南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

聖戦の正戦論(ランティシ師の殺害)

Nanjai2004-05-01
 ≪パレスチナ自治区ガザ市中心部で4月17日夜(日本時間18日未明)、イスラム過激派ハマス最高指導者アブドルアジズ・ランティシ氏(56)が乗った車にイスラエル軍の武装ヘリがミサイルを発射した。車は爆発し、ランティシ氏と側近、運転手の計3人が死亡した。イスラエル政府はランティシ氏を狙った殺害作戦だ と認めた。ハマス軍事部門は報復を宣言する声明を発表した。(アサヒ)≫もはや怒りを隠すことはない。冷静を求めたくはない。燃えて構わない。これらの言葉は決して、失言だとは思わない。本心だ。ハマスの最高指導者ヤシン師を殺害したばかりのイスラエル。アメリカがフセインを捕まえれば、自分もやっていいと思い込むイスラエル。アメリカが死んだら、お前も死ぬのか。否、親が死んでも自分は生きるだろう。またイスラエルは、宗教家を殺した。宗教は文化だ。イスラエルは文化を叩いた。人々の愛する指導者を二度も殺した。一度でも首相が殺害されたか、イスラエル!
 宗教についてはヤシン師の時に書いた。今回は聖戦について。最近大学で「戦争と平和」をテーマとした講義を受けている。それによると、リアリズムよりも聖戦のほうが性質が悪いそうだ。もちろんどちらも戦争を起こすという意味では、誤っているかもしれない。リアリズムは、私の一つの主張を成す根幹だが、聖戦を捨ててはいない。というのはリアリズムは、聖戦が成長したものだと考えるからだ。宗教の信念やそれに基づく国家の指導方針を頭から信じ込み、出撃する恐ろしさを教授は語っていた。しかし信者は同時に自分の文化を大切にする。それは宗教が文化を基礎にしているからだ。日本でもイスラムでも、自分が優等生だと思い込んだ瞬間、文化も宗教も暴力になる。それに気付くかどうかを見守りたい。そのステップを上がるチャンスを見逃さないイスラムの民を、尊敬したいのだ。イスラムの地にもリアリズムの風が吹く。その過渡期であると考える。結:神は原点でもいい。戦いながら学んでくれ、他の文化や宗教ではなく、もっと偉大なものと戦うことを!【2004/05/01/PM】