南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封朋友との再会結果 2014

前回(2012年3月)の報告書

今回は前回と比べ、総じて残念な結果であった感が強い。开封に対して抱いてきた「第二の家」「第二の故郷」的な拠り所を大きく失いつつある。そして、その要因には城管の影響が感じられる。人も社会も変わりゆくのが自然だし、連絡の取れない条件下で再会できること自体幸運とも言えるけれど、何とも寂しい。しかし、たとえ再会できる人が一人になろうとも、必ず結果を書き記すことで感謝の意を表したい。さもなくば次の旅のステップに進めない。
今回会えた人は3人。うち、一人は河南大学の老師、また一人は前回泊まった吉祥旅社の阿姨なので、純粋に留学中から接していた开封一般市民はたった1人ということになる。留学生活の中で頼りにし再会を期待していた人の多くは、街にいなかった。もっとも、今回の滞在時間は15・16両日の半日程度*1なので、もっとゆっくり居ればチャンスも増えたかもしれない。
前回2012年と同様、「会えた人々」と「会えなかった人々」の項に分け時間的順序は前後させて記す。登場人物はおおむね重なるので、2012年の記事を予めお読みいただくことをお勧めする。ちなみに今回も小規模ながら手土産は用意し、菓子は「ダイナゴン」3個、タバコは今年4月発売の最新商品「セブンスター・メンソール・8・ボックス」*2を2個携えていった。縮小・限定された开封滞在日数の中での成功率を考慮しながら、適当な数量を見極めたつもりだ。結果は菓子タバコともに一つずつ残り、许昌のK先輩に贈った。

会えた人々

まずは、鸡蛋灌饼店の老板。15日は9時か10時ごろ河大南門に着いたので、ちょうど店じまいの最中だった。しばらく側で作業を眺めながら感じたのは、老板老けたなぁ。やにわに声をかけ、タバコをもらって少し話をした。彼はいつも私の中国語を褒めてくれる。別れ際に、「明日の朝、灌饼食べにこいよ。」(とりあえずまだ残っていた店で豆腐脑を食べ、火车票代售处で天津行きの切符を買う。)翌朝8時、学生や通勤客が集まる店へ食べに行く。今回もお土産を渡したら灌饼はタダになってしまう。たしか4元と言ったような。

いつもどおり「都要」と言って具を全部挟んでもらう。野菜が高騰しているのか、値上げによってサイズを変えたのか、明らかに饼が大きくレタスが小さい。全体の味は変わらず美味しい。「明日も食べにこいよ」と言われ、大きく頷いた私だった。が、その昼に予定が急変し、約束も果たせず別れの挨拶もできなかったのは痛恨の極みである。

吉祥旅社の阿姨。留学中は一切知らなかったが、泊まるたびに文具店の阿姨やK先輩の馴染みということで割安にしてくれる。その文具店がいつもと様相が異なるのに不安を覚えながら路地へ入ると、阿姨がまるで出迎えるように表にいた。前回の時点で、この旅社のある地区は近接する溜池の埋め立てとともに土地整理して工場を建設する、という噂が流布されており、もう残っていない可能性すらあった。もともと大学周辺は学生の下宿などを兼ねた旅社が多く、いわば大学の庇護のもとで整理を免れている面がある。年々宿代も上昇し本来は80元ぐらいだというところを、60元で比較的良質なシングル(单人间)を充ててくれる(ちなみに2012年は1泊20元)。ここも2連泊でゆっくり過ごすつもりだったけど、先述のように急きょ开封を一旦離れる予定となり、お手数ながら前払いした2泊目分を返してもらった。

河南大学の恩師。前回は家族の事情で会えず、お土産を日本人留学生に託すという残念な思いをした。今回は出発の前々日にメールで开封再訪の旨を伝え、北京到着後に歓迎の返信を受け取った。前回と異なりスマホを持っているので、直前アポは文具店の電話に頼らない。16日午前に教室で会うこととなる。懐かしい研究生楼の教室へ行くと、第一課は別の先生が授業を始めるところだった。慌てて確認すると、第二課に6階の教室へ来てほしいと言われ、しばらくキャンパス周辺を散策して過ごす。ちょうど学期末の試験期間中で、第二課は口语の試験。各国の留学生たちに挨拶したあとは、一クラスメートになり教室の片隅で彼らの懸命に話す中国語を聴く。自分も6年前はここでこうして中国語を学んだんだ。まるで雑談のように気楽に語らせ、それぞれの言葉を引き出させながらテストしていくスタイルは当時から変わらない。試験のテーマであるらしい「中国語を使った自分の将来について」という内容も、また今の自分が直面する課題でもある。放課後、老师に自分の近況を語る。とても今の語学力じゃ伝えられないと思っていたが、細かい部分は除いて案外話せる自分がいた。留学後の復習も中国語を使った仕事もしていない現在、年々衰えていくのが当然と思っていたので、さっき聴いたばかりの学生たちと見かけは同等レベルを維持しているのが信じられない。現在外国人教育を担当している先生方ともお会い(一部再会)して、当時お世話になった老师が学内や海外へ異動されていることなどを知った。このあと、东京大市场近くの店*3でラーメンを食べながら引き続き話をし、別れた。今回会えた开封人の中では一番嬉しい出来事だと思う。

