南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

Firsttime Philippines 2:Angeles、Olongapo

南国の朝

お目覚めは熱いコーヒー。初めてシャワーとトイレを使った。バスタブはない割に、だだっ広い。洋式便器が据えられているが、大きなポリバケツに湛えられた水を手汲みで流す。アモイと同じなので驚きはしないけど、日本人の大便は硬めなので手桶ごときではそれを流し切れるほどの水勢が出ない。何とか元通りに始末するのに苦労した。蒸し暑い気候なのでシャワーは冷水でも平気で、寧ろ広さに乗じて暴れまくった。フィリピンで志村けんの「東村山音頭(1丁目)」を裸で踊った最初の日本人、になった気分。
台所で家族らに囲まれ注目を浴びながら朝食。日頃から姉さん家でご馳走になっているフィリピンの家庭料理を、本場でいただく。皆から「何でも抵抗なく食べるねー」と感心される。主食はコメらしいが、中国と同様あまり美味しいとはいえない。麺も日本のカップ麺がお土産で重宝されるくらいだから、やはり上質とはいえないのだろう。一体かれらの伝統的な主食は何なのだろうか。
銀行で両替や送金の受取などのため、アンヘレス(Angeles)の中心街へ行くという。身支度の合間、庭に出てみた。鶏小屋と、
 天然のバナナの木!
自家用車としてのジープニーと、日産サニー(B13型)が停まっている。日本ではほぼ絶滅した懐かしい型式だが、こちらでは動態も珍しくない。この車は乗らない方がいいのらしい。

お見せできなくて残念なくらい、いっぱい記念撮影したもんね。実は昨夜から気になっていたんだけど、ジョリビー・クルーみたいな私の好みの少女が姪っ子たちの中にもいたんだよね。さすがにツーショットはないけど、一緒に撮ったのもある。まだ中学生ぐらいだしRubyの前で手出しはできないけど、何とか言葉を交わせたらなって。でもお互いシャイだから通じなかった。それと、Yuriさんの彼氏だという結構イケメンな青年が格好よく振舞っていて、あまり隙がなかった。彼は早くから私に好意的に接してくれて、比較的女性の多いこの集まりの中で緊張を解いてくれる存在ではあった。彼自身、「Rubyの友達の彼氏」という微妙な立場に置かれ、Yuriさんに甘えるほかは浮いているような存在だったので、余計私に親しくしていたのだろう。

アンヘレスの町

門扉を出て200mほど未舗装の道を行くと、町道のようなストリートに出る。未明にレンタカーで通ってきたルートも明るいところで見ると、その町道に面してなければ全然区画整理もないような無造作な宅地である。中国でいう小卖部のようなタバコと飲料の店が点在している。そのストリートの一角に、「tricycle(輪タク)」の屯する場所がある。中国でも校門や駅前、バス停のほかに、主要道と脇道の交差点など輪タクの群れている箇所が市中にあった。中国ではいわゆるリキシャーから発展した電動やガソリンエンジンの三輪車が主流であったが、ここフィリピンではサイドカースタイル。ホロ付きの側車に2名、バイクの後部席に1名の客を乗せられる。運賃は交渉制。側車はバイクの車輪とほぼ同じ高さに座るので、非常に視線が低い。市街からの帰りと4日目にも乗車したのだけど、惜しいことにコイツの記念写真を忘れた。アンヘレス市街の画像にも写り込んでいるが、単体アップが欲しかったよな。
なお、趣味で研究している三輪車およびフィリピンの自動車流通概況については以下を参照あれ。

サイドカーは、方向感覚を失うほど曲がりくねって入り組んだ道路を、小回りの利くスピードで走ってゆく。舗装は概して良いとはいえないが、さほど直接的振動は気にならなかった。バイクの右側に側車がついているので、基本的に対向車が正面から迫ってくる恐怖はない。客を乗せたままGSで給油したりする。銀行近くの裏通りで降車。
BANK OF THE PHILIPPINE ISLANDSの前で暫し待たされる。向かい側に大きなカジノのあるところだ。先ほど「アンヘレスの中心街」と書いたけれど、地図で確認すると寧ろ新郊地区にあたる。この大通り「マニラ・ノース・ロード」が隣のクラーク(Clark)市へ延びており、ホテルや娯楽施設が集中している。二三年間隔くらいで帰郷しているRubyでも戸惑うほど、街は目まぐるしく変遷しているのらしい。
 カジノの隣に、なんと「BINCHOTAN(備長炭)」。
 アンヘレスの街並み。ここでもポーズとらせてもらった。
交通量は数年前の中国地方都市くらいで渋滞は起きにくそう。歩道との間の側道が駐車場と化しているのも中国と同じだが、信号や車線変更など交通マナーはずっと良好な印象を受けた*1

