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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

平原編4:鹤壁(Hebi)浚县(Xunxian)(浮丘山)

浚县は計画当初まったく眼中になかった。濮阳と新乡の繋ぎ目は滑县で十分と考えていたが、ふと『河南省交通图册』の浚县域内に書かれた浮丘山というのは、县城に近いのだろうか、とGoogle Mapで検索してみた。すると、町のど真ん中にあるではないか。急に一度行ってみたくなり、Cプランに組み込んだ。市中に大きな丘陵が二つあり、西を浮丘山、東を大伾山という。大伾山には大佛もあるらしく見所は豊富なようだ。また旧市街には歴史建造物があり、县级行政単位で唯一の国家級歴史文化名城に指定されていることは帰国するまで知らなかった。
平原編3:濮阳县(挥公陵)よりつづく)
バスは濮阳西部の開発区を出るとすぐ高速に入り真っ直ぐ浚县へ。途中停車は浚县側インターでの降車のみだったと思う。ちなみにこの高速で安阳市内黄(Neihuang)县を横切り、当シリーズ名の由来となった平原省の管轄域*1を通過でカバーした。

浚县

実は浚县も6年ぶりの再訪で、2008年07月安阳へ向かう際路上でバスを乗り換えさせられ、僅かに足跡を残している。勿論今回はそのときと同じ場所に降り立つことはない。1時間15分ほどで町の中心部にある汽车站に到着。「浚县名吃 子馍」というのが気になって食べてみた。
 1個5元。
外見も味も鸡蛋灌饼とさして変わらないが、露店では焼いているというより大鍋で揚げているように見える。帰国後に調べてみると、子というのは石子のことで、熱した大きな石の上で焼いた馅饼(パイ)らしい。石焼いもと同じ原理ということだ。具は卵や豚肉など。中国の旅先で名物を食べることはほとんどないので、良い記念になった。

大伾山・黎阳仓遗址

口福に酔いしれながら、表通りの黄河路と別れ紫金路に踏み入る。実は地図の読み違いで黄河路を縦軸として東西に大伾山と浮丘山があるのだが、大伾山の東側にも省道が描かれていて錯覚した。100mほど商店が犇いていたかと思うと、すぐ宅地、田園地帯に変わった。そして省道東上線*2は両側緑地帯の道路で、漸く間違いに気づいた。
こうして大伾山を裏側から入ることになったおかげで遭遇できたのが、黎阳仓遗址だ。黎阳(Liyang)は浚县の古い名で、黎阳仓は隋代から北宋時代にかけての食糧備蓄庫。東には黄河、西側には永済渠(現在の卫河)が流れ水運至便な黎阳は、穀倉地帯河北の糧食を蓄え流通させる重要拠点だったらしい。
大伾山には大佛があるそうだが、こちら側は森林公園と寂しげな寺院だけで気配も感じられない。遥か遠くの山頂らしき辺りにお堂らしき屋根が見えるも、登山道が見つからない。農道とも一般道ともつかない未舗装道路を行くと、峠のような生活道路に出た。そして、再び大伾山に入る箇所も分からぬまま、住宅地をするすると下って黄河路に戻ってしまった。大佛に謁することなく山だけ拝んだ形となった。

浮丘山

浮伾路との交差点。
 左を向けば大伾山。  右を仰げば浮丘山。曇天でも蒸し暑く、もう一度大伾山を登りなおす気力はなかった。
緩やかな坂を上っていくと、正面に真新しい城隍庙。

左手に、塀に囲まれた烈士陵园。左奥に千佛洞の指示案内があり裏山をよじ登ってみるも、門は閉ざされていた。観光客はおらず、物売りも疎らで寂しいところ。てっきり見る所はこれだけかと思い込んでしまう。実は浮丘山のメイン景勝碧霞宫のちょうど背後に居て、まったく気づかなかっただけなのだと帰国後に知る。浮伾路を玄関口と見なしたのが間違いで、日本の社寺と同じく碧霞宫は南を正面としていたのだ。どうも検索資料と体験が一致せず、衛星地図とも照らし合わせた結果丘陵地南端に碧霞宫の存在を認めた。またも背後入山で見所をつかみ損ねた。ただし、千佛洞が碧霞宫内にあるかは断定できない。
というのは、物足りなさを覚え城隍庙の裏に伸びる一本の道を行くと、姑山风景区というところへ続くことが分かった。その景勝一覧に千佛寺の名もあったからだ。林の中で初めてツアー御一行と遭遇した。なるほど城隍庙一帯よりは格式ありそうだが、やっぱり静かな寺庙であった。入場無料。
   神宵宫
廟は崖の上にあり、東は大伾山と浚县市街を一望できる。文字通り平原の河南にあって二つの山に挟まれた町って珍しいよなぁ、とつくづく思う。西を望めば滔々と流れる運河卫河を見られ地理を実感できたかもしれない。運河が谷のように2山の間を通っていたら黎阳の歴史も違っていたかも。
この崖の突端が千佛洞のような気配があった。でも、そっとしておきたいカップルなどが向かうので、敢えて踏み入らなかった。

浚县老城

城隍庙には戻らないで崖の下の道をツラツラと下っていった。浚县は、今回の旅の中で一番よく住宅街を歩いた町だ。対話は少ないが、人民の息遣いを肌身に感じた。砂漠色の家々壁には法規遵守の標語が挿絵とともに至るところにかかれていて、興味深かった。そうして、ポロッと旧市街に出た。
 
