南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

‘新春’18切符で訪ねる古都宮城(1)長岡京

1,2回分残ったのを金券ショップで買うしかないかなぁ、と近鉄名鉄の企画を模索していた。が、母と2回分共有して計4回使えば十分元取れるじゃないか、ということで何年かぶりに青春18切符を共同出資で買った。まず、2回分の使用権は東西で割ろうと思った。18切符切望の最大の理由は「青空フリーパス」の範疇を越えたい、である。西は近鉄利用で検討していた奈良の代替案として長岡京が浮かんだ。いっぽう東は豊橋を越えることに集中していて、発想の広がりがなかった。結局、天浜線と「たまごふわふわ」以外に目的が見つからず、東を放棄した。そこで廃案になりかけた奈良が復活し、タイトルのように古都セットが誕生した。平城宮跡の年末年始休園のため長岡京を先行、奈良は来週9日に決行する。
長岡京は奈良平城京と京都平安京の間の10年間(784-794)栄えた都。領域は現在の長岡京市向日市京都市西京区にまたがる。宮殿の史跡は向日市にある。旅の前半は古都の名を冠する長岡京を初詣メインで歩き、後半は一駅戻り向日町からお得意の史跡めぐり。
出勤時間より30分早く出発。米原までの特別快速は転寝もできたが、米原からの新快速姫路行きは座れず、しかも京都に近づくにつれ混雑を増し草津以降はほぼすし詰めであった。久々に乗ったJR西の新快速はスピードの割に喧しく、老朽化だろうか。京都で普通に乗り換え、11時に長岡京到着。

長岡京(長岡天満宮、乙訓寺)

長岡天満宮

西口のペデストリアンデッキはなだらかな坂となって天神通りに落ちていく。まもなく良い道を横切ったと思えば、これぞ西国街道。のちほど向日市にて歩く。長岡京コミュニティバス、はっぴぃバスに遭遇。産業文化会館のバス停には、年末年始も平常ダイヤで運行と掲示されている。改めて時刻を調べると西コースの乙訓寺前発車時刻は案外都合が良い。予め調べてきた阪急バスの今里停利用とともにストックしておく。天神通りは拡張が進まぬのか水路を境に狭まり、阪急の長岡天神駅からは歩く参拝客と車の往来で非常に危ない。ところで俺は初めて阪急電車を間近に見たのだけれど、特急も急行もみんな小豆色の冴えないカラーで走っていくのを異様だと思った。
大きな八条ヶ池を前にした瞬間、开封龙亭の杨家湖と潘家湖にそっくりだと思った。駐車場が乱れているのと社が南向きでないのとで、参道が些か分かりにくい。
  参道の階段途中には巳年の大絵馬が飾られている。
神前は盛況であったが、並んで10分ほどで礼拝できた。巫女さんの御祓いを暫し眺めて下る。
 紅葉庭園錦景苑。枯れ木の造形も悪くない。
参拝前、参道の入り口で「竹の子最中」というのに惹かれた。改めて立ち寄り土産に買う。個数と値段が半端なので、「竹の子最中」3個入りは祖父母に、自分と家族用には「竹の子羊羹*1」を求む。包む際に見せられた羊羹のサイズに少し落胆した。
 池を南と北にそれぞれ一枚。

高槻ブラックらぁめん@越後屋(小魚と鶏のWスープ)

昼飯は、京都・長岡京「白黒竹食街道」に載っている「とんぼ」でガラシャあんかけそば700円を食べることに決めていた。さっき買った「竹の子最中」もだけれど、この長岡京と向日は竹や筍を特産品として売り出している。結構良い名物ネタになるかなぁと期待して、天神駅から細い路地へ踏み入った。ところが、「とんぼ」は4日まで正月休みだった。同じ参加店の焼き鳥屋「こっこや」は開いていたが、お昼メニューは望めない。ほか幾つか参加店を思い出して回ってみたが、休みだったり混んでいたりして希望に添えない。やむなく天神駅西口の飯屋街を覗いていくと、「高槻ブラックらぁめん650円」というのが目に留まった。なにぶん白黒関連というのが気になる。そのまま入店するとカウンター席は客なし。サービスでつけているという味付卵ものって出てきたラーメンのスープは確かに黒い。チャーシューも3枚入って美味かった。乙訓寺の時間を削らずに済み、且つ十分美味いものに逢えてよかった。高槻とついているのは瑕だが、せっかくだから「黒」メニューに推薦してあげたい。

