南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

伊勢斎宮&遷宮記念参りの旅

はじめに

昨年秋の式年遷宮行事にはさほど強い関心はなかったが、蛇池の記録に残る限り長年お伊勢参りをしていないのと、近年無性に伊勢うどんが食べたいことから年初には詣でようと思っていた。最後の参拝記録は、奥の院である滝原宮参拝*1を除けば2004年1月11日の「奇跡の伊勢参り版」ということになっており、実に10年ぶりである。中国で食べた香拌面の影響がなくとも、純粋に伊勢うどんが恋しくなるのも道理だ。
斎宮(さいくう)というのは前々から地図上で博物館があるなと注目していて、近鉄斎宮駅には近いがJRの外城田や田丸からは便が悪くて訪れる機会がなかった。今回も当初はJRの青空フリーきっぷ利用で組みかけたものの、松阪でJRから近鉄への接続が思わしくなくオール近鉄に切り替えた。運良く発売中の「ご遷宮記念 伊勢神宮参拝きっぷ」に名古屋~伊勢・志摩エリア間の往復乗車券とともに松阪~賢島間のフリー乗車券がついており、斎宮での途中下車に最適。購入日当日は使用できないとのことなので、前日の退勤後名駅まで奔った。名古屋-伊勢往復(特急乗車券なし)で3240円、前述のフリー区間パスとエリア内の三重交通バスフリー乗車券が含まれる。バスについては「みたすの湯」アクセスに使える程度だと考えていたが、実際利用してみると内宮-外宮移動だけで相当お得である。
この時期の旅に温泉は欠かせない。伊勢志摩地域は駅に近い日帰り温泉の空白地帯と考えてきたが、今年は伊勢行きたいなぁと何気なく検索したところ市内にスパ施設を発見した。それが複合商業施設「ミタス伊勢」の一角にある「みたすの湯」だ。駅から徒歩20分はやや痛いが1時間に1本バスが通っている。時間さえ合わせれば十分楽しめそうだ。
そしてもう一つ秘密の任務、近鉄伊勢市駅前のプリンシェイクを確認することも忘れてはならない(同日別記事参照)。

斎宮

作成したスケジュールどおり名古屋09:01発松阪行き急行に乗り好スタートを切る。長距離運行のせいか近鉄の急行にはクロスシートの車両がある。左側の席でゆっくり温まっていこうと思ったら、案外直射日光がきつい。自分も眩しいし隣席の方にも迷惑なのでブラインドを下ろすも、折角の車窓が惜しい。そうして忙しく開閉を繰り返しながら津を過ぎて漸く右側の席へ移った。始めからこっちに陣取って置けばよかったと思う。10時半松阪で普通に乗り継ぐ。JRの快速みえで来ると、この普通に乗れず11時過ぎまで待つことになる。比較的幹線といえる山田線でも近鉄は効率化を徹底しており、2両編成の普通電車は小駅では先頭車両の扉しか開かない。無人の斎宮駅も例に漏れず、往路乗車券は回収されずじまい。
斎宮とは、飛鳥奈良時代から南北朝時代までの約660年間、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため都から派遣された未婚の皇女「斎王」の宮殿と役所のあったところ。ちょうど駅のすぐ裏に「いつきのみや歴史体験館」という施設があり、斎宮見学のエントランスとして概要を学ぶことができる。さっそく暖かい館内で地元ボランティアの方の丁寧な説明を聞く。天武天皇壬申の乱の戦勝祈願に際し、もし勝利を収めれば自らの皇女を伊勢神宮に遣わすと約束したところ神風がおこり勝つことができた。以来天皇の代替わりごとに斎王が選ばれる制度が確立された。制度は平安時代に最盛期となり、小さな都なみの宮殿や部署が作られたようである。しかし平安時代も末期には武士による戦乱の世となり、制度が機能せず斎王も伊勢へ赴かなくなって衰退した。歴代斎王の名を追っていくと800年頃から皇女の名が現在の皇族にも継承される「~子」(子型)となるのが読み取れる。これは宮中にあふれる子女 の中で内親王に限って。また、葱華輦(そうかれん)という斎王が都から伊勢までお越しの際に乗ってきた輿(復元)にも上がらせてもらった。奈良や鈴鹿の山中を抜け5,6日の道のりをこの狭い箱に揺られた少女の心情に思いを馳せる? 大人の男が担ぐのだから実際にはもう少し高い位置だといい、高所恐怖や乗り物酔いもあったのではないかと。ほかにも伝承遊びの駒回しなどに付き合ううちに、50分くらいノンビリしてしまう。まだ、この先に斎宮歴史博物館が控えている。暇乞いをして周辺史跡巡りへ出る。
屋外には斎宮の10分の1模型が再現してある。
八脚門  
一見玩具のようで結構精巧な作りだ。帰りがけに体験館脇の隠れたところにも建物模型が数点あるのを見つけ寄ってみると、素材研究の実験モデルだった。
右が金属製、左が樹脂製、奥が木製
細部にも試行錯誤を重ねていることが伺える。
斎王の森。木立の中に斎宮跡碑と歌碑がある。

