南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封朋友との再会結果 2017

前回(2014年6月)

失望の大きかった前回に比べ、今回は再会できる人が限定された分だけ強い感激と感慨を味わえた。今回は敢えて恩師にもアポイントを取らず、純粋な電撃帰省を試みた。毎回何年かぶりの帰郷なのに期待しすぎるから、失望感や喪失感が増すのだ。何度も通いたくなるという衝動と実行自体が、「愛开封」であって結果をありのまま受け止めればいい。手土産の数量に関しては直前まで悩まされたが、恒例のダイナゴン2個に留めた。結果として会えた人を顧みると、タバコを用意しなかったのは悔やまれる。

会えた人々

まず、約5年半ぶりに奇跡的な再会を果たしたのは、东京大夜市伟伟の老板だ。前々回(2012年3月)までは酒食を楽しめたが、その後大市场(明伦街北側)の撤去・緑地化により店舗スペースが奪われた。そして前回では城管による取り締まりの影響もあり、夜市は開かれず。K先輩によると曜日を決めて営業しているとのこと。一縷の望みをかけ、滞在日を日曜夜に充てた。
5日午後、苹果园で公交18路を降り明伦街へ歩き出した私は、取り壊し工事中の市场南側広場を見て愕然とする。これで东京大夜市が開かれるスペースは完全に失われた。このときは、もうホントに終わった、と思ったものだ。それでも、あの元気で明るい老板が廃業するはずがない、きっとどこかで店を続けているはずだ。そう信じ、夕食後に河南大学周辺の夜市を隈なく見て回った。先輩が以前伟伟の移転する可能性のある場所として挙げていた、SOS儿童村方面の交差点にも赴いた。この苹果园中路は、卵がフワフワの鸡蛋灌饼の店など昼間は多少馴染みがあるが、夕刻に歩くのは初めてだ。そうして目的を果たせず戻ってきて、残る望みは大学東門前の夜市だけだ、と东环路を北へ歩き出したときだった。通りの東側を歩いていた私は、反対側の护城河沿いに屋台が並んでいるのに気付いた。もしや、と思い、敢えてその屋台群の北端まで進んでから横断し、引き返すように一軒一軒目を凝らしていった。すると、予感は大的中、南端の店が伟伟だったのだ!! 隣には見慣れた烤羊肉の店もあった。东环路と护城河に挟まれた歩道上のスペースに、东京大夜市の懲りない面々は踏ん張っていたのである。尤も今は取り締まりを掻い潜るのでなく、許可を得ているらしく統一の電飾をつけていた。
ちょうど伟伟の前にあるバス停の陰で高ぶる気持ちを抑えきれなかった。客足の合間をみて老板に「还记得我吗?」と声をかけた。老板は「记得、记得」と嬉しそうに歓迎し、近況などを聞いてくれた。晩飯後だったが、こんな感動的再会を果たしたら飲まずにいられない。赤テントの片隅に席をとりビールを頼む。

肴は軽めを欲しかったが、ベタに回鍋肉。11月だというのに、こうして屋外でビールを飲めるほど暑いとは予想してなかった。夜市では、前回许昌のように何人か集まって楽しく飲みたいのが本音だが、今日ばかりは一人で飲んでも余りあるほどだ。超感激に酔うひととき。羊羊も頼めばよかったな。まだ今宵の宿が定まらずバッグも携えたままなので、二本目は控える。
老板は相変わらずの明るさで、来客にタバコを撒いたりして盛り上げていた。頃合いを見て勘定とともにお土産を手渡した*1。あの底抜けな笑顔が忘れられない。

もう一組は、开封での朝食の定番信阳鸡蛋灌饼の老板夫婦だ。6日朝、火车站から10路のバスで真っすぐ会いにいった。寝不足と秋の朝らしい肌寒さで震える私を、笑いながら迎えてくれた。場所は河南大学南門対面の博雅酒楼(かつては状元と呼んだ)傍らの定位置、価格は4元。思ったほど高騰してなかった。キャッシュレスが急速に普及し、店頭に貼られたQRコードで支払っていく客が目立ち、屋台までもかと驚かされる*2

