南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

Firsttime Philippines 1:Pampangaへ

はじめての中華圏外渡航ということで、英語でシンプルなシリーズ名にした*1。ホントはパンパンガ州(Pampanga)をシリーズ名に起用したかったが、行程上に同州でない滞在地も含まれるので断念。数年来、私の心の中で「パンパンガ」は未知なる桃源郷のようなイメージをもつ言葉だった。

はじめに

今回の旅は、職場でもオフでも色々とお世話になっているRuby姉さんの一時帰国に同行する形となったので、ふだんの家族旅行編と同じく自主企画が一切ない。日取りを決める以外は全く任せっきりで出かけたので、海外渡航にしては我ながら信じられないほど随分と無防備であった。スリや物の紛失にも初めて遭遇した。そもそも英語力は衰えタガログも一切分からないという、台湾のときよりも言葉が通じず右も左もわからない海外なのだ。その刺激を久しぶりに素直に楽しみたいほど、日常は閉塞感に喘いでいた。
フィリピン行きについては姉さんと出会った頃から何度も一緒に行こうと誘われていて、ここ一二年は具体的な日程まで動き出しながら土壇場でキャンセルになることが幾度かあった。「可愛い女の子いっぱい抱かせてあげる」とか「実弾の拳銃撃ってみよう」とか色々楽しみな計画を聞かされていて、自分なりに結構期待していた。今回それらは少し期待を外す感じで実現し、ギャップを楽しみつつ感謝している。
日程はお互いの仕事に影響しにくいお盆休みを中心に組んだ。それでも週一休みが固定されている自分の現場では調整に苦労したが。二人同日に出発し、私は4日間、姉さんは約2週間。18日の帰国は私一人だが、飛行機に乗ってしまえば直行なので問題ない。このフライトもディスカウントチケットを随分と検討した結果、LCCでフィリピン大手のセブ・パシフィック航空に決まった。往復4万5000程度で最安時の上海と変わらない安価だ。ちょうどお盆ということで小学校のクラス会も14日夕で誘われたが、ここまで曲折のあったフィリピン行きを逃すわけにはいかなかった。

