南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

Firsttime Philippines 4:Angeles

にわか雨の記憶がない、一日通してよく晴れた日だった。

ショッキングな朝食

フィリピンで初めてのパン食。手づくりっぽいロールパンでケーキのように甘い。表面に砂糖がまぶしてある。この砂糖が衝撃的な光景の一因だ。パンとパンの隙間から黒い粒が見え隠れしている。なんと、アリがたかっているのだ! 我が家の台所も蟻の侵入には悩まされており、フライパンの油や床に溢した汁はすぐに集られる。極めつけは、炊飯器の中を制圧されたときだ。飯粒の間を大量の蟻が出入りする光景には背筋が凍りついたものだが、パンの盛り皿でも同じことが起きている。考えてみれば庭と地続きのこの家では、ごく自然な現象なのだろう。遠慮するのも嫌なので、アリの這ってないものを選んで食べた。さすがに内部にまではいなかった。

この家の主人(従兄さん)は日焼け肌にあご髭の、如何にも南洋人らしい初老の男性だ。いつもTシャツにトランクス一丁で生活している。パンツでウロウロするな、と姉さんはツッコんでいるけど、これも自然体でいい。フィリピンは女性が強い社会なので、家事などもとくに何もしていないけれど一応家長らしい。ときどき私に簡単な英語で話しかけてくれ、私が応じると「あんたはちゃんと英語で話せるからエラい。今までRubyが連れてきた日本の友人は、日本語しか話さないから通じなかった」と褒めてくれる。

ゴーヤバナナ

庭の水場で洗濯するので、私もシャツや(臭い)下着などを洗ってもらった。しだいに客人から家族へと取り込まれていく感覚が分かる。
Rubyが「ゴーヤバナナ」だという果物を持ってきてカットする。真っ白で黒い種の混じった果肉を見た瞬間、「厦門のドラゴンフルーツだ、懐かしい」と勘違いしたけど全然違う。外皮は緑色で、トゲに覆われているが捲れ上がるような形状ではないし、種はデカい。いろんな病気に効いてとても健康に良いというので、庭先でかぶりついてみると酸味があってツルっとして美味い。
帰国時に空港のギフトショップで「ゴーヤバナナ」のパッケージを見つけ、喜んでそのドライ食品を買った。尤もその名称にはSOURSOPという英語が使われており、写真は間違いないのにどうもしっくり一致しない。日本で「ゴーヤバナナ」といえば、二つの野菜と果物をミックスした健康食品だ。いろいろ検索してみてやっと判明した。SOURSOPの現地語グヤバノ(guyabano)を「ゴーヤバナナ」と聞き違えていたのだ!! たしかにレイシ(ゴーヤ)の一種ではあるので、あながち大外れな間違いでもあるまい。というか、guyaの音は明らかにゴーヤに通ずるものがあるよね。また、抗がん作用があることでも知られているらしい。

パイリン

では、つづいての空耳。この正体は日本にいるときから分かっていた。韓国人と同じく、フィリピン人は一様に「F」の発音が苦手で「P」になってしまう。たとえば自分たちのことを「ピリピン人」という。それに倣って変換すると、Firing(ファイアリング)すなわち発砲のことである。
二つ目の約束を叶えるべく、Rubyとその甥っ子と一緒に自家用トライシクルで屋外射撃場へ行った。市街地とは逆方面のやや郊外にあるMountain Clark Shooting Rangeではないかと思われる。いかにもサバイバル風なセットとともに、ハンドタイプの拳銃から本格的な自動小銃らしいのまでミリタリーグッズが並んでいる。強烈な射撃音から耳を保護するため、ヘッドフォンをつける。また、射撃手は飛んでくる薬きょうを防護するゴーグルも付ける。しかし、あとは無防備で本物の武器と実弾を体感できるのだ。

スタッフが懇切丁寧な指導で、銃の構え方から視線と銃口の合わせ方、引き金をひくタイミングまで教えてくれる。空砲で練習するうちはまだいいが、いざ実弾を装填されると手元が震える。そして、発射の衝撃がガツンと伝わる瞬間はマジで新感覚だ。3発を2回の計6発(か、それ以上)は撃ったと思う。だんだん反動にも手が慣れてきて、銃口があまりブレなくなった。的もそれなりに狙えるようになり、1,2発は命中したようだ。ただ、最後まで足の震えはとまらなかった。(このときの動画もFacebookでタグ付けされ、友人各位に吹聴される。)
グッズショップで記念に小銃がプリントされたTシャツを買った。Rubyは社長へのお土産にも買っていた。尤もこんな物騒なシャツは家では着られない。
「パイリン」に付き合ってくれた甥っ子ジェンポール君は、私のイベントのほとんどに同行している活発な高校生だ。Yuriさんの彼氏と違って私に馴れ馴れしく絡んでくることはないが、Rubyとは気が合うらしく楽しんでいた。水泳の選手として国際大会にも出るらしく、いろいろ才能が飛びぬける一族だ。