会えなかった人々

おもに、前回の結果を踏まえて、会えると期待していったのに叶わなかった人々である。
河大文具店の阿姨。留学当初からK先輩に紹介され、帰国後の再訪に至るまでずっと頼れる「家」のような存在であった。再訪の折には挨拶がてら、生活用品を調達したり電話を借りたりと随分重宝した。また、吉祥旅社の阿姨と知り合いで先にアポイントとってくれたりもした。今回店頭を通ってもワンちゃんは飛び出してこず、奥に見える女性もいつもの阿姨らしからぬ趣きだったので入店せず。あとで吉祥旅社の阿姨に聞くと、市内の某所へ引っ越したとのこと。K先輩によると、弟さんたちはまだ明伦街で営業しているらしい。

「三元弁当」こと大米盒饭店。前回の時点から細々と営業しており、消滅の予感があった。そもそも近年屋台営業自体が規制をかけられており、活気のないものから淘汰されていくようだ。

东京大夜市「伟伟」の老板。そもそも城管による取り締まりの影響で东京大夜市自体が不定期営業になっているらしく、15日夜は開市せず。K先輩によると、廃業したわけではなく曜日を決めて営業しているそうだ。また、後述する东京大市场スペースの変化により、かつて「伟伟」の営業していた場所は緑地帯となってしまった。开封名物として市内各所に点在していた中小の夜市が取り締まられ、大規模な鼓楼观光夜市などに集約されていくのは寂しいものがある。

兰州拉面の老板。明伦街にある食事処の最後の砦だった馴染みの店主がついにいなくなった。同じ回族一家らしいので、親戚かもしれない。温厚で外国人にも優しい老板だった。15日の晩に、酸辣白菜盖饭を食べに行った。配膳係の娘さんが妙に可愛くて手つきがいいので気に入ってしまった。その子を見たくて2回行った気がするんだけど、その日の昼は四川食堂で宫保鸡丁饭を食べているので勘違いである。

また、东京大市场片隅の果物屋のおばちゃんも意識してチェックしたけど、見当たらず。もう向こうも顔覚えてないかもな。

许昌にて先輩との再会

开封人ではないけれど、留学中とてもお世話になり、現在も中国で日本語教師としてご活躍されているK先輩と偶然会う機会があった。今回の开封帰郷で心の拠り所の減少を痛感する中で、唯一救われるような安心感を得た再会でもある。
河南大学で老师から一枚の名刺を渡された。それは许昌学院で日本語講師をしているK先輩のものだった。これまで苏州などで教えているとの情報を得ていた時期もあったが、まさかこの帰郷中に身近な都市へ赴任されているとは思いもよらなかった。早速挨拶だけでもと電話すると、ぜひお越しくださいと言われ日程を調整した。开封でなくとも河南で再会できるとは感動極まりない。詳しくは以下の記事をご参照ください。

学生たちを交えることなくサシで落ち着いて話ができたのは、白酒の酔いが醒めかけた17日早朝ごろ。お互いの近況や开封の変化などをポツポツと語らった。开封で盤石だと信じていた「家」が揺らぎつつあるなかで、同胞の知人も身寄りの一つとして頼もしい存在になるのかもしれない。

河南大学周辺の変化

南门附近


公寓前に移転した建设银行。なお、2012年の時点では工商銀が移転したと書いているが、同じ建物の南門寄りに建設、一軒挟んで工商が入居している。建設の方が大手で、学生利用者も多い。

明伦街


文具店の紅白の看板だけは変わらない。右端の烟酒店(文具店の阿姨の弟さんが営む)は健在。

文具店の対面付近。看板も経営者も変わったが、「天府快餐」(四川料理)と「福建小吃」は留学時代からの食どころ。そして、2階も相変わらずインターネットカフェらしい。在学中は「翔宇网吧」といい、四川大地震もここで経験した。

ここからは、ちょっと驚き編。
まず、郵便局(邮局河大支行)跡がホテル(宾馆)になっていた!
 东京でなく京东
 2012年、閉鎖したばかりの郵便局。

护城河(河南大学東辺)

スーパーマーケット三毛河大店がなくなったことは既知なので、今はさほど衝撃はない。尤も、SOSO街景地图で事実を知った時は打ちひしがれたものだ。

その跡地は見違えるようにキレイな公園に整備されていた。かつて护城河といえば、茶色く濁り、ゴミが浮かび、普通の日本人なら側を歩けないほどの腐臭が漂っていたものだ。それが今や、緑青々と茂り、川面に藻が浮かび、遊歩道が造られ、小洒落た橋が架かっている。


このアーチ橋が、かつての三毛と东环路を結ぶ橋の位置と思われる。これより南のカラオケ店や雑貨店などが集まっていた怪しげな地区は、まだ緑化途上のようである。

东京大市场(夜市)

こちらも三毛の撤去とともに明伦街の北側を更地にされたことは知らされている。上の「三毛」記事参照。
更地が緑化されてる!!
 これじゃ夜市も開けないわ...
芝はともかく、まだ植樹されたばかりのヒョロヒョロだらけ。お上にとってあまり好ましくない風紀のエリアだったとはいえ、何もここまで潰さなくても、と思う。
东京大市场自体は通りの南側に残っている。
 このスペースだけでも夜市は行われるのだろうか。

おわりに

「三元弁当」のように前回予感した通り街から消えている人も多く、会える人は確実に限られてきている。街並みや環境の変化とともに各店も家主が入れ替わり、外見以上に街の中身も変化しているということだ。それでも开封を第二の故郷と思えるか、たとえ一人でも継続して会いに来れるか、は私の気持ち次第だ。

*1:尚、17日も駅で列車に乗るまでの時間を开封市内で過ごしたが、明伦街には戻っていない

*2:メンソール好みでない喫煙者にも好評らしいとネットで確認し、あまりメンソールを吸わない中国人にも受けるかもしれないと考えた

*3:「阿利茄汁面」と思われる