南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

洛阳再訪

2009年2月の汝州温泉編以来、じつに10年半ぶりとなる洛阳。河南における再訪ブランクとしては現在最長記録。河南で2番目となる地下鉄建設(1・2号線2016年同時着工)も始まり、九朝古都から郑州とともに河南の発展をけん引する一大都市へ変貌していることだろう。あまり心的余裕のない再訪となったが、往時の記憶を頼りに変容をチェックしていきたい。
济源編2:原城遗址,奉仙观,湨河よりつづく)

火车站界隈

目下進行中の洛阳地铁2号线(2021年開業予定)建設工事により、火车站と中心汽车站の間をはしる道南路一帯が凄まじいことになっている。工事用のフェンス、セメントや泥でぬかるんだ路面に無造作に敷かれた鉄板、車やバスが目いっぱいに走り歩道は片隅、おまけに昼下がりで灼熱の太陽が照りつけ、もはや目眩がしそうだった。てっきり火车站まで改築しているのかと思ったが、封鎖された駅前広場の陰から覗く駅ビルはまだ健在。あの独特な書体の「洛陽」の文字はぜひ撮りたかったなぁ。駅対面の超市や宾馆が密集する一角は、工事の圧力に押されつつも盛況さを保っている。かつて駅前広場内に一部の公交発着場があったせいか、この道南路南側に仮の発着点が設けられている。かなり圧迫された歩道にバス待ちと往来する人々で溢れかえり、さらに目眩がする。
ちなみに地下鉄線は、駅正面の金谷园路を通らず西に少し外れた解放路をはしる。したがって金谷园路は東側へ拡幅こそされたが、街路樹茂る街路は幸いそのままだ。洛阳龙门站へ行く公交の乗り場を探しながら、通りの西側を懐かしんでみると果たして11年前ガラの悪そうな客引きおっさんと宿代交渉して思いきり値切らせた思い出の宾馆*1はあった。もしかするとオーナーは変わっているかもしれないが、外から見たロビーの雰囲気はそっくりそのままだった。
龙门站へのバス路線にいくつか目星をつけ金谷园路上の停留所で見定めていると、洛阳公交も多種多様な車両が運行しているのに驚かされる。レトロな路面電車風(2014年新乡でも見た)もあれば、まるで宇宙船を思わせる前面展望で奇抜な流線型のもある。10年前お世話になった电车(トロリーバス)は、さすがに郑州同様廃止となった模様だ。路線番号に名残は残ってるだろうか。また、停留所の少ない快速路線は運賃が1.5元に設定されている(一般路線は一律1元)。その一つ、1路で龙门站へ。

車窓で見る洛阳市街地の変化

洛阳の中心(今も?)王城广场は変わらぬ雰囲気。右折して並木道に入ったので王城公园へ向かっているものと考えるも、あとで1路の経路を調べると王城公园沿道の中州中路ではなく、一本南の凱旋西路だったことが判明。道理で地铁1号线の建設工事に遭遇しなかったわけだが、洛阳はホントに街路樹の植生状態が良いよな。木陰を歩ける通りがほとんど思い当たらない开封からすれば羨ましい限り。ちなみに、かつて王城公园に隣接していた洛阳博物馆は、洛河の南岸へ移転している。汝州温泉帰りの夕刻は洛河橋上で渋滞に巻き込まれ火车站到着が遅くなったが、まだ真昼のせいか牡丹大桥は目立った混雑はなし。
11年前、关林や龙门石窟へ向かう際に公交で往来した洛龙区の新市街エリアは、まだ道路がやっと碁盤目状に舗装された程度で街とは到底呼べるものではなかった。広い車道に車はまばらで、市バスだけが快適な速度で縦横無尽に右左折して走っていたのを記憶している。いまや高層住宅を中心に現代的な市街が完成され、あの開発途上な面影は一切ない。洛阳博物馆(新館)に近接する隋唐城遗址も以前は地図上に無造作に記された公園?だったが、巨大庭園のような植物園として整備されている。
バス終点の洛阳龙门站。概ね高速鉄道線が現時点での市街地南端となっているようだ。計画当初は焦柳铁路の关林站を建て替えるかに思われたが、位置的にもずっと南西に離れており全くの別駅。焦柳铁路からも外れた位置にある。中国の高速鉄道駅は、日本の新幹線駅のように「新」を付けることはまずないが、大抵は都市名に東西南北を付けるのが一般的。そんななかで、所在地名かつ観光名所でもある龙门を駅名に採用したのは異色ともいえる。かなり拙速な開業だったのか、設備や移動経路、駅前広場に市バス降車場等ほとんどの施設において仮設あるいは未完成なまま運用している様子がうかがえる。詳しくは、後述の取票や明日の高铁乗車時にも記していく。

