南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

第五福竜丸被爆から50年

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 アメリカのビキニ環礁での水爆実験で日本のマグロ漁船が被爆して、今年で50年を迎える。ここ2週間ほど世界的に関心を集め、各地でデモなどの催しが行われていたが、筆者はその意味を今日まで理解していなかった。全く恥ずかしい。1954年3月1日、アメリカは中部太平洋にて史上最大級の水爆実験を行った。当時ビキニ環礁を含むマーシャル諸島はアメリカの統治下にあり、公然と実験が行われていた。実験を遠くで監視する米軍にはある程度の保護策があったようだが、環礁の付近住民や近くを航行する漁船等にはほとんど注意は払われていなかった。そのため、いわゆる「死の灰」による悲劇を引き起こすことになったのだ。我が家には、死の灰を浴びてなお環礁の島々に生きる人々を撮った写真集がある。その本の記述の中で、筆者は第五福竜丸の事件も知った。かつて日本人は核の惨禍を2度経験している。ヒロシマナガサキである。これは人類が初めてじかに閃光を浴び、黒い雨の下に伏した時でもある。ここには明らかに人間の命を感じさせるものがある。そして、あの惨禍を最後に核の世界を断絶させるべきであった。
 しかし、核開発はいま、全盛を迎えているといってよい。朝鮮半島や印パ問題が示すように、核開発はビジネスであり、駆け引きであり、外交カードである。その基礎が作られたのは戦後まもなくである。米ソ二極体制のもと、世界各地で超大国の威力誇示のための核実験が行われ、周辺の先進工業国を目指す国々がそれを模範・目標としていった。核技術をもつということは、エリート大学を卒業するに等しい意味を持ったのだ。日本も非核化などと言っているが、実はこの問題では例外ではない。水爆実験の直後、映画「ゴジラ」として核を題材としたビジネスを起こしている。ここには、悲劇も生命もない。相手の顔色を窺い、上手く利益を得るためのツールである。ヒロシマナガサキの時、まだ核は兵器だった。日本の戦意を減退させる兵器でしかなかった。兵器であるうちは、兵器自体の市場は存在しても外交まで握ることはない。世界市民が武器ではなくツールとして核兵器・核開発を見るようになったとき、もはや惨禍の物語は幻想の世界に追放される。如何にツールまでのエスカレートを食い止めるかがこの50年の課題であったはずだ。結:世界はこの50年で「死の灰」を死語にしたのか。【2004/03/02/AM】