寒風に煽られながら、宮城の馬を放牧したという原っぱを突っ切って博物館へ向かう。昔は狐狸が棲み今でもイノシシが出るという、時代を問わず寂しい田舎。宮殿とはいえ今ほど警護が十分とは思えず、夜などは姫君も相当怖かったのではないかと推察する。
県道沿いには斎宮について詠んだ歌を記した道標が並ぶ。

この辺りは小さな古墳も点在し、斎宮以前の古代から地位ある者を受容する土地だったようだ。
そして、斎宮歴史博物館。体験館で十分勉強してきたので、ここは資料を眺めるだけとなる。ボラさんは映像展示を見るよう薦めてくれたが、電車の時間を気にして逃してしまった。それでも平安期の文献や発掘調査の結果をもとにした展示は興味深かったし、手法にも結構工夫があった。
 奈良古道を辿り再び10分の1模型を観賞して見学終了。電車を1本(約30分)遅らせて伊勢へ。この後二度とタイムテーブルに沿うことはなかった。

伊勢神宮参拝

伊勢市駅から外宮までの参道は、見違えるほど華やかな街に変わっていた。伊勢うどんと丼物のセットメニューを考えていたが、意外に高くて過ごしているうちに横丁の果てまで来てしまう。結局、外宮目前の食堂で伊勢うどん大盛700円を啜った。数年ぶりに食べる濃厚なタレだけの素朴な味にまた2,3年分満腹。高校生らしい配膳係たちが巫女さんに見えた。
外宮は割にすいていた。
 
真っ白な木肌が眩しい正宮の右手には、苔むした屋根の趣ある古殿がまだ残されていた。古殿のほうは内部を見学できるようだが、どこから入るのか不明。ほか風宮や山の上の多賀宮なども丁寧に参拝。多賀宮遷宮したらしく真新しかった。「せんぐう館」は見学せず。
内宮-外宮直行便の神都バスは別途290円要るので、徴古館経由の路線バスに乗車。市内バスは一律160円と思っていたが、券売所で確認したところ内宮-外宮間は410円。いかに今回の企画きっぷがお得か実感させられる。14時半過ぎ、内宮着。
このときは15:21伊勢市駅発の「みたすの湯」行きバスに間に合う一縷の望みがあったので、大勢の参拝客の隙を縫うようにして長い参道を本殿へと急いだ。内宮は外宮よりも木々の密度が高く、昼間でも薄暗く感じる。
階段下から拝する内宮本殿。木漏れ日が美しいといえばそうかもしれない。古殿は内宮と同様右手に残る筈だが、参拝後は左へ誘導されるうえ急いでいたので全く見ていない。
内宮といえば「宇治橋」もただ往来するだけでは惜しい名所である。

10分間隔の路線バスが目の前で発してしまうも、幸い臨時バス*2が5分後に出てくれる。これも三交なのでフリーパスは使える。宇治山田駅の近代建築的で荘厳なる駅舎を車窓から撮ろうと試みる。後でライトアップバージョンも拝むことができた。

みたすの湯

バスは既に発してしまい、行き方を思案していると観光ガイドが近寄ってきて「河崎商人館」へ行くのかと聞く。逆にそのガイドを利用して、「みたすの湯」へ直行または近くまで行く別の系統がないか尋ねてみる。彼は手持ちの資料を繰ったが煮え切らない返事だった。そして、歩いていくなら通称「八間道路」が分かりやすいだろうとアドバイスをくれた。
ところが、実際八間道路を辿ってゆくと沿道にバス停がある。系統図を見ると起点は伊勢市駅前、進む先には船江のつく停留所がある。「みたすの湯」は船江温泉と冠していたのを記憶しており、その辺にスパはあるのだろう。何だ、付近へ行くバス系統はあるんじゃないか。読みは的中、20分余歩き船江新道で交通量の多い脇道に見当つけて入ると、目印の赤十字病院*3が現れた。温泉のフロントで船江新道バス停の時刻を尋ねると丁寧に教えてくれた。
炭酸泉の比較的低温な湯が心地よかった。また、長い廊下や浴場と別室になった洗い場や中庭など趣向が凝らされている。玄関の切妻屋根もその一つ。

多種多様な風呂を揃え、中でも釜風呂なんてのは珍しい。露天風呂を経由するので気づかず入れなかったのが惜しい。湯上りに飲む牛乳が脱衣所にしか売ってないというのも惜しい。ともかく、復路が定まったことでノンビリできた。

宇治山田駅赤福完売を知って焦り、伊勢市駅やコンビニを探すも時既に遅し。代替のお土産は黒ゴマ餡の遷宮記念「宮下餅」。18時台も名古屋直通急行があるものとの誤算で乗り遅れ、伊勢市からの普通を松阪で快速急行に乗り換えて伊勢中川に急ぐと同駅始発の名古屋行き急行に乗れたので最良の判断だったと満足していたところ、実は普通電車のほうが伊勢中川に先着していたというオチ。そして名古屋駅の売店には赤福が積まれていた。赤福は名古屋で買って名古屋で食べよう!! たまには近鉄の旅も良いものですね。

*1:2007年01月02日

*2:五十鈴川駅、宇治山田駅伊勢市駅経由の外宮行き

*3:みたすの湯はその向かい