セブ・パシフィックの旅

(注:日付はフライト中に15日へ変わっていますが、現地へ到着して仮眠についた時点を14日の区切りとします)
午後3時過ぎ、通いなれたRubyのアパートへ行く。これから一緒に出掛ける、しかも自分にとっては海外へ行くという緊張感はほとんどなくて、いつものように遊びに行くラフな感じ。姉さんが身支度している間、テレビを見て過ごす。どこからか青い帽子を見つけてきて、被ってみたら「すごい似合うねー」とか言われた。自分はそんなに愛着湧かなくて、滞在先の親戚の家にさり気なく置いてきてしまう(サイテ-)。手荷物は大きめのスーツケース2つと、機内に持ち込むためのキャリーケース1個。名鉄西春駅へは、以前の仕事仲間であるジェイソンに車で送ってもらう。かなり最新のトヨタSUVで、妙なところに感心している俺。とても一人で運べるような量ではないので、自然と俺が荷物持ちになる。家出る前の想定では西春から準急に乗り、金山辺りで特急に乗り換えるほうが早いと考えていたが、この荷物を携えて乗継させるのは可哀そうだと諦め準急に委ねた。思えば、一緒に公共交通を利用するのもこれが初めてで、やっと非日常を感じ始めた。同窓会連中にメッセージでも送ろうかと思ったくらいだから、電車に揺られていたのは6時過ぎと思われる。
チェックインはほぼ任せっきりで緊張なし。スーツケースの1つは俺の枠を使う。セブ・パシフィックのカウンターに並ぶ人々は大多数がフィリピン人で、知り合いの顔を見つけては話に花が咲く。日本で生まれ育ったような子供たちは少し戸惑っているようだ。Rubyもとある男性から声かけられて話が弾んでいたが、手続き後に「昔の知り合いなんだけど、誰だったか思い出せないわ」ww。搭乗ゲートで再会して語らうと、栄で働いていたころの知人だと分かったらしい。その傍らで俺は晩飯のカツ丼を頬張る(@DELI&CAFE)。初めて食べるこのイートイン、美味しいけど総じて高いね。
セブ・パシフィック搭乗口*2の待合ホールには、本当に全員乗り切れるのかと思うほど大勢のフィリピン人が集まっていた。日本人なんて数えるほどしかいない異国状態だが、片隅では常連ぽい爺ちゃん二人がまるで縁側で将棋打つごとく談笑している。30年後の俺もああなるんかな。そして、その群衆の中に長身でイケメン*3のオカマさんと遭遇した。栄のバーで働いているということで、姉さんと意気投合していた。彼と私は帰国日が同じで、18日マニラの空港で彼の姿を見つけては安心感を覚えた。
さて、この搭乗までがたっぷり1時間は待たされた。「用意ができ次第ご案内します」と何度もアナウンスがなされたが、そもそも乗るべき飛行機の帰還が遅れており機材準備どころではない。よく利用する中国系航空会社でも多少の遅れは慣れたものだが、このレベルになると中国鉄路並みだな。さほど動揺しないで、海外パケットし放題の設定法を確認して過ごす。毎年重宝するものだけど毎回手順を忘れる。この間、巡回していた添乗員が我々のところへ来て、「このキャリーバッグは機内へ持ち込めないので、預ける手続きをしてほしい」という。なるほど、天井のトランクが狭いから収納しきれないんだな。向こうの都合なので手数料は取られない。
搭乗橋を渡りながら目前に見える飛行機は小柄でRubyは「怖いよ」なんて言ってたが、中国便はこのサイズが多いので慣れている。でもあの大人数が収まるのかという不安がよぎった。その予感は直後に的中。通路の両側に3席ずつ、列の間隔が非常に狭く座ると鼻先に前の背もたれがある。足も伸ばせず手荷物を置くなんて以ての外。まるでバスか、と思うほどせまっ苦しくて飛行中に窒息しそうな機内に詰め込まれた。幸い、機内モードでMP3を聴いているうちに爆睡してしまい、閉塞感に苛まれる暇はほとんどなかった。ちなみに機内食は有料*4で、予約した乗客にだけ弁当とジュースが配られる。先のフライト後に回収し忘れた未開封のジュースがシートポケットに残っており、何気に飲んでしまう。

フィリピン入国

着陸時、隣席越しに覗くマニラの夜景が綺麗だった。
入国審査がちょっと厄介だった。機内で分かる範囲だけ適当に記入しておいた入国カードを厳しく追及された。まず、Occupationは何なんだと問われ、英語で答えられないで往生していると怪しい人物と見なされたらしい。Rubyから滞在先すら教えてもらってなかったので、これにも困惑。結局、さきに通過していったRubyが通訳してくれ、しまいには私の入国カードの指示箇所を記入して通してもらった。中国の入境ゲートは何度も通過しているが、審査官から質問されたことは1度しかない。留学期間中の一時帰国から戻った時で、そのときも軽い会話のような応答で最後には中国語を褒められ全然緊張しなかった。こんな難儀な審査は初めてだ。二人とも動揺して、手荷物受取のターンテーブルでスーツケースを1周させてしまう。ちなみにこの苦い経験から、出国カードの職業欄はネットで必死に調べて記入した。
晴れて、私の10年用パスポートに初のフィリピン入国スタンプが押される。改めて見てみると、フライト番号とともに「14SEP2016」と手書きしてある。事前にノービザ滞在期間は2週間と聞いていたはずだが、実は1か月有効なのだろうか。

