南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

人間に社会性がある以上、

人間は一人で死んではいけないのです。

社会に何らかの迷惑をかけて死ななければならない責務があるのです。たとえひきこもりでもそのことを十分に認識、いや十分すぎるほど意識しているからこそ社会参加へのプレッシャーが過酷なのであって、いつか社会に属して生きなければならない、そうありたい、でも踏み出せない、せめて死ぬときだけは(その立場が善悪いずれであれ)認められたい、断末魔の叫びなのです。誰しもが社会性を植えつけられて育ってくるけれど、誰しもが社会帰属をすんなり達成するわけではない。だから常に心のどこかでは意識しているんだけど、不器用な人もたくさんいる。世の中は共同共生だから、そういう人のために犠牲になる人もいる。いて当たり前。法的・倫理的に殺人は良いことではないが、追い詰めた社会性の放出としての攻撃という表現行動を彼らはもっと起こしていい。一人で死んではいけない。少しでも社会の中で死のう、不器用な同胞たちよ。