南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

‘新春’18切符で訪ねる古都宮城(2)平城京

奈良市中(東大寺奈良公園)や斑鳩地方(法隆寺)は小学校の修学旅行*1で行けるが、西の京エリアは空白地帯だった。3年前、平城京遷都1300年記念で盛り上がったのを機に、一度行きたいと思いつつ時期を逃してきた。このほど近畿日本鉄道|奈良世界遺産フリーきっぷ(奈良・斑鳩コース)を利用して郡山市も含めた2日間プラン(初日は午後発)を組むも、時間的に厳しく二の足踏んでいた。JRアクセスでは奈良交通バスや近鉄を挟まざるを得ない地域ではあるが、近鉄で迷う位ならJRで行ってしまえ。また関西線のディーゼル車に乗れるし、近くに笠置温泉もあるし。前回と同様、宮城見物は後半にし先に唐招提寺を参拝する。時間の都合で郡山を省いたのは妥当だった。
7時出発。亀山までは立ち席、加茂まではロングシートに揺られる。11時に奈良着。奈良駅入場時の乗継アナウンスで「万葉まほろば線」と聴いて何じゃと思った。桜井線をJR西日本が改称したらしい。関西本線大和路線片町線学研都市線と些か分かりにくい。奈良駅はまるで空港と見まがうほどキレイになっていた。6時半に朝を食べているので、先ずは昼飯。唐招提寺行きのバス乗車まで45分あれば十分だと思った。
 奈良駅前に立つ道標。そのまま三条通を進んで食堂を探すも、適当な店がない。仕方なく戻って奈良交通バス乗り場前の「つくし食堂」で鶏天丼としめじうどんセット(650円)を頂く。セルフの極普通の食堂で寂しい気もするが、もとより奈良に目当ての名物などないし旅の首尾よければいいや。予定の〈79〉唐招提寺東口経由法隆寺行きには乗れず、11:59発六条山行き〈60〉で唐招提寺前へ。

唐招提寺

唐招提寺天平宝字三年(759)、唐の高僧鑑真大和上によって創建された。鑑真和上は日本からの熱心な招きに応じ、五度の渡航失敗を乗り越えて来日。わが国に戒律を伝え、その専修道場として創立された。井上靖の『天平の甍』を読んだことはあるし、日本史上でも極めて有名な事象である。薬師寺は見ずとも、ここは一度行っておきたいと思っていた。
拝観料600円。平日の昼時で、外国人も含め参観者は適量。陽が時折現れて程よく暖かい。
 金堂。本尊盧舎那仏を中央に巨大な三尊が並ぶ。薄暗い堂内に目を凝らし仏像を鑑賞。
 鼓楼と礼堂を回って講堂へ。ここは、1998年から10年にわたって行われた国宝金堂の大修理の模様と、解体に際して行われた構造調査の結果などを展示している。とくに柱にのる組み物の造りは精巧である。これに感化されて天平建築の美を求め、金堂の梁や柱を注視してみる。
   
ほか、反時計回りに境内を一周。新宝蔵は閉鎖中。
 鑑真和上御廟。水に囲まれた厳かな丘。廟と呼ばれる点からも、墓でも祠でもない、どこか中華的な異質空間。日本に献身された和上のために、死後は大陸へ帰するよう計らったのか。
御影堂や中興堂を見られないのは甚だ残念。この付近は新たな建造物の復元の動きがある。本坊、醍醐井戸を経て、
 戒壇。厳重に保護されており、覗けるだけで有難い。
全てを公開されていない分時間に余裕ができ、金堂をじっくり鑑賞できて満足。

平城宮跡

近鉄西ノ京駅から西大寺へ。車内放送は西大寺が終点であることをはっきり言ってくれない。近鉄は今や三宮まで直通運転しているらしい。エスカレーターでは一瞬名古屋癖で左に立ち止まりかけ、慌てて右に寄った。西大寺の橋上駅は改札の内外が区別つかぬほどのモール。南口から程近いらしい西大寺を尻目に平城宮へ出陣。
玉手門より国有地に踏み入って、その原っぱの広大さに唖然とした。後で資料館にて「TDRより広い」と聞いて、逆に現代人はそんな小さな空間で享楽しているのかと。南西角を斜めに横切って只管朱雀門を目指した。禁煙の札こそあるが、吸殻は結構落ちている。国有地といえど手付かずで、少年がサッカーをしていたり田畑の畝が残っていたりする。

朱雀門

遣唐使船の復原展示がある平城京歴史館(有料)をパス。「入城」するため門脇から一旦出る。
 でかい。南に100mほど朱雀大路を再現。
傍らには、明治大正期、平城宮遺跡の保存に尽力した棚田嘉十郎らの胸像がある。彼らの運動がなければ近鉄線が城内真ん中を堂々横切っていたというから功績は大きい。
踏切を渡ると朝堂院エリアは工事中。遥か遠くに大極殿が見え、また度肝抜き。