バンブーハウス

寝泊まりしている母屋*2とジープニーを挟んで対面に、竹で造ったログハウスの離れがある。高床の居間はエアコンがなくても快適だ。

長椅子に座っても、床に転がってもいい。日本人にとって木の床で横になれるのは寛ぎの極み。
昼食ができるまでのあいだ、生のマンゴーとビールを供される。

日本でも販売されているドライマンゴーとは似ても似つかぬ、未熟で青臭く堅い果肉だ。少し筋があってバリバリと歯ごたえのある食感となる。皿のふちに添えられた塩をつけながら食べると、まぁ酒のつまみにはイケる。また、赤味噌みたいな色合いのソースもつけてみるよう薦められたが、辛いとも苦いともつかぬ独特の味で積極的に食べたいとは思えなかった。先述のように何でも食べて受け入れていく私の舌が、初めてフィリピンフードに対して拒否反応を見せた瞬間だった。あとで調べてみると、なんでも「エビなどの塩辛」だそうである。

ラベルには「サンミグ・ライト」と書いてある。調べれば、フィリピンで最も古い飲料メーカー、サンミゲル社のビールだそうだ。真っ昼間だというのに、どれだけ飲んでもホロ酔いが数分程度でサーっと引いていってしまう、水のようなビールである。これは何瓶でも飲めてしまうよ。ちなみに日本の輸入食料品店でもお目にかかることができる。

 昼ごはん。
日々3食ともおかずの内容や味付けがほとんど変わらないのは中国の庶民家庭と同じで、いかにそれらを皆で楽しく囲み分かち合うかが大事なのである。

ところで、この家の親戚大集合はRubyの帰郷や私の訪問を歓迎してのものではない。Rubyの従姉妹?の一人である女性(来日経験があり、少し日本語が話せる)が重い病気にかかっており、検査や治療のため入退院を繰り返している。その見舞いと治療費カンパのための集まりらしい。とくに近日大きな手術をするらしく、一家総出で資金作りに奔走しているのだ*3。そもそもレンタカーも従姉妹さんを病院へ送迎するために借りたのである*4。そうした事情から、私のためのイベントは後回しにされ飲み食いしながら時を流していることが多かった。物事がせわしく進まない長閑な時間を過ごせるのも、またフィリピンだと割り切って楽しんでいた。この日は午後から海へ行って泊まる予定だと告げられていたのだが、送迎の車がなかなか戻ってこないのでしびれを切らし、誰かがビールを1ケースばかり買ってきてバンブーハウスの土間でジャブジャブ飲みだした。そのうち一つの家族が帰ってゆき、例の可愛い女の子ともまともに話せないままお別れとなってしまう。見送るのに立ち上がっても、すでに三四本は空けているのに全然足元がふらつかない。母屋に戻ると、今度はスコールが降り出し出足をくじかれる。日本でも近年はゲリラ豪雨といった激しい俄雨が降るようになったけれども、フィリピンのスコールはその比ではない。雨粒の密度が圧倒的に濃い。昔、小学校のプールで「地獄のシャワー」を浴びるのが苦痛だったけれど、あれは突然浴びる冷水とともに水滴の落ちてくる間隔が狭くて呼吸困難に陥るからだ。それよりさらに高密な降水を浴びたらと思うと、屋根の下で身震いする。