町の中心に聳える文治阁。歴史文化名城の代表的建造物。
足元には、开封では2011年12月に一掃された懐かしき電動三輪タクシーが屯している。交差点は決して広くなく、車はラウンドアバウトのように周回するわけにはいかない。そのため閣内は狭いながらも十字クロスで四方に開いており、直進車は内部を通過する。国家有数の名城指定だけあって観光用に造られた感がなく、半世紀くらい前の街並みがそのまま残っていて良い雰囲気を醸している*3
老城の周囲では城壁と城門の修復が進行中。
 卫河に接する西門の復元工事現場。東の街外れでも大規模工事が行われ、迂回路と砂埃に苦しめられた。二つの山で若干肩透かしを食っている分、この老城散策は結構満足。

新乡へ

道口行きを含め浚县汽车站の乗車場に並ぶバス達を眺めていると、急にここ3日間の疲れが溢れてきた。もう飛び石移動は嫌だ、可能な限り早く开封へ帰ろうと思い、新乡直行を決めた。所要2時間半で19元。道々、下校途中の中高生らを立ち席でガンガン乗せ、もはやスクールバス状態。それでも飛ばすところは飛ばしてそれなりに速かったと思う。
濮阳と同じ6年4ヶ月ぶり*4の新乡は、またも东站に到着。あの時は悔しいこともあったが、今は割と純粋に懐かしい。向かいの停留所から公交7路で火车站へ*5。日本の遊園地などで巡回しているようなレトロ風のバスが走っている。新乡は以前からある程度都会のイメージが強かったから相対的に大きな変化を感じない。それでも自家用車の割合は違うかなぁと。
東を除く三方を建物に囲まれた新乡火车站。中央島でもあるポール下の僅かなスペースに利用者が溜まり、広場の大半を車が占めるのは昔と変わらない。当時の記述では駅舎に向かって手前が市バス、奥が一般車となっているが、今は概ね南半分が市バスターミナル、北半分と駅舎車寄せ付近がマイカーおよびタクシーのエリアとなっている。そして、以前よりマイカーの割合が増したため駐車場なるものが北端に設けられている。街路樹が整った平原路に比べ、駅自体は相変わらず採光に難あり。
まずは晩飯。そろそろコメを食いたいと思ったが、总站近くの屋台と店舗の中間みたいな店で凉面。辣椒を入れてもらったら意外に辛くて舌が麻痺。デザートと口内の中和を兼ねて、哈密瓜を一串。かつてどこでも1元だったハミ瓜は2元に値上がり。カットスイカも同様に並んでいるが、やっぱり名産地开封で堪能したいと思った。中国を旅行するときは小型ナイフを一丁携帯していると果物狩りが愉しめる。そうそう、总站の対面辺りに孟姜女古楼という景点があるのだが、やはり小さな公園にしか見えなかった。

駅前の一夜

そこからの一晩が本ッ当に長かった。市区内の投宿は濮阳の経験から多少楽観していた。数年ぶりに口にした营养快线の予想を超える不味さは、過酷な夜の前触れだったのか。駅前広場にも周辺にも宿の客引きはちっともいないし、門前にすら出ていない。独り小机置いて構えている軍服姿の手引き屋に付いていったらパスポート見るなり慌てだし、いきなり人力三輪車に乗せられ着いたところは公安局。こんな扱いは初めてだ。別にあんたを虐めたわけじゃないのに警察へ突き出されるいわれはない。怖さと悔しさで興奮しながら無言で三輪車を降り、男の叫び声を背に受けながらもと来た道を歩いて戻った。自転車で数分の距離だし地理感は抜群なので全く迷うことはない。しかし、市区の招待所に泊まるのはもう危険だと確信した。さきの招待所の支配人も、先日問題ある人を泊めて捕まった話を挙げていた。懸念する宿はこれまでにも幾つか遭遇しているが、近年は特に規制が厳しくなりガサ入れも頻繁に行われているのかもしれない。無垢な河南市民に罪を着せてもいけないし、これからは小規模宾馆級に泊まれるくらいの宿泊費を計算すべきなのだろう。
ともかく、今宵は安眠を確保できなかった。駅舎前の階段やスロープに座って転寝などで必死に時間を潰した。前方からは「郑州! 焦作、郑州!」と河南イントネーションで集客する乗合タクシー運転手の濁声が響き、背後では「车站招待所」の短い宣伝アナウンスが回転灯のようにグルグル流れ続けていた。ときどき防犯がてら暗闇の街を歩けば、タクシーが執拗に鼻を鳴らしてくる。
切符の買い方を知らなかった2008年02月の商丘とは違い、買う能力はありながら新开城际公交に固執するが故の耐久戦。今回さえ凌げば、次からは新乡に留まらないプランを組める。とはいえ、転戦疲れを少しは軽減できると踏んでやってきたのに、さらなる重荷を背負う羽目に。どうも私は新乡とは相性が悪いらしい。

平原編5:新开城际公交へつづく)

(map:浚县浮丘山)

*1:当時と現在では境界線自体が異なるけれども

*2:東武鉄道ではない

*3:日本で言えば明治村か大正村にいる気分

*4:2008年02月17日新乡 参照

*5:6年前と同じ行動