南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

北勢チャリン行 3

 朝風呂を済ませ身支度しても優れぬ空模様だが、ネットの天気予報では昼過ぎから雨となっているので小雨程度ならと強気で出発。フロントで鍵を返すと一昨日からの外出時とまったく同じトーンで「いってらっしゃいませ」と声を掛けられ、ホントにチェックアウトできたのか不安になる。もちろん予約管理はできているのだろうし、これが同ホテル流の気配りなのかもしれない。じっさい宿泊中なんら不愉快も不安もなく快適に過ごせたし、毎夜のプレミアムビールは美味かった。駐輪場では後方をオートバイに被せられ脱出に一苦労、簡易エアポンプで空気を充填し準備完了。 f:id:Nanjai:20190518113236j:image

記念写真と同時に、鈴鹿玉垣まで走ってきた証しでもある。顔面は滴るほどの小雨だが、まだウィンドウブレーカーでしのげる。

AGFの敷地に沿って下ってゆくと、国道23号へ出たところになか卯がある。ここは未遂に終わった昨日の津市ツーリングから朝飯どころとして目をつけており、普段とおなじ納豆朝定食で我が身もエネルギーをしっかり充填する。店を出ると小雨も上がっており、好運到来。

浜街道

東海道筋もふくめ四日市から鈴鹿までの往路があまり走りやすくなかったのと、国道23号は避けたい一心で別ルートを模索。せっかく伊勢湾沿いの平地を伝ってきたので、少しでも海岸を走ってみたくて、塩浜街道というのを選んでみた。これは三重県道6号線の別名であって、古い街道筋ではない(と思う。昭和の面影は点在)。なか卯よりさらに海方向へ抜けると、近鉄千代崎駅のさきで街道に合流する。結局この道も路肩は走りにくく交通量も多いので、好条件ではない。金沢川を渡ったら即行で堤防道路に出てやる*1。以後、箕田公園まで右手に海原、左下に漁村の浜辺道をゆく。潮風にあたって心地いいし、ほとんど海見ながらでも事故の心配がない。 

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天候がら海面の色は芳しくないけれども、防潮堤やら港湾設備やら遮るもののない海原を見られてよかった。

名称にもなっている四日市の塩浜は、いわゆるコンビナート地帯である。じっさい滑らかな海岸線の先に大きな煙突が何本もそびえ、近づくにつれて上空に吐き出される白い煙が東方一面のささやかな青空を覆いつくしている有様は、日本四大公害の一つ四日市ぜんそくが蔓延した時代を彷彿とさせる。塩浜街道というと清々しい響きがあるが、区間の半分以上は埋め立て地もふくめて海岸線を離れ、潮の香りを嗅ぐことは難しい。

四日市

初日は桑名、中日は津、最終日は四日市デー。午後は雨予報にもかかわらず、悠長に寄り道しながら北進。

長太の大楠

難読地名の一つ、長太(なご)。たぶんこの大木に由来すると思う。長大(ながおお)→(ながお)→長太(なご)。箕田の集落から小学校裏の田園に抜けるとすぐ、いやでも目につく。近鉄電車からも見られるというが、今まで注視したことはない。とにかくデカい。幹とか根元とか一部が極端に大きいなら分かるが、同縮尺で拡大したみたいに全体がデカい。事実、150mほど南から望むと近くの木と全く同じサイズに見え、遠近感を失う。

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枝葉の先までフレームに収めるのは結構苦労した。東日本大震災のような大津波が襲っても「奇跡の一本松」のように生き残るのだろうか。

海山道神社

こちらも些か難読の海山道(みやまど)。近鉄に乗り慣れて漸く「かいさんどう」と読まなくなった。駅の真ん前から赤い鳥居がつづく(神社の正門ではない)。

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狐の嫁入り神事」で知られ、随所に狐の石像がある。

四日市市立博物館

せっかく桑名・四日市に来たのだから、伝統工芸の萬古焼について関心を深めたくて勉強できそうなミュージアムを探した。往路の旧東海道で通りがかった BANKOアーカイブデザインミュージアムはギャラリーっぽいのでやめ、ばんこの里会館と市立博物館(そらんぽ四日市)の二択で後者に決めた。


www.city.yokkaichi.mie.jp

常設展は入館無料。期待した萬古焼はごく僅かで、四日市の歴史と公害に関する展示で占める。こちらも体験型の展示手法で、道に育まれた四日市の成り立ちを再現された市(いち)や宿場の中へ身を置きながら学ぶことができる。江戸末期の安政地震により壊滅した港を整備したことにより、近代四日市は港で栄えていく。第二海軍燃料廠跡地に日本初の石油化学コンビナートが稼働し、公害問題が発生。こうした近現代史をパネル展示と引き出しの解説で詳しく学習できる。当時の生活風景がそっくり再現された住宅のテレビ(報道番組?)では、大気汚染が認識されつつも為すすべがない状況を伝えている。マスクして通学する児童の写真は有名だが、呼吸器の開発や発作止めの注射投与なども行われていた。その後、革新団体や患者、漁民などが惨状を訴えて、官業に公害を認めさせ環境配慮に政策転換させた。汚染に苦しんだのも市民なら、もとの住みよい環境を勝ち取ったのも市民である。市民が行政を改めさせたのなら、これぞ正に民主主義である。