ふるさと

フィリピンの簡易レストランは、中国の夜市みたくテーブルや料理のケースなどは外のテントに置かれ、調理場だけが屋内にある。バイキング風にご飯とスープやおかずを皿に盛ってくるセルフ式。飲み物は注文する。日本でもこういうフィリピンスタイルの飲食店をやっているところはあるけど、現地の場合はちょっとオープンな家庭の食事の延長が他人にもふるまう形になっていったような感じだ。近所の人に「ちょっと食べてけよ」みたいなのの発展版。
昼食後のトライシクルの中で、姉さんは終始物憂げな表情だった。きっと従姉妹さんの容態や高額な手術費のことでひどく悩んでいるのだろう。適当な言葉もかけられず、ただ寄り添う気持ちで座っているしかなかった。と、ふと外景を見やり「ここ、昔遊んでた場所だ。見覚えある」と懐かしげに叫んだ。トライシクルのドライバーにも嬉しそうに話しかけている。やっと普段の笑顔に戻ってホッとすると同時に、やっぱり紛れもなく故郷なんだなと。
また別の親戚の家にも寄った。なかなか綺麗な応接間だった。彼らが話している合間に「ちょっと外、見てきてもいいよ」と言われたけれども、少し離れただけで迷子になってしまいそうで気安く出歩けない。容貌で明らかに外国人とバレてしまう日本人は、こういう下町的なエリアではあまり安全ではないだろう。

昼寝

ちょっと疲れたので、みんなでゴロゴロ昼寝。軽く陽が差し込んで冷房のきいた部屋は快適。Rubyが従姉妹さんに向かって足投げ出したりしてふざけるので、ラニちゃんが「頭おかしい」って顔しかめてた。でも従姉妹さんの元気な姿の思い出が残っていて良かった。そのまま眠りこけて夕方まで。最後の夜は、近くの良いレストランに食べに行く話になっていた。

最後の晩餐

結局また従姉妹さんの具合が悪くて外食はできず、骨付き肉の煮込みなど調理済みの料理をいくつか買ってきて皆で囲んだ。フィリピン最後の夜だというのに、いろいろ新しい顔ぶれと会った。まず、病気の従姉妹さんの旦那さん。豪快にジョークを飛ばす明るい人で、片言の日本語を知っている。連れでやってきた男性の片手の指が何本かないのを、「ヤクザ、ヤクザ」と囃し立てている。Rubyが彼らと会うのも何年かぶりだという。長けた才能とともに、冗談をうるさく言い合うのもこの一族の特徴である。

ジェンポール君と母親が実家へ帰る荷支度をしている。カップ麺などRubyからの日本土産も分けてもらって詰めていく。この雰囲気、私が夏休みやお正月に祖母の家へ泊ったときの帰宅日に似ている。私も身の回りを整理していると、母親からオロンガポで着替えた下着を投げてよこされた。そっと預かっていてくれたのだ。接し方はつっけんどんなところもあるが気遣いは優しい。彼らがこの晩のうちに帰っていったかは記憶が定かでない。

この寝室で、Rubyの最年長らしい甥っ子さんと会った。日本の企業でエンジニアとして働いているらしい。彼も優秀な才能を発揮している典型例だ。あとで偶々台所へ顔を出したら、一緒に飲もうと誘われ晩酌を交わした。また、この3日間運転手などとしてずっと同行しているウィリーという人も一緒に寛いでいた。はじめ、ウィリーさんはレンタカーの雇われ運転手だと思っていた。オロンガポ行きではハイエースを運転し、「パイリン」では自家用トライシクルを出してくれたところを見ると近所の親密な知人といった感じか。Rubyから家族や友人の一人としてきちんと紹介された覚えはなく、靴紛失事件でも車返却時に車内を調べなかった彼を「アイツはアホだから」と言い捨てていることから、召し使いの身分なのかとも思ってしまう。それでも文句ひとつ言わず、ときには一緒に食事をし、家族と仲間の中間ぐらいの付き合い方をしている。20代ぐらいの色黒・面長な顔立ち*1で、スリムなストレート型携帯電話をよく弄っている。女遊び好きで、ガールフレンドとメールを交わしまくっているのだという。また、身近な人々の中で唯一の喫煙者でもある。そのウィリーさんとエンジニアの甥っ子さんが、これから近くのクラブへ飲みに行かないか、と誘ってきた。オロンガポでギャルとはヤッたものの、3日間のほとんどをオバサンたちと過ごし、初めてのフィリピンで自由に遊べていない感じがする私を不憫に思っての好意だろう。男として非常に嬉しかったが、明朝早いらしいので拙い英語で丁重に断っておく。正直惜しかった。

つづく

*1:こういうのを馬面というのか?