南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

伊勢鉄道ローカル巡遊と鈴鹿トライアングル

天龍企画を1ヶ月近く天候不順で延期してきたが、遠征で疲れて週明けの仕事に響くのを恐れ、ついに中止決定。予てより企画していた伊勢鉄道各駅停車を利用し沿線を楽しむプランに急遽変更した。これは青空フリーパスのフリーエリアに伊勢鉄道が含まれるようになったのを機に一身田をメインに作ったもの。亀山経由で避けて通りがちな鈴鹿や津市北部もつついて見たいと。スポットも列車の本数も乏しい沿線に、退屈な旅も予想されたが...。

往路(電車快速)

普段の出勤時間と同刻に出立。09:03名古屋発の快速亀山行きに乗車。区間快速時代より関西線には疎いので、この快速利用は今回が初めて。この数年に登場した主に通勤を対象とした快速電車で、四日市までに桑名しか停車しない。はずだが、そこは未だに単線の関西線。行き違いのため、乗降のできない停車が発生する。「みえ」と違って軽快な電車は嬉しい限りだけども、並行する近鉄ほどまでスムーズな運行には距離があるようだ。でも少しだけ東海道線並みの快速感が味わえるのは有難い。中央線程度の通過じゃ面白くない。
伊勢鉄道の北の起点、四日市で乗り換える。ご無沙汰のうちに、伊勢鉄の3番線が1,2番ホームの先にあることを忘れていた。跨線橋ほとんど渡りきって気づき大慌てでとっかえす。7分あるはずの余裕な乗り継ぎが駆け込みセーフでちっとも余韻なし。それ以前に南四日市や河原田だったら全然迷わなかっただろうにと。まぁ起点は大事だよ。

鈴鹿(神戸城址、参宮街道)

本当に青空切符で伊勢鉄を自由に乗降できるのか内心不安だったが、果たして問題なし*1。快速みえや特急南紀も停車するためか、比較的長いホームである鈴鹿駅。ホームといい階下の駅構内といい、愛知環状鉄道に雰囲気がそっくりだ。一応駅舎もあって、鈴鹿−名古屋間の往復切符などを販売している。
鈴鹿は神戸城址以外に目当てはなく1時間程度で去るつもりだったが、街が私をさらに1時間引き止めた。まずは神戸城へ。駅前で観光絵地図と住宅地図を見て城址への道を選ぶ。さすがは俺の地図を読む眼、踏み入ってすぐこんなものに出会った。

大日如来道。さっそく入ってみたが、すぐには如来様へは行き当たらないようだ。けれど、こんな人幅くらいの通路が幾筋も交差してきているこの道は只者ではない。矢橋(やばせ)交差点を過ぎると、常夜燈や水路を渡る幸橋などがあって風情よし。惜しむらくは両通行の車量が多いことで、シルバーロードらしからぬ状況だ。さらに進むともっと古式な建物が増えて雰囲気が出てくる。とくに宗休寺の鐘楼が目立つ辺り、秀逸。両側で目に付くのは老舗の餅屋で、いくつかはパン屋や洋菓子屋など現代に適応化しているが、ここが永く続く菓子屋街であることを示している。やがて道が右に折れていくので、城から離れると直感。宗休寺のT字から見えた神戸高校の裏手に神戸城址はある。天守などは残っておらず復元もされていない。

現在石垣ののり面を工事中で大部分が立ち入り禁止になっておるが、抜け道を通じて石組みの上へ。ちっとも眺めはよくない。ふと足元を見やれば堀が残されている。現在は高校の敷地だそうだから、城何周とかランニングコースになってるんじゃないか。その高校前には、大正期に造られた旧制三重縣立神戸中学校の正門が保存されている。名門なんだね。
見つけた街道は名残惜しかったが、これで切り上げて鈴鹿駅へ戻る。近鉄鈴鹿線でも見て帰ろうと沿線をノンビリ歩いていたら、運良くカラフルな近鉄電車が来た。喜んでいると頭上の高架にも伊勢鉄の列車が。あわてて時計を見るが既に遅し。1時間何しよう。
駅舎に入ってみると一昔前の鈴鹿市内地図が貼ってある。これにより初めて、さっき歩いた街道が参宮街道だと知る。関係する史跡が近鉄鈴鹿市駅付近にあるようなので、改めて行ってみる。ここにはまたも老舗らしい旅館(旅籠というべきか)があって、別棟ながら今も細々と営業しているようだ。宿の前に道標が立っている。思い切りさび付いた看板も何とか「あぶい(漢字では「油伊」と書く)」と読める。

道はまだまだ北へと続いている。参宮方向へゆけば程なくさっきの餅屋街へ。この道の正体を知れと、私を引き止めてくれたようだ。

今回は表現する画像が少なくて申し訳ない。しかし鈴鹿は意外と歩き甲斐のある町だったな。

伊勢上野〜河芸(本城山、伊勢街道、河芸)

