南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

歸徳(商邱)

現在の商丘のこと。このほか安陽は彰徳、洛陽は河南と記されている。ちなみに、この時期の河南省府は開封。中国で買った地図には載っていない、今や名残すらないような古い地名が萎びた紙面に燦然と輝いている。
昨日親戚の家の物品整理をしていて、祖父が工業学校で使った地図帳(地理資料集)が出てきた。帝国書院昭和16年発行で、満洲国全盛、中華民国の後に「(支那)」と明記してある。都市詳細図も北京(北平)・上海はもちろん、新京(長春),奉天(瀋陽),哈爾濱,南京,漢口(武漢),青島,福州,廣東(広州)に承徳まで載っている。南京陥落はまだなのか、後に臨時政府の置かれる重慶まではない。省級行政区画もきっちり描かれ、上述の中小都市まで記載、撫順などの鉱山もカバー。現在市販のアトラス地図でもこれに及ばない。この中国大陸に関する詳しさは当時満洲を足掛かりに進出・資源の独占開発を画策していた御時勢を表しているのだろう。
それにしても、戦前にして現行版なみに綺麗なカラー印刷、地勢が明瞭。しかも70年以上経て尚全く褪せていない。国境情勢こそ大差はあれど、十分使える資料だ。(東南アジアからヨーロッパの一部まで約20ページ分抜け落ちているのは残念。)
追記:归徳府_百度百科より、归(歸)徳府とは現在の商丘睢阳古城のこと。1130年(南京)应天府よりこの名に改められ、一時は开封府への統合などを経て1913年に廃された。現在この語は使われていない。