オロンガポへ

出かける前にパスポートとエアチケットの貴重品を家人に預けていく。もちろん手荷物も置いていくのだが、いろんな人が出入りする時期なので注意したらしい。泊りがけだと聞いているのに着替えも水着も携行せず、完全手ぶら着のままなのは愚かであった。
アンヘレス市内で私のお小遣い5万円をフィリピンペソに両替してもらう。当時のレートで22,925ペソに換わった。一旦全額とレシートが手渡されたものの、現地の金銭感覚がさっぱり分からずまさに「猫に小判」なので、管理はRubyラニちゃんに一任する。帰国直前にお土産代として2,000ペソぐらい返してもらった。このタイミングでの両替はここから私のイベントが始まるからなのだが、レンタカー代で大半を使ってしまうのらしい。ついでに市中でビーフンも買ってきて車内で騒ぎながら食べる。誰かの誕生日だとか言ってたけど、中国で誕生日に麺を食べる風習と似ている。
さて、これから向かうオロンガポ(Olongapo)はルソン島の西海岸にあるリゾート地だ。かつて在比アメリカ軍のスービック(Subic)海軍基地があったことから、関連産業や米兵の保養・娯楽施設で栄えた町である。1991年に基地はフィリピンに返還され米軍は撤退したが、その結果抑止力が失われ中国の海洋覇権が拡大して南シナ海島嶼制海権を奪われてしまった*5。まさに米軍基地返還を声高に訴える日本の沖縄にとって教訓や戒めとなる苦い歴史である。現在基地の跡地は、経済特別区に指定され自由貿易港などが設けられている。
激しく降りしきる雨の中、山あいの高速道路をひた走る。この山間部を越えるとサンバレス(Zambales)州となる。雨はホントに凄まじくてワイパーなんかちっとも利かない。フロントガラスを滝のように流れて、ほとんど視界がきかない。トイレ休憩などちょっと停車したときなんかに、タオルで拭いてやらないとどうしようもない。それでもハイウェイの登坂をそれなりのスピードで走るのだから運転手も大したものだ。乗っていたのは大体2,3時間ぐらいじゃないかと思う。
スービック経済特区の立派なゲートの前を通ってオロンガポの街中に入ると、ホテルや娯楽施設が目につく。メインストリートには番号をつけたジープニーの市バス?が犇めいている。大抵みな型式が古く燃費悪そう。街の人に道を尋ねながら進み、スービック湾沿いにもうひと山越えて、とあるビーチリゾートに到着。道筋の記憶とGoogle Mapの投稿画像で照合するに、バロイ(Baloy)・ビーチと推定される。

海辺の夜

大きなホテルの前に車を停めて、今夜泊まる場所を探す。砂浜が目前にせまる海の家のコテージを2つ借り切って、一つは私専用でRubyたち連れの方々がもう一方に投宿。なぜ一軒が私一人なのかというと、落ち着いて休めるようにとの配慮ともう一つ、女の子とヤるためである。しばらくして、姉さんが声かけておいた手配師がフィリピンギャルを2人連れてきた。マッサージしてほしいという私の希望から、マッサージできる娘を選んだんだけど顔とスタイルの好みはもう一方だったな。もちろん日本語はまったく通じない。あとで聞くと、このときの交渉額は観光地ということで地元アンヘレスの倍くらいしたそうだ。
ともかく、そのコを連れて皆でナイトバーを兼ねたレストランへ食事に行く。私は興奮と緊張のあまり、日本でも時々食べている好物のフィリピン式ビーフシチュー「カルデレータ」を食べることも、ステージを借りて熱唱するラニちゃんの歌声を聴くことも、ちょっと上の空だった。外は相変わらずのどしゃ降りで、優雅に浜辺の夜景を望むことはおろか、嵐のように叩きつける雨音が静寂を乱すほどであった。私もギャルに酌してもらいながらそれなりに飲んだけれど、私達がコテージにもどってから連中は大いに羽目をはずし私の小遣いをだいぶ使い込んだらしい。まぁあまり喜ばしい事情ではないにせよ、離散している親族が集えた貴重な機会なのだから楽しんでくれればいい。
お互い片言の英語であんまり通じ合えないまま、とりあえずすることはしよう。雨天で暑いとはいいがたい気温の日に水しか出ないシャワーを戸惑いながら浴びると、背中やケツをペチペチと叩いてくるのはフィリピンギャル特有のノリなのだろうか。仕事で比較的長い付き合いをしているシエラの顔を若くしたような感じで、宴席では大人しくしていたが二人きりになると結構ドS。オイルマッサージはたしかに上手くて凄く癒された。フィリピン女性特有のモチモチ肌が密着して最高に気持ちがイイ。その流れで口でしてもらって...以下略。
こうしてRubyの約束の一つは少し意外な形で一定の実現を見た。後日、私の武勇伝みたく大いに吹聴されることとなる。

つづく

*1:大統領が替わって取り締まりが厳しくなったので、みな遵守しているのだ、とも

*2:ラニちゃんが歌手で稼いだお金で最近改修したらしい

*3:私も4日目の夜、Rubyらから懇願され、家族のように接してもらったお礼に心ばかり援助した。帰国後に送金

*4:大型車なので、大人数乗れると同時に悪路でも振動を受けにくく病人にとって安定性がいい

*5:この南沙諸島紛争は大学時代にゼミの夏休み課題で研究した。詳細は「ほんねとーく」にて公開している