鈴鹿から伊勢上野までは、今回の伊勢鉄利用の中で最も長い区間。「みえ」で通過しているときは気づかなかったが、伊勢鉄道のほとんどの区間が高架線で、また丘陵地を縫って走るとこも愛環に似ている。多くの駅の周囲にはニュータウンができて発展しているのに、伊勢上野は田んぼの海に浮かぶ小駅。去り際の列車と、ホームから望む田園。
  
鈴鹿駅で手にした伊勢鉄沿線まっぷには、本城山青少年公園は駅から徒歩20分とある。でもこの丘陵地帯で一つを当てるのは厄介だ。新興住宅地の丘と特殊施設の丘を過ごして、小学校の横を登り始めると右手に上野神社、左手に円光寺。どうやら合っているらしい。アスファルト舗装は癪だが、これも昼飯前の登山だ。山には3階建ての展望台があり、一見すると一般人の立ち入りを拒む施設のようだが普通に登れる。風除けのためか四方全面ガラス張りの最上階から海が見えたので、満足して昼飯。3階にしてやっと周囲より高く眺望も良くなるようだ。
さて、本城山とは名のとおり城跡で伊勢上野城という。織田信長の弟信包の居城。ちかく放送される大河ドラマ江〜姫たちの戦国〜」の主人公「江」も7年住んだとされる城で、一帯が河芸アピールに精を出しているようだ。あちこちで「GO」ちゃんの幟を見かける。この立派な展望施設の2階には歴史資料室が設けられている。重い扉を隔てた資料室には伊勢上野城郭の模型と出土品、江姫関連の資料が数点。この展望台のある位置が天守台跡。傍らには溝跡が強化ガラスの下に覗けるらしいが、水滴と落ち葉で潰れていた。また城内には伊勢湾が一望できる東屋がある。ところが、公園内にはエアガンの撃ち合いをする中坊がウロウロしており、流れ弾に当たらないか気が気でならん。木々が茂り土塁跡などもあって起伏に富んだ園内は格好の「戦場」なのかも知れんが、私にはまったく危なかった。おかげで山の画像は一枚も残っておらん。
この展望台に寄って何より良かったのは、城跡を中心とする伊勢上野観光パンフを手にできたこと。そこには城下を走る伊勢街道の見所案内が掲載されており、食後の散歩に最適。漠然と歩くより断然良い。さっさと山を下ってブラブラしよう。
しかし、実際歩いてみると目立つほどの街道の痕跡はない。地図上に本陣跡や武家屋敷跡と示された箇所は空き地か普通の民家であり、見るべき形なし。必見は、弘法井戸ぐらいか。
民家13軒ほどで管理しているという。画像の足元が井戸。
あとは瓦を敷き詰めた土塀や里程標、直角の曲がり角なんかが街道の鮮やかな面影。

これはめぼしいスポットを示しながら、想像力をはたらかせよという趣向らしい。ところで、

これ、何でしょう? 上野中バス停付近にあった建物で地図には載ってないし、案内もされてない。けれど非常に怪しげで最も印象に残った。近代以降の役場か病院か学校だろうと思った。これは保存されているのだろうか。
近鉄豊津上野駅裏にある河芸会館へお土産探しに寄ろうと思ったら、結婚式場と銘打ってあって萎えた。心残りを抱えつつ、海を目指すことに。潮の香りのするほうへ歩くこと15分ほどで漁港に出た。ほんとに小さな港で、苫小牧漁港を思い出す。近くの突堤に釣り人が群れていた。海産物の売店があったら良かったのにな。

伊勢鉄河芸駅を探さねばならんことを念頭に置きつつ、河芸の町(一色・影重地区)を散策する。これがまたイイ道で、春日井のブラリーモールに似ている。一筋の細い道に民家や商店が顔つき合わせて並んでいる感じが良い。その中で一軒の菓子屋が目を引いた。河芸銘菓「ざ・ざる最中」というのを掲げている。これはパンフにあった、津市の無形文化財に指定されている「ざるやぶり神事」をモチーフにしたのだと思われ。これぞ土産にと思ったのに、だぁれも店番してないのが不審でやっぱり諦めてしまった。これも惜しいことをした。ともかく、歩けば歩くほど離れがたき町で、ホント別れるタイミングに困った。時間さえあればどこまでも行ってしまいそうだ。
何とか踏ん切りつけて国道23号に出ると、地元の農産物を商う売店があった。人集っているので覗くと片隅に「干物」の札が。おっ、海産物もあるじゃないか。何か一つ買っときゃ良かったな。ったく土産というのは悩ましい。河芸駅は売店の背に広がる田圃の先に見えた。ところが駅までの道筋が見当たらないので、畦道をアミダクジのように辿って田畑を突っ切った。こういうのは河南の墓探しでよくやった。そしたら割と時間が余った。海の幸を物色していても余裕ありだったなと。