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雨中の行軍

博物館を出ると雨が降り始めている。隣のじばさん三重で土産物を物色し、濡れ具合を確かめるように近鉄四日市駅周りを走行。駅前に暫し駐輪し、近鉄百貨店内の銘菓・銘品コーナーで亀山茶の菓子などを買って土産とする。1Fの中央通路で「へんばもち」の手売りが行われており、あぁ聞いたことあるな、これでも良かったな。また、東海道沿いなどで老舗をみかけた「ながもち」も探したけど、手ごろな値段じゃなかった。

アーケード内で東海道に合流し、国道1号線に面した「かつや」できちんと昼食を摂っていよいよ真剣に帰途へつく。ウィンドブレーカーのフードだけで降雨をしのぎながら、路面のスリップには細心の注意を払って進む。しかし富田付近でとうとう本降りの雨に耐え切れず、屋根付きの月極駐車場に潜り込んで弱まるのを待つ。けっきょく四日市~桑名間は濡れ鼠を堪え、安全走行に徹した。寺社の一つもお参りしていく余裕などなかった。動きにくさ、暑苦しさ、視界の悪さなどから躊躇していたレインコートに、桑名駅近くのコンビニで遂に着替える決断をした。けれど、時すでに遅しというべきか、ジャンパーから浸み込んだ雨水で身体は濡れ、逆に雨は着替えて以降ほとんど降らず。東海大橋手前で再び着替えるまで、雨除けよりはむさ苦しいものを纏っている時間のほうが長かった。

養老山麓

桑名以北は、養老山地の山裾を養老鉄道と絡み合うようにして田舎道を行く。いくつかの駅ごとに立ち止まり、次の道を確かめながら進む。概ね線路沿いなので不安や苛立ちは少ない。初日のチャリ酷道258号回避もあるが、立田・油島大橋より先ちょっと北回り気味に帰るためでもある。小さな駅の周りに密集する古民家集落や、山門や鳥居の前を踏切で横切る電車線など、面白い風景を望むことができる。下野代駅近くの野志里神社にも大木があったな。登山経験のある多度山や多度大社のある多度の町は、通った沿線の中では一番栄えてるところに見える。多度から石津までは、258号線と並行し暫く直線がつづく。

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雨上がり、霧もやのかかる養老山系。と、

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タイミングよく電車が来た!! 今回は鉄旅ではないけれど、ベストショット也。

いつしか県境を越えて岐阜県海津市に入っている。マイサイクルで現住する愛知県以外の県同士を跨ぐのは初めて。

帰還

海津橋を渡り、海津町の一面田んぼの中を東に突っ切り北へ奔ると県境東海大橋。ホントに遮るもののない水田地帯なので、向かい風には難儀した。ローソンで最後の小休止をとり、カッパを脱ぎカロリー補給。東海大橋を、左側通行順守で歩道のない北側を懸命に走行すれば、追い抜く車はみな大げさに避けてくれる。無事、愛知県入り。

さぁここからは甚目寺町(現あま市まで一直線。この県道128号線は、小中学生のころ母たちと愛知県の各地へ遠征する「チャリ散」でしばしば通ったことのある、馴染みの一本道だ。東端の突き当たりが森交差点と覚えやすく、帰路でよく用いた。今回往路の愛知県内は慣れない区間が多かったので、帰りは気兼ねなく真っすぐ走れるようセッティングのため東海大橋まで北上してきたのだ。雨あがり、大きな安堵と上々気分で爆走し、丸一時間で森に到達。感覚的にはあっという間で、もっと早いとも思った。

疲労が滲む中とにかく分かりやすいルートをとり、名鉄奥田駅を経て空港線(県道62号線)に入る。しかし、今日一日走った中で最も酷だったのはこの空港線だ。一番神経を使いたくないラストスパートにおいて、歩道のスロープ部分の舗装が悪い空港線は、衝撃を和らげるために逐一減速しなければならない。そうした疲れのせいか、ガードレール上の反射板に小指を接触させるなど、珍しいクラッシュも発生。どうにか友人宅へたどり着き、晩飯をごちそうになる。走り終えてようやく達成感がひしひしと湧いてくる。最終ゴールでのビールはまた旨い。行きの疲れ具合もそうだけど、今日もそんなにヘトヘトではないのでもう10㎞くらい延長してもいいな。

悪天候に左右されながらも、名古屋ー鈴鹿間を三日で往復することは完遂した。中日で鈴鹿ー津間を巡ることは叶わなかったが、ぎゃくに雨天のおかげで津市内の観光を楽しめて充実した。初めての自転車移動を主とする宿泊旅は成功し、今後旅のバリエーションを広げることになろう。

 

 

復路実質走行距離:86.42㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)

往復実質走行距離:163.12㎞(同上)

*1:付近は大黒屋光太夫出身地で、記念館や供養碑などがある