野菜高騰のせいか饼が大きく見えた前回に比べ、元の割合に戻っている。心なしかサイズ全体が大きくなったようにも。
小イスに座らされ、老板が焼く合間に話しかけるのに答えながら頬張る。通勤客や常連が立ち寄るたびに、日本人朋友の私に興味津々。老板も「彼は开封に来るたびにここへ寄って鸡蛋灌饼を食べるんだ」と嬉しそうに話す。ついでに隣の豆浆も飲もうと思ったら小銭がない。やむなく100元札を差し出していると、老板が奢ってくれた。中国では煮え立った豆乳をプラスチックのコップに注ぎ、そのまま渡してくれるので素手でじかには持っていられない。お手玉していると、今度は鸡蛋灌饼の油取り紙をくれた。温かい朝食を味わってから手土産を渡す。老板「昼用にもう一枚焼こうか」というけれど、「また明日来るから」と断った。ちなみに前回、明朝食べにくることを約束しながら、当日の予定変更で许昌へ行くことになり果たせなかったことを一言詫びておいた。
翌7日朝、马市街の宿から18路のバスに乗り、わざわざ鸡蛋灌饼を食べに行った*3。开封市のどこに泊まっていても、朝は必ずここへ足を運びたい。約束果たした2度目、2個目を噛みしめるのは気持ちいい。この日は豆乳屋のおばちゃんがタダで一杯くれた。老板が「今度はまた3年後か?」と聞くので私が言葉を濁していると、老板娘が「1年?」と冗談ぽく言ったのでそれを目標にしたい。再见

会えなかった人々

期待していって会えなかったのは、吉祥旅社の阿姨だ。安定の宿泊先として当てにしていただけに、开封滞在の2晩は少々苦労させられた。これまで3回の利用時は、文具店の阿姨が紹介してくれるか、学友旅社の路地を入ってゆくと客引きのため門前に出ていて遭遇することができたものだ。K先輩や文具店の知り合いというだけで毎回懇意にしてくれ、宿泊料は割安になり夕飯をご馳走になったこともある。まぁこの誤算のおかげで、开封で必死に宿探しをすることとなり結果として新しい「家」を見つけた。会えなかったことは残念だけれど、喪失感はない。
門脇で烟酒店を営む、文具店の阿姨の弟さん*4を店頭で見かけた。顔は合わさなかったけれど、うわ老けたなぁ、と。もうこちらのこと覚えてないだろうか。

淡い期待を抱いて研究生楼の前まで行ってみたが、当然ながら恩師には遭遇できなかった。インド系らしき留学生をキャンパス内で見かけた。外国人の姿があるところを見ると、学び舎は郑州の新校区(龙子湖校区)へ移ってはいないようだ。

河南大学周辺の変化

最も衝撃的だったのは、伟伟老板のところでも書いたように东京大市场南側の撤去だ。前回およびそれ以前の調査で、河南大学東辺の护城河沿いにあった大市场や三毛超市が整理され、緑地帯となったことは確認している。しかし南側は未だ手つかずで、従来の商店が営まれており夜市を開くことも可能に思われた。


下の画像の左前方に伸びる雑多な市場は、かつて貨物線の線路が敷かれていたところで、初来中時はレールの残骸が残っていた。その入口脇には、夜市でたまに利用する有料便所があったものだ。
5日午後、苹果园でバスを降り明伦街に向かって歩き出した矢先、目に飛び込んできたのは高い鉄板で囲われた市场であった。ちょうど城壁の外面から苹果园交差点南西角までの範囲がガッポリと覆われている。この工事の影響で交差点付近の歩道がなく、南側を歩くのは難儀する。

ほかにはといえば、河南大学南門対面にあった火车票代售处が閉鎖され、モバイルショップに変わっていたことだ。火车票もオンライン予約が当たり前となり、駅以外に窓口を置く必要がなくなってきたのらしい。乗車距離によっては手数料5元を徴収され、彩票(ロト)の領収書を渡されたのが懐かしい。
留学生楼の玄関口に、正式に「留学生公寓」のプレートが掲げられた。

明伦街の学友旅社前に自転車修理屋はいたが、白吉馍屋は消えていた。代わりにやや西寄りの中国銀行向かい付近に、回族系の白吉馍店が開業していた。
都市開発や城管の取り締まりにより夜市は廃れたかに思われたが、明伦街交差点*5や大学西門でも健在だった。
5日夜に校外食堂の一つだった天府快餐(四川食堂)*6で鱼香肉丝饭を食べた。たしか15元だったと思うが、勘定で5元を返された。メニューに「送五块」などと書いてあった気がする。慣例の割引なのか、近頃中国全土で急速に普及しているQRコード決済の割引システムが現金払いにも適用されるのか、定かではない。

