南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

荒れ球配球、フォアボール、押出しの一点

Nanjai2004-06-25
 どう見ても野球の記事文句で、何が書きたいのか分かりにくいと思われるので、まずは新聞記事を書いてしまう。《1日午後、長崎県佐世保市東大久保町の同市立大久保小学校の3階学習ルームに6年生の女子児童が大量の血を流して倒れているのを教諭が見つけ、119番通報した。救急隊や警察官が現場に駆けつけたが、首の右側を深く切られており、死亡が確認された。服に血の付いていた同級生の女子児童(11)に事情を聴いたところ、カッターナイフで切りつけたことを認めたため、長崎県警は女児を補導し、同日夕、佐世保児童 相談所に通告した。(朝日コム記事一部修正)》
 文部科学省法務省じゃないが、「想定外」でした。などといったのでは、凶刃になりはしないので、昨晩はいろいろと考えたわけです。こういう事件がおきると、一般人は何を言うか、政府関係者は何を言うか。前者については我が家族の話を聞くと、「殺」とはどういうことかが分かってないとか、チャットの影響が大きいとか言う。後半については次稿でも詳しく話したいのだけれど、要するに今、常識などというものがどこまで通じるか非常に疑わしいということだ。多少精神的にというか構想にまとまりがなかった昨晩においても、私は家族の見解を8割方否定していた。
 断っておくが、私はカウンセラーではないし、幼き少女の心理を把握できるとは言えない。が、同じ世代を経験した者として、何か言えることもあるだろう。あの時期ってのはね、全力投球なのだ。幼稚園児のように、何でも「なんで?」と問うような年頃じゃない。全力投球しながら絶えず、配球を変えて試してみる。挑戦も全て全力だから、失敗も思い切りだ。ボールばかり投げてしまって、ランナーを出してしまうこともある。それは「殺す=悪」という常識も、人が死んでしまった後に残る後悔もずいぶんかけ離れた場所にあるんだと思う。そんな当たり前の事も分からないか、という取り方は成長を妨げるようにすら思うのだ。どの球にどう力を込め切って良いかわからない時期に、この事件が起きてしまったのではないかというのが、昨晩の時点での見解だ。
結:人間関係キャッチボールの悪送球連発・蓄積とも言えるかな。【2004/06/03/PM】