南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

亀戸事件

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 何を今頃書きなさるか?とおっしゃる読者続出が予想されます。だいたい日本人でも亀戸事件なんて言われて、ああこういう事件ね、なんて言えますか。イメージでも浮かべば、満足ですよ。筆者もその程度ですぐネタになると思ったぐらいです。これでも‘時事’です。まずはアサヒ・コムから、記事を挿入します。≪東京都江東区亀戸8丁目の旧中川で昨年6月、路上生活者の男性が水死する事件があり、警視庁は26日、同区に住む無職少年2人(ともに16)=窃盗と恐喝罪 で少年院送致と保護観察処分=が男性を無理やり泳がせ水死させたとして、殺人の疑いで再逮捕した。少年の1人は「(ホームレスは)人間のクズだから死んでもいいと思った」と供述しているという。≫近頃は物騒になった、ぐらいで片付けませんか。確かにいまや、暴走族に暴力団、国賊征伐隊に新興宗教団体、さらには近所の46歳とか学校では優等生だったとか、侮れない連中が増えています。でも、彼らは皆、筆者と同じです。世の中に何か言いたいのです。その表現技法が筆者よりも常識離れしているに過ぎない。所詮彼らはピカソの後裔ですよ。彼らは芸術を示し、こちらは其れを解釈する。多様なキーワードを用いて。これが筆者が凶悪犯罪者を尊敬する所以です。
 珍しく段落が分かれたが、本題に入る。まず、亀戸事件とは、関東大震災後の混乱の際、南葛労働会の幹部河合義虎ら9名、アナーキスト系の元純労働組合長平沢計七および自警団員4名が亀戸署で軍隊に刺殺された事件。関東大震災というと、デマによる朝鮮人虐殺がよく言われますが、それの余波です。日本人が当時、朝鮮人を差別視していたのは、他でもなく自分が弱者だったからであり、自分たちこそが欧米から蔑まれていたからである。軍部にしてみれば、社会主義者、共産主義者もまた政敵であると同時に、鬱憤晴らしの対象だったわけです。いま、同じ亀戸で同じ構造の事件が起こったのです。多少技法が異なるだけで認められない自分たちの行為。同類項のような人々に対し、俺たちはお前とは違う、と切り捨てたのである。空しい、なんとも空しい。そうした世界をつくるのは逮捕・補導する側であり、其れを黙ってみている側なのだ。結:どうせ、こじ付けですよ。【2004/01/27/AM】