南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

多国籍軍参加問題登場に伴う、イラク復興支援のための自衛隊派遣再考

Nanjai2004-06-25
 ≪主権移譲後のイラクで編成される多国籍軍への自衛隊参加をめぐり、細田官房長官は15日午前、自民、公明両党の幹事長、政調会長に政府としての考え方を 説明し、与党との本格調整に入った。これに先立ち、小泉首相は同日の閣僚懇談会で、多国籍軍への自衛隊参加にあたっては(1)日本独自の指揮命令のもとで 行う(2)活動は非戦闘地域に限定(3)イラク特措法の枠内で実施(4)他国の武力行使と一体化しない−−との四つの原則を示した。(アサヒコム)≫
 しばし注目が遅れたため、この多国籍軍問題概略記事を見つけることができない。もっと単純明快な説明がほしいなぁと甘えてみた。しかし、それでは凶刃的狂言として成り立たないので、持論だけで染め上げることにする。
 自衛隊は、軍ではない。まだ軍として、憲法で認証されていない。ならば、改正しなさい。米軍の武器物資を輸送したい場合は、やはり軍として認証される必要がある。他国と同等な立場で、多国籍軍で活動するにはこれが必然的に要求される。多国籍軍に参加すること自体を非難するのではない。参加する以上の条件を整えよというのだ。
 日本が今、サマワ自衛隊を派遣している現状を、アメリカを中心とした有志連合の一員であるから、と評されている。しかし、これは妥当な評し方ではない。イラクで計5名の方がその命を危険にさらされても派遣を維持し、2名のジャーナリストが襲撃されても維持しつづける。たとい、自衛隊の活動が民間団体の同地での活動に劣るのであっても、である。ここまでの頑固な精神が、アメリカ追従のみに基づくとするのは甚だ疑問である。
 筆者が愚考するに、これは公の威信を守るためだ。個人・私人の活動は活発だが、国として日本が動くことの意義を世界各国に知らしめんとする、一種のパフォーマンスとも言える。「個+個+個+・・・=公」の図式ではなく、公あっての私人を自覚させるため、政府が率先して体現し、公を国民に再自覚させる意図を持っている。だからこそ、派遣を停止することはできない。
 私人活動を犠牲にしてまで、派遣を推進する陰には、決して親方アメリカを意識してではなく、自国を危惧してのことなのだ、と改めて感ずる。
結:多国籍軍参加でも、この心を崩さないでほしい。【2004/06/15/PM】