南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

「安保」は、アメリカが日本を前線に立たせるシステム

もともと東西冷戦中もそうだし、今は海洋権益を狙って触肢を伸ばす中国に対する前線を担わされている。
だから今さらのように報道されるけど、安保関連法の内容が米国の要求に酷似しているのは当たり前で、辺野古米軍基地移設問題だって琉球を中国の属国にさせないため独立を阻止し米国主導で日本政府が操れるようお墨付きを与えるのが今回成立した法案だ。現在の中日ドラゴンズでいえば、落合GMが前線に立つ谷繁監督の頭越しに物言う権利を、きちんと法律で定めたようなもんだ。

しかし、日本という国は近代以来どうもアメリカの手先から逃れられんね。風刺画「火中の栗」を思い出すけれども、欧米列強に唆されて朝鮮の支配権を握る清国やロシアと戦わされた日本の姿は、国際社会で未だ発言力の高いロシアや経済力と軍事力をつけた中国と対峙しなければならない現在とダブる。今でこそ、戦争はなるべく回避される傾向が保たれており、即戦えと仕向けられることはないだろう。だが、この緊張感もまた一種の戦闘であり、既に米中戦争に加担させられていると言えなくもない。
そう考えてくると、日本が危惧すべきなのはホルムズ海峡で機雷掃海に付き合わされるとか在外邦人救護に際し武器使用が発生するとかではない。さらに、朝鮮戦争ベトナム戦争といった緊張関係での前線や、イラク戦争のような大義名分を掲げた悪者退治に派兵協力を要請されること、でもない。過去の歴史パターンとして、欧米の手先だった日本が自発的に戦争を起こし資源確保のため欧米の植民地へ侵攻していった史実を見落としてはならない。「歴史は繰り返す」のなら、日本は必ずアメリカの手先から自立する。その時、誰からの指図も受けずに軍事行動を起こせる法制度ができているとなれば、なるほど只今「戦争法案」と騒がれるのも納得できる。手先だからこそ武の暴走が抑止されるともいえる。今回改憲せずに安保法案だけ通したのも、傀儡状態だけは守らないと後で日本何するか分からない、というアメリカ側の危機感と工作によるものじゃないかと。単に、将来若者が戦争に行くかもしれないとか、社会風潮が戦前に似てきたとか危ぶんでいる場合じゃない。まぁそれも正しいけど、日米安保の名目じゃなくなったとき、この法律がどう活用(濫用)されるか或いは使いようがないかってことを考えるべきだ。法案は意外と精巧にできているかもしれない。

我句 -Gag-はもっと簡潔に締めないと暴走して長文になってしまう。