわち名駅系統〜番ではなく、名駅〜番系統であり、〜系統とは〜号線と同じ意味合いになるのである。自分で納得。