平城宮跡資料館

入館と同時にボランティア解説者が寄ってきて話し始めた。ガイダンスだけかと思いきや、どんどん進めていって些か恐縮しつつ拝聴。以下かいつまんで。
平城京および平城宮一帯は、784年長岡京に遷都すると間もなく荒野になり現在に至るまで田園地帯だった。そのため遺構の上に建物がたたず保存状態が良好である。一方で近代以降は交通インフラの建設による蹂躙と保存運動との折衝があった。近鉄奈良線国道24号線の計画と現状にその結果を見ることができる。
平城宮平城京の他の都(国内および長安)にない特徴として、北東部の出っ張りが挙げられる。平安京長安は綺麗な四角形だが、平城京と宮城それぞれに北東方面へ張り出した部分がある。因みに宮城のそれは国道24号建設前の調査で発見され、故にバイパスは大きな迂回を余儀なくされる。東大寺興福寺などの寺を都城域内に入れるためだとか、反乱に備え東方への退路をつくるためなど諸説あるようだ。
聖武天皇藤原氏皇親勢力を粛清した直後に天災などが相次いだことを受けて、恭仁京難波京へ都を移したり、平城宮奈良時代の前半と後半で大きく造りかえられた。再び平城京に落ち着いた745年以降は、前半の大極殿の東隣に新たな宮殿や役所が造られた。占いや呪い・祟りが重視され政治を左右した時代だ。私は先述の出っ張りはこの造りかえで宮城の軸が東へずれたことの修正ではないかと思った。つまり左右対称による威厳を維持するためで、財政難で歪になってしまったのだろうと。
上述のように都が廃されると荒地になった平城京では遺構の保存状態がよく、当時の記録文書である木簡が大量に出土した。当時の役人が様々な事柄を記した木簡は、奈良時代の生活や社会を知る上で貴重な資料となる。木簡は表面を削れば何度でも再利用でき、紙の貴重な時代に重宝された。役人の机には筆記具とともに小刀が置かれた。平城宮跡はこの良質な木簡の大量出土によって世界遺産に登録された。しかし、宮城建造物の精密な復原を急がねば抹消の恐れもあるという。
 (第一次)大極殿回廊跡。遷都1300年に間に合わせたという。このような粗末な仮復原の放置がユネスコから指摘されている。
 第一次大極殿の後にある推定大膳職(礎石群)。間に県道が通ってしまっている。大極殿と後殿の間を道がぶった切っていた長岡京と同じ構図じゃねぇかよw。鉄道はともかく、道路は遺跡を迂回させ保存・復原状態を改善するよう求められているという。
庶民は栄養失調、高級役人は年収3億で糖尿病の超格差社会。でも障子や襖のない時代、簡単な衝立仕切りで結構寒かったんじゃないかといわれる。
大極殿と遺構展示館は見たい」と告げたものの時間が気になって仕方なかったが、きっちり40分で締めてくれ感心した。

第一次大極殿

大極殿院の周りも造営工事中で、脇からは入れず正面へ回り込むハメに。広大な玉砂利を踏みしめ、やっと本殿を仰げる。
 役割は当然ながら、赤さも威風も日本の龙亭宮殿。内部は、豪華絢爛な天皇の玉座「高見座」を中心に資料が並ぶ。
 大極殿院の眺め。一堂に会する官吏たちを見渡す天子の気分*2

第二次大極殿

こちらは長岡京と同じ、基壇と宝幢のみ。でもさすがに70余年の国都、規模は格段に違う。
 
院内には凧が舞っている。

遺構展示館

塼積官衙とよばれる、平城宮東部にあった役所の遺構露出展示。中国西安兵馬俑(第二坑)と同じ展示方法。発掘されたそのままの状態を公開し、土の色の重なり具合などをデッキから間近に見ることができる。同じ場所に異なる年代に幾度も柱が立ち、様々な形態の建造物が建てられたことが分かる。基壇の遺構は水の染み出した状態である。第二次大極殿関連展示は流し。バス時間が気になり、やや急ぎ足。でも、2時間目一杯かけて歩いた宮殿の広さを改めて噛みしめながら停留所で一服する余裕はあった。

バス〈12〉は予定時刻より遅れてきて、さらに市中でも狭い通りで混雑に遭い奈良駅乗継が10分ほど縮まった。先日帰省から戻った奈良出身者に聞いたとおり、キヨスクで「みそせんべい」を買って大和路快速に乗り込む。

笠置温泉

桜井線の旅以来およそ4年半ぶりの「わかさぎ温泉笠置いこいの館」。今も駅に割引券(パンフレットに付属)があってラッキー*3。今回はフェイスタオルとバスタオルのセットを貸してくれる。これはタオルを持参せずとも無駄に一枚買わずに入浴でき、気軽な立ち寄りを促す施策と思われる。が、色かたちが同一なので浴槽の縁に置くと誰のか分からなくなったり、洗浄が不十分だと衛生的に問題があるかもしれない。入浴者は疎ら。やや熱めの内風呂に浸り、独占状態の露天風呂は最高でつい眠りそうになった。抹茶ソフト*4を嘗め、エントランスのヴィーナスに見惚れて危うく帰りの列車を逃すところだった。

行きの大和路線、帰りの関西線の亀山までと名古屋までの列車で数分程度の遅れがあり、妙な日だなと。唐招提寺行きのバス以外は全て予定通りの交通だったが。名古屋駅しらさぎ車両のホームライナー関ヶ原号を見かけた。ともかく念願の唐招提寺平城宮は果たせたし温泉にも寄れたので満悦。
古都宮城シリーズもとりあえず終わり。

*1:は病欠のため、後の家族旅行

*2:ラストエンペラー』のワンシーンのような

*3:入湯料は券売機で買わず直接払う

*4:250円なのに前回も食っていたのには驚き