一身田(専修寺寺内町

東一身田にて今回の伊勢鉄トリップは終了。津までは乗らないのも大事なポイント。伊勢鉄東一身田駅とJR紀勢線一身田駅の乗り継ぎがてら、間にある一身田の町を訪ねるのが企画の始まりだったのだ。一身田は、浄土真宗高田派本山の専修寺を中心とした門前町。町に入ると、「ホッとするに一身田」の札が目に付く。なんかフレーズ自体がホッとさせる。山門前につづく表通りは割りとあっさりしている。ところどころ「まちかど博物館」の看板を掲げている菓子屋なんかが点在する。寺に近づくにつれて関連施設がふえ、神聖さが増す。
寺はムチャクチャ荘厳で本山たる威風を示しておる。暮れかけて戸締りを始めた本殿などを、足早に参拝。あまりにも広々とした境内に圧倒される。

その存在感は、まるで城のようだ。それもそのはず、一身田は寺を中心とした寺内町という自治都市なのだ*2。町を囲むように環濠が残っており、城と城下町というよりは西欧や中国の城郭都市のような感じだ。せっかく訪れたのだから環濠をぐるりと一周してその規模や風情を味わいたかったが、鈴鹿と河芸に押されて余裕がなく惜しい限り。西辺の環濠で雰囲気のいいところを一枚。嘗てはもっと幅広なのだそう。

山門からまっすぐ南へ、重文らしい仏像は拝まないで通り過ぎると釘貫門。ここにも水路がある。その外側は仏壇仏具などを商う店舗が並ぶ裏通り。ゆっくり歩くならこっちのほうがお勧め。ここにも一身田銘菓らしい大福やらが俺を誘う。買う買わないは別にしてちょっと寄っていきたい気分。
という感じで、深入りしないように寺の周囲を巡った。やや急ぎ足で残念であったが、全国的にも珍しく保存された寺内町を覗くことができて興味深かった。町から一身田駅までは、東一身田からよりもずっと近い。距離がつかめないと行動に余裕をもてないから辛い。本日のゴール地点、一身田駅の駅舎を収める。

加佐登(鈴鹿さつき温泉

近年の日帰り旅は温泉がないと成立しないことになっている。伊勢鉄紀行をやったら温泉はココと決めてあった。一身田から高校生と共に列車に揺られ、亀山で乗り換え。加佐登駅に降り立ったときはもう薄暗かった。車窓から温泉が見えるだろうと思っていたのに、ここも山がちな地形から見通しが悪い。感覚だけで歩き出すとどんどん山を登っていく感じ。次第に不安になるも、20分ほどでちゃんと着いた。農協が運営している温泉施設で、今日は農業まつりが行われていたらしい。着いた17時過ぎには撤収が進んでいた。
入湯500円。まつりの一仕事終えたおっさんたちが浸かっている中に紛れてどっぷり満喫。これはスパというよりは銭湯に近いね。地元住民の寄り合う場になっておる。自販機で販売されている「鈴鹿のお茶」が気になった。
もと来た道には鬱蒼と樹木が茂り、街灯も滅多にない。足元を照らすのは時折前後から迫る車のヘッドライトのみで、非ッ常に恐ろしい道だなと。怪奇も犯罪も交通事故も多発しそうな所。加佐登駅にて改札を通ろうとしたとき、青空フリーパスがないのに気づいて慌てた。温泉かその道中で落としたか、すわ一大事、と思いきや財布のカード入れに仕舞われていた。これは中国鉄路の切符を収納するときの癖で、妙なときに発したものだなと。

帰路(敢えて快速みえ)

快速電車にも伊勢鉄レールバスにも紀勢線のキハにも乗ったのにまだ物足りなくて、先着する名古屋行き普通をわざわざ四日市で降りて後発の「快速みえ」を20分待った。改札の外に出てみたら、ものすごく国鉄らしい寂しげな駅空間だった。
今回は、一身田でだいぶ余裕を失ってしまい残念。その分偶然的発見を楽しめた。とくに参宮街道、伊勢街道、河芸、一身田と4つも離れがたい道に出会えて、それぞれが城や寺とセットで楽しめたことが充実感を強める。
おわり

*1:車内に「別途運賃が必要なJR切符と伊勢鉄運賃が含まれるJR切符」の一覧掲示がある。

*2:門前にあった立て札を外国人参観者と通訳と一緒に読んで知った。専修寺が有名な寺だからか、観光誌に一身田が僅かながら載っているからか、ここではフォーリンツーリストに遭遇した。