だから、社会のために生き、社会のために犠牲になる者がいても何らおかしくはないし、それが多少度を越したところで生死の循環に影響を与えるものでもない。したがって、社会のための犠牲を最小限度に抑える必要もない。他の生物と同じように循環するなら、社会をもつことは優劣双方にはたらき、多く生まれるだけ多く死なねばなるまい。
そんなわけで、ヒトが生きる世界では戦争や紛争が起きたり、国家に奉公する体制ができたりするのは、別に他の生物より高等なことをしてるんでもなくて、やっぱりみんなと同じように個体数を調節するためのしくみなんだろうなぁ。