兴洛湖公园

さて、ここまでiPhoneを使えないまま何とか冷静に移動してきたが、夜を迎えるまでに重大な問題をいくつも解決しなければならない。まず、今夜泊まる青年旅舎の正確な住所を知らない。昨夕電源が落ちる直前のiPhoneで確認を試みた情報では、香山路とナントカ路の交点に位置する建业龙城という高層団地の一室であるらしい。ひとまず龙门站から徒歩5分程度の一角を見当つけて*2歩き、辺りにいくつかある建业龙城ブロックの中で长兴街と香山路の交わる一つに可能性を絞る。次に、明日乗るGの列車番号と予約番号を何とかしてiPhoneから呼び出さねば、取票ができない。いかなる手段を用いてもiPhoneに僅かな電源を供給せねばならない。じつは济源の湨河河岸を歩いたとき、公衆便所にコンセントがあるのを着目していた。無人のトイレなら短時間は盗電できる! やるしかない。
龙门站正面から北へ約2㎞にわたって、名古屋の久屋大通公園のような南北に長い公園がある。東西に横切る道路で何か所か寸断されてはいるが、池は小川のように細長くつながっていることから兴洛湖公园と称されている。まずは園内のトイレを狙った。しかし清掃員や土木作業員が周辺に屯していてコソコソしづらい。やむなく作戦変更、公園に対面する兴洛东街沿いの無人トイレを標的に。洗面台脇のコンセントに携帯充電器を差してゆっくりめに用を足し、汗まみれの顔やタオルを洗いながら間を延ばして1秒でも長く充電。少し溜まったら公園のベンチでiPhoneに供給。二三回繰り返して10%ほどに。青年旅舎の住所は見込みどおり长兴街と香山路で正解だった。一息ついて火车票情報を取得し、取票へ。
中国の火车站特有の屋台もなく、自販機と公共厕所だけの鉄筋コンクリート造の味気ない駅ビル。通路やエスカレーターは規模のわりに広くない。售票厅は冷房がしっかり効いていて、取票自体は戸惑うことなくなったのに暫し佇みたくなる。窓口の半分は自動取票機で、あまり長蛇にならない。取票二回目で手慣れたスムーズ感を味わう。〔列車情報:G1900次、洛阳龙门09:12発‐开封北10:13着、二等座89.50元(予約手数料33.50元)〕
最後のミッションのため再度盗電を敢行し、電量を温存しながら公園で一休み。終日落ち着かない心境のため飲料以外口にできず。

建业龙城(洛阳有家YH)

本日最後の難題、それは守衛とセキュリティシステムで堅く閉ざされた建业龙城へどう進入するか、だ。さもなくばYHへチェックインできない。乏しい電力を気にしつつ、宿泊予約メールに記載された電話番号へかけてみる。本旅で初めて中国語をまともにしゃべった。電話で応対した女性はすぐ迎えに出てきてくれるという。じつは建业龙城の主な出入口は北と東の二つあり、北口で数分待つもなかなか出会えず、もしかしたら東だったかなとやきもきしていると住宅の中ではなく面する长兴街の通りから不意に声かけられた。予感どおり迎えに出たのは東口(香山路側)*3で、見当たらない私に再度連絡しようにも中国人は日本のiPhoneに折り返せず、やむなくBooking.comのメッセージサービスから打診していたことを知らされる。こういうとき予め微信(WeChat)とかで繋がってると便利だよな。
彼女についてセキュリティチェックをとおり、無事花园へ入城。まるで日本人女性のように小綺麗で落ち着きあるホステラーさんに城内を案内され、たしかに東口目前の一棟へ入りエレベーターで最上階(30階)へ。その一室が洛阳有家青年旅舍(Luoyang As Home Youth Hostel)だ。前回2017年の武汉欢乐颂YHと同じ民泊タイプで、YH形態として全国的に増えているのらしい。ドミトリーの一部屋に通され、チェックイン手続きも宿代請求もないままとりあえず一休み。二段ベッドが2つ並ぶが、ほかに宿泊者がなければ、このまま一人一室で泊っていいという。やっと安定供給のコンセントを確保し、存分に充電させながら飯タイムまで休息している傍をホステラーさんが掃除していく。話し声やすれ違う様子から、ほかに4~5人の男女が泊っているものと思われた。日本人と分かるや、「こんにちは、はじめまして」と意外に滑らかな日本語が飛び出すのには驚き、また友好的だなぁと。
夕飯へ外出の折に宿泊手続きをされ、セキュリティ通用カードを貸される。タッチの仕方がわからず初回は守衛さんに教わる。出るときは刷卡なしでも前の人についていけば通れるw ガイドブックか何かを契機に洛阳名吃だと思い込んできた刀削面。こんど洛阳行ったら刀削面を食べると決め込んできたので、ちゃんとキメた。真っ赤な红烧スープに本場の刀削面。ミッションこなしたものの色々苦難の道のりだった旅の前半戦に終止符をうち、明日から過ごし慣れた开封で思いきり羽根のばすぞ、とターニングポイントの一碗を味わう。济源編の余韻に浸り、旅の展開を切替る一夜。

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建业龙城
飲み物買ってYHに戻ると入れ替わるようにホステラーさんが帰宅。つまり夜間は宿の管理人不在ということになる。シャワールームが入れ代わり立ち代わり使われて空かないので、寝るのを優先する。安静な寝床を確保でき存分に眠れるだけで満足。*4

开封北站へつづく)

map:洛阳建业龙城(花园)

*1:当時は东周宾馆といった

*2:1路バス車窓からも目星はつけていた

*3:北口よりも、洛阳龙门高铁站から近くて自然

*4:寝入りばなに下痢発生。11年前の悪夢再来か