南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

連載!!「初夏の薫り」(ポイント)

Nanjai2004-09-21
 しばらく忘れたようなふりをして書かずにいたのは、決して体調の問題ではなく、最後の力を使い果たそうとしていたのである。さすがに発熱を起こしてまで何も書けぬだろうとおっしゃるのはごもっともであるが、それほど時間をかけて書き上げるのはご当人(筆者ではない)に対しても不快であろうと思われるので、極力通学開始までに仕上げていきたいとと考える次第である。
 ご挨拶とお詫びはこの辺りにして、問題はここから大変個人的な事象に値するため、ただ長々と経過を書き出すのは、突如プライバシーにかかわる問題が登場した際に、対処する技を心得ていないので、ポイントをかためて、各稿に仕上げてゆきたいと感ずるわけである。
 プライバシーの問題のみが気がかりなのではない。あくまでもここは凶刃的狂言という、卑しくも論考と名のつくものを提示している場所であるだけに、感情移入の発生は極力避けなければならない。むろん、論ずるという行為には、怒りや賛同といった感情がないわけではない。しかし感情に妥協することは許される問題ではない。たとえば、日本共産党が北朝鮮の拉致政策を否定していたのを、家族会の動向を見て肯定に転じたのは、方針の安易な転換とみられる。たとい人道的に卑劣であっても、それが彼らの政策である限り、人の目を離れて眺める視点が尊重されても然るべきではないか。
 というように、定番の凶刃的方向に走りがちな筆者であるが、実際は3ヶ月の体験に重き心理的動揺を隠しきれていないのである。その中間的な余りある汗と涙のはけ口として、このページを選んだに過ぎないのだ。
 さて、今後の方向性であるが、4〜5稿に分けて考察のほどを記してゆきたい。もっともこれで須らくが話せるとは、決して思わないので、随時テーマを増量させる恐れがある。というのも、なにぶん体調に変異があるため、まともな思考を現時点で展開できないのである。ご理解いただけたら、と思う。
●優しさというもの
●信じるということ
●寂しさと不安
●自分の存在
●強い人間とは何か(自殺について)
●愛というもの・・・・Etc.
 項目を並べてみたが、此れに尽きる物ではないので、しばらく思いつく限り稿を重ねていくことになるかもしれない。
結:ともかくも、これは昨日今日の私観でなく、人と人の付き合いの中で生まれた結晶なのだ。【2004/09/21/PM】