南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

なんだか愚かしい発言とこの事件で連想した二つのストーリー

Nanjai2004-06-25
 補足のようになっても構わない。《井上喜一防災担当相は4日午前の閣議後の記者会見で、長崎県佐世保市で小学6年生の御手洗怜美さんが同級生の女児にカッターナイフで切られて死亡した事件について「元気な女性が多くなってきたということですかな」などと語った。(朝日コム)》問題視するようだけれど、当たり前と言えば当たり前かも知れない。
 日本で初めて天下を統一したといわれる豊臣秀吉は、元は農民または下級武士の出だ、というのはかなり知られた話だ。彼は幼きころは農民の立場から、武士への道へ歩むための自分なりの策略を編み出した。墨俣一夜城建設の際は、もはや信長の配下であるから、農民感覚では建設労働者を指導できない。天下を統一すると、彼は太閤検地や刀狩を実施し、天下指導者としての視点から政策を打ち出した。
 もう一つは、ビートたけしの某書籍から。思春期って感性が鋭すぎることがあるよなって話。友達にちょっと馬鹿にされただけでカチンとくる時期がある。そういうのは誰にでもあるのだ。井上防災担当相にも幼きころというものがあるはずだ。何がプライドかも知らずに、自身を気にする時期が。
 ところが、大人はもはやその目線に立てない。自分の目指すものになりたどり着いてしまって、後ろを振り返る機会にきて初めて、振り返る余裕と感性を奪われていることに気づく。否、気づきはしない。そんなことを言えるのは、私のような中間層にいる者どもだけだ。しかもお体裁を気にせず、身分を気にせず、何にも一生懸命にならず、両者を眺めながら偏った見解だけを喚いている馬鹿どもだけが、両者の永遠に理解し得ない場所を知りながら陰に潜んでいる。
 心理は分からん。分からんものを考える時間がない。そういう人はまず常識を持ってくる。常識を突き進んできた人だから、それが言える。ところが、彼女らも常識を進んでいる。その環境が異なるだけで、メインは変わらない。それだけは言っておきたい。
結:なんだか愚かしい狂言と補足になり得たかどうか不明の筆者の心理【2004/06/04/PM】