パンパンガ州へ

到着ロビーには、深夜だというのにRubyの甥っ子姪っ子たちが迎えに来ていた。なかでも今回の滞在でお世話になったのが、Yuriさんとラニちゃんだ。Yuriさんは昔Rubyが名古屋の栄で働いていた時の親友で、今はマニラの撮影所で仕事しているらしい。日本語が流暢で日本人の習慣もよく理解しているので、通訳だけでなく色々と親切にしてもらった。ラニちゃんは一番年上の姪っ子で、今回の親戚集合を一人仕切っている明るい娘。アヒルさん唇がチャーミング。ふだん歌手をしているので(Rubyに似て)声が大きく語気も強めだが、気遣いは優しい。ときどき、知っている日本語で冗談半分に「おかね、ちょうだーい」と手を差し出してくる。私がコインをあげたり適当にあしらうと、拗ねたような反応をするのがちょっと可愛い。昔Rubyが日本から一時帰国したときによくやってたのだそうだ。そんな彼女も幼子の母親でもある。ほか3,4人と甥姪たちと、レンタカーの運転手が2人ほど。
空港に併設された駐車場からレンタカーのハイエース(ワゴンDX)で出発。日本出国前からマニラ市内は豪雨で大洪水だと聞かされていたが、空港周辺は多少路面が濡れている程度だった。タガログ語ではしゃぐ車内をよそに、海外パケットし放題の設定でフィリピンの通信会社の電波を受信しないスマホに独り焦っている私であった。半年ほど前からWi-Fi受信もできない欠陥機なので、もしや通信手段を失うのではないかと気が気じゃなかった。今この時を楽しもうと切り替えられるまで時間を要した*5
途中、ジョリビー(Jollibee)*6と思しきファストフード店に立ち寄りテイクアウト。店員さんの中に、職場仲間と似た顔立ちの女の子を見つけ、心中喝采とともに、あぁこの子たちの国に来たんだ、と初めて実感がわいた。フィリピンガールの中でも、小麦色肌でつぶらな瞳の華奢な子は私の好みだ。さて、最初のフィリピンフードのお味は、ごく普通のホットドッグとソフトドリンクであったが、微かにスパイスの違いを感じさせた。手元が不安定な車内で、ラニちゃんが私の食事を助けてくれた。
ここからRubyの生まれ故郷、パンパンガ州の主要都市アンヘレス(Angeles)まで2時間ほどかかる。異国初日の夜に高速道路で車に揺られる様は、留学のため初めて中国を踏んだ日に重なる。フィリピンの象徴ともいえる乗合自動車「ジープニー」が並走している。これは市バスやタクシーの一種だと思い込んでいたけど、ハイウェイも走るんだね。州都サンフェルナンド(San Fernando)の標識を過ぎ、次のインターを下りる。IC前のロータリーからのびる道のうち最も狭い脇道へ進入。ワイドボディのハイエースにとっては結構苦しい道幅だ。ほどなくして、今度はさらに細い未舗装の路地へ曲がった。ハンドルをうまく切れなくてボディを損傷したようだ。そして闇夜の中、唐突に到着した。あとから何度か出入りするうちに位置関係をつかみ、今ではGoogle Mapできちんと指し示すことができる。
Rubyの親せき(たぶん従兄)の家。勝手口のような戸口を入ると、外と地続きの台所になっていて家族が集まっている。中国の農村部の民家を訪れたようで少し懐かしい。温かいコーヒーを振舞われ、次々と紹介された。日本で親しくしている姪っ子の母親とも対面した。ふだん夜勤の為この時間帯でもさほど眠くはないが、そろそろ休んだら、ということで寝室に通され一眠り。他の家族と雑魚寝なのは構わないが、冷房が強めで肌寒い。

つづく

*1:このまま2nd、3rdと続くか否かは不明

*2:たぶん端っこの12か14。スロープを降りた先にある

*3:ウォーリーをさがせ』のウォーリーみたいな

*4:350ペソ、約800円

*5:結局、仮眠につく直前に通信は確立

*6:フィリピンでマクドナルドより優勢といわれる