南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

≪宅間守判決≫から、3ヶ月以上を経て

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近日、小学校に侵入し、昼食中の児童に切りつける事件が発生したが、この事件は大阪池田の殺傷事件を思い起こさせるものだった。小学校側は、安全対策が不十分で、池田事件の教訓が生かされず、京都府教育委員会も厳しいコメントを出していた。同委員会は、児童の心のケアのため臨床心理士5人を宇治市教委に派遣する意向を示している。以前、宅間守被告に判決が出た今年9月初めのころ、小泉総理はラジオ放送でこう語っていた。「いたいけなお子さん達に、よくもあのようなことができるものだ」、と。同じ頃、日本国民の大部分が、頭のおかしい奴が児童を殺害した、死刑は妥当だ、と考えていた。だが、あれから3ヶ月を経て、かの事件が甦った。国民の大部分は、またこう語る。この馬鹿がいなければ、と。筆者は3ヶ月前こう発していた。あの馬鹿がいなければ、と語る人間こそ裁かれるべきなのだ。同じ日本国民として生きるのならば、彼らの奇行を受け止め、多少の犠牲を払ってでも国家の一分子になるように再教育しようとか、初めからそのような人間の温床を作らないように教育制度を検討するとか、考えられないものか。少なくとも、奇行を片っ端から悪と見なし、国民から切り離し、切り捨てるのは断固止めるべきである。ましてや、あんな奴は死ね、などという輩は、米帝イラク侵攻に見られる叩き潰し精神ではないか。同じ国土の上で眠るものとして、認めるべきところは認め、正すべきところは正すのが常道だろう。結:日本人は、反省が下手くそである。【2003/12/20/AM】