南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

国民にテロと戦う覚悟はあるか?

Nanjai2004-05-01
 ☆あかおにプロジェクト(ココログへの凶刃的コメント攻撃)総括特集☆
3月21日に実施した、ココログへのあかおにネームでの持論コメントをここにまとめて、特集としました。
 ≪小泉首相は19日夜、イラク戦争開戦から1年となることに関連して、スペイン列車爆破テロ後の犯行声明で日本もテロの対象となると示唆している点について、「そのテロの脅しに屈してはいけない。テロとの戦いは長い。覚悟しなきゃいけないと思う」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。日本国民にテロと戦う覚悟があると思うかとの質問には、「あると思う。だからこそ、小泉内閣を支持してくれていると思うし、イラクの今の自衛隊の活躍に理解を示してくれているんじゃないか」と自信を示した。(朝日新聞)≫ という記事について、非常に多くの方が異論を持っておられました。信じられません。日本は島国であるのをいいことに、孤立していると思い込んで、同じ地球上の危険というものを知ろうとしない傾向がある。自衛隊派遣の反対論もこのうち。個人の意見も尊重されるべきだが、皆がテロを危惧しているのだから、そのための意識は持つべき。国連憲章で言われないからって、いい気になるな。地球市民の義務ってものがある。総理は国民の安全を考えれば、世界にはテロはあってはならない。ならば、テロを根絶するためには戦うべきだ、その意識を日頃から持ちましょう、と言ったのだ。それはそれで正しいし、納得すべき。しかし、テロに対する解釈は二つある。一つは人を殺すという暴力、これは総理がおっしゃるとおりに対処する、つまり「戦う」こと。根絶するべきという気があるなら、口先だけでなしに肝に銘じよう。これが覚悟です。 ただし、私は戦わない。それは私が二つ目の解釈をしているからである。テロはデモ行進のような社会運動、あるいは美術作品と同じ何かを伝えるもの、と考える。小説や映画にも暴力的なものがあるだろう?それは表現技法、表現の自由です。そんなものを頭から潰そうとは、私は思わない。共存する、共有する。 私が最終的に言いたいのは、とにかく戦うを選ぶにせよ、共存するを選ぶにせよ、それを信念とか覚悟という形で持つべきだと思うのだ。テロは、中途半端な気持ちで対処できるようなものではない。結:テロに対して、地球に住む人間としての立場を明確にせよ、ということですよ。【2004/03/24/AM】