乙訓寺

セブン通りを北進し今里へ。阪急のバス停を確認してから西に入った。それらしい大きなお寺を東の裏口から進入して、アレレ? たしか拝観料500円だったはずだが、出入自由になってるぞ。境内を突っ切って表門に抜けると受付小屋は閉まっていた。
 ついでに「はっぴぃバス」の乙訓寺前バス停も確認してくる。
乙訓寺は、聖徳太子が開いたとされる。延歴4年(785)に早良親王が幽閉され、弘仁2年(811)には、空海弘法大師)が当時の別当に任じられている。784年長岡京が遷都すると、乙訓寺は都の地鎮として重要視された。
天満宮とは打って変わって参詣者の滅多に来ない静寂に休まる。
 中央に大きな仏塔と鐘楼。  弘法大師様と本堂。 
 大師様が詩とともに嵯峨天皇へ献上したとされる蜜柑の樹。
14時前、はっぴぃバス乗車。運賃150円を誤って乗車時に投じてしまった。窓ガラスの震う音がまた开封のマイクロ公交と重なって錯綜した。
さらば、長岡京

向日町(長岡宮史跡と西国街道

長岡京市向日市は小畑川で接していて、実は乙訓寺と長岡宮史跡群はさほど離れていない。が、不慣れな土地なのでJRで移動した。向日町駅では散策マップを入手できた。

西国街道

駅前から阪急東向日駅へ向かう道筋が西国街道。京都の東寺口を起点として摂津方面へ通じる主要街道であった。文化資料館は年始休館で飛ばせるため、旧道を辿る。随所に道標が立ち、竹を描いたプレートが填め込まれた石畳が面白い。淀川沿いなんてずっと平坦な地形だと思っていたけど、この道は結構急な上り坂。アストロ通りには嘗て向日町を代表した宿屋「富永屋」跡も。長岡京西国街道も惜しかったが、こっちも十分趣きあり。

向日神社

古都長岡京を見下ろす丘陵に鎮座する。社の背後は元稲荷古墳であり、古くから神聖な場所と認められてきたのだろう。初詣というより土地の神様へ御挨拶。つい肝心の眺望を忘れた。

長岡宮史跡群(大極殿・後殿跡、回廊跡、築地跡、朝堂院)

五辻交差点から街道を離れ、いよいよ宮城史跡探しへ。まずは、大極殿・後殿(小安殿)跡。さきほど八条ヶ池を龙亭公园に喩えたが、これぞ本物の龙亭。

大極殿公園。背後の赤い柱は宝幢*2を立てた3基の柱堀形の復元。
 後殿(小安殿)跡。
 長岡宮の模型。上部紫色の建物が大極殿、その上が小安殿。
大極殿天皇が政治を司った場所、小安殿は天皇の休憩所とされる。公園には、コンクリートで建造物の形に縁取られた花壇があり、柱の礎石も復元してある。区画の都合で、大極殿は道路で真っ二つに割られている。遺構全体を眺めるべく滑り台に登ってみたが効果はなかった。ぼんやりと説明を読みながら休んでいると天候が急変、小雨が降り出した。以後宮城見物時間の大半は濡れ鼠。
長岡宮内裏内郭築地回廊跡。内裏に住まう天皇の警護用の回廊。指示板以外に何もなし。
 長岡宮築地跡。貴重な遺構だけれども、こうして住宅地の中にあると電車でも走ってきそうな幻想に襲われる土盛りだ。
最後に、朝堂院公園。
 朝堂院西第四堂跡。長岡宮の南西隅に位置する建物。朝堂院とは宮の中央にあって国家的な儀式を行う場所で、ちょうど今の国会議事堂に相当。2005年には、この南側に回廊と楼閣「翔鸞楼」の遺構が発見された。
 楼閣「翔鸞楼」の礎石群。   楼閣から朝堂院へ延びる回廊。
雨天のため歴史の道や古墳群は諦めて戻ったのに、最後は急ぎ足で電車と競争。

帰りは京都から金山まで実に2時間半立ちっぱなしで、腰に疲れが来た。歳かなぁ。さらに両足に靴擦れのマメまでつくったものの、久々に18切符を使えて長距離乗り鉄・史跡めぐり・街道歩きができ昼飯も美味かったので満足している。次回の奈良では日帰り温泉も加える予定。

*1:実は栗蒸し羊羹だった。どこを見違ったのだろう? でも甘すぎず美味しい。

*2:古代中国伝来の儀式用旗飾り