开封人とのふれあい

明伦街の外で出会った开封人との交流も記しておきたい。
吉祥旅社を逸した5日の晩は、火车站にて宿を求めた。ところが、开封が急激に観光都市として変貌を遂げた結果、外国人の簡易宿泊所利用規制が非常に厳しくなったらしい。駅舎対面の一軒目は断られ、その女主人が他の客引きに触れ回るので私はどの宿にも近づけない。そんな中とりあえず親切に招き入れてくれた德鸿宾馆。既に眠気を帯び中国語の会話力も低下した私を落ち着かせ、申し訳ないが外国人を泊められないことを丁寧に説いてくださった。近くの高級そうなホテルを当たってみるも、东京假日宾馆は「办不了」、7天连锁酒店は「満室」と素っ気ない。結局さきの德鸿宾馆で裏路地にある「宏海旅社」というのを手引きしてもらった。この反省と危機感から翌晩のために市内のYHを予約しておく。が、6日夕にその茶酒詩青年旅舎*7へ行ってみると、鉄の扉はずっと閉まったまま。何度か門を叩いた挙句、やむなく隣の宿に声をかける。
そんな曲折を経て出会えたのが、新しい开封の家漫时光客栈の阿姨だ。隣はもう何ヶ月も留守だからキャンセルしてこっちに泊まったら、ということで変更。室内にシャワー付きのツインで99元*8。部屋と門扉のカギを渡され出入り自由に。翌朝カギを室内に置いたままロックがかかってしまい、また施錠のコツがつかめずお手数をおかけした。不器用な日本人にも嫌な顔一つせず対応してくださった。場所は大梁路の路地を入った马市街小学の南側。在学中を含め今まで気にも留めなかった地区だが、意外と旅社が集まっている。もしかすると开封大学の下宿アパート群かもしれない。現にこの客栈にも女子学生が住んでいるようだ。

Booking.comで取り扱っていないのは難点だが、ぜひ今後の常宿としたい。

6日の文庙見物後は市内景点巡り。菊祭で賑わう龙亭公园の入場門前で、僧衣を纏った男に木彫りの仏像がついたお守り(护身符)を授けられる。目を合わせられ「善人の目だ」とか褒められる。お布施を乞うので、たまたま残っていた1元札を与える。すると暫くして別の坊主が寄ってきて、今度は数珠を手にはめ金をせびってきた。もはや小銭がないといえば、「お釣りを渡すから」と食い下がる。仕方なく100元差し出すと40元だけ返してきて尚も数珠を託そうとする。たかりだと直感し、押し返してその場を離れた。坊主の「ケチな奴め」という罵声が聞こえる。明らかなバックパッカーなので狙われるんだろうな。

书店街北口でお目当ての白吉馍屋が居らず、重い足取りで歩行街を彷徨う。そんな折に暫しの休息に誘ってくれたのが、第一人民医院(开封市中心医院)脇の饭馆。空腹でもないがおやつ感覚でいただく、塩味の豆腐脑と鸡蛋煎饼。疲弊した体が安らぐ。元来この河道街は病院食のない中国の医院で、入院患者のために家族が食事を買い求めるための飲食店街である。ごく普通の朝食メニューに人民の温かい心が宿る。
ちなみに食い逃した白吉馍は、夕飯に大梁门外・护城河沿いの屋台で買った。

目の前でミンチにされる具材の肉。旅社で一休みしてから改めて飯か麺を食べるつもりだったが、これ1個で満たされ爆睡。

おわりに

ここまで3回の報告書すべてアイキャッチ画像が鸡蛋灌饼であることからも分かるように、この店は盤石である。あとの馴染みだった人々とは断続的になったりもするが、間が空いただけ再会の喜びは大きい。そして、また新たな出会いと繋がりも生まれる。会いたいという想いが少しでもあれば、巡り合わせは途絶えることはないんだな。それが帰郷の意義でもある。次回を乞うご期待。

*1:タバコを持ってこなかったことを一番悔やんだ瞬間

*2:昨夜の「伟伟」も同じ

*3:今回の帰郷旅行全体で鸡蛋灌饼の朝食は計4回w

*4:タクシー運転手でもあった

*5:2007年冬に2種類の白酒を飲んで急性アル中になった锅贴店のある夜市

*6:既に留学時代と店主は変わっている

*7:Booking.comに登録された地図は間違っている

*8:デポジットとして任意の額(私は10元)を預ける