南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

連載!!「初夏の薫り」(出会い)

Nanjai2004-08-31
 何回連載するか分かりません。要するに『明日のジョー』のように17回で終わるのであれば、そのとき過去は封印されたことになるのであって、現実が続く限り『元気くん(中日新聞サンデー版)』のように限りなく語られるのであろう。北見けんいち氏の描く少年時代は、リアリティに富み、若い感性があふれ出ている。一日一日を噛み締め、決して一場面をも等閑にしない生き方がここに反映されている。
 語るべき方向を間違えたようだが、このまま行こう。一日一歩を別れの直前まで噛み締めてきた筆者には、前記の文句が理解できる。というよりは、出会いこそ全て、こうで有らねばならない。要するに出会いには必ず別れがあるものだ。別れは自身が作ってしまうものでもあろうし、何も過ちでなくとも経過的に生まれてしまうものもある。いずれにせよ、予期せぬことではあるものだ。気付けば既に失っているかもしれない。
 よく明日があるから、という者がある。然し、それは何かに失敗した時に、希望を持たせるものであって、すべき機会を目前にして明日に移行するための言葉ではない。時を正確に見極め待つのであれば、それは正しいが、機会を逃し、別れを背に後悔するのでは、全てが浪費である。
 筆者は、出会いの先に別れを見た。上記の言葉は全て出会いの結果生まれたものだが、もともと心底に累積していたのかもしれない。静かな夜に語り合う時間は、全て記憶と思考の原動力であり、また賜物なのだろうか。いつ終わるとも知れない時間を、決して空費せず相手のために捧げてきた充足感は、今、手中にある。
結:別れた暁に涙を残す者は、空白に悔いを押し込んで、思い返そうとしないだろう。